家令は励まし、長女は夢見る
皆さま、今晩はいかがお過ごしでしょうか。
人が寝静まり返ったこの時間。
私は一人の女性に呼ばれ、お部屋へ向かっております。
決して色めき立つ理由ではないことは、この場で明言しておきましょう。
事の起こりは先ほど。
リュール様の執務を監督し、部屋に戻って来た時でした。
私の自室の扉に、一枚の手紙が挟まってしました。
中身を確認すると、話があるので寝静まった頃を見計らって、誰にも気づかれないよう静かに部屋に来て欲しいとのこと。
宛名は書いてありませんでしたが、お仕えする方々の字を見れば、どなたが書かれたものか判別できます。
こちらの文字は長女のアリス様。
跳ねや払いは力強いのに、曲線に可愛らしさが出る文字は、まるでアリス様のようで少しだけ微笑ましくみえます。
そして部屋にて所用を済ませ、出来うる限り足音と気配を消してお部屋へと向かいました。
お部屋の前に到着し、軽くノックをすると中で物音がして、薄く扉が開かれ外を伺うようにそっと部屋の主が顔を覗かせました。
私の姿を確認すると、ジェスチャーで入って良いと伝えてくださいます。
扉の隙間から滑らせるようにお部屋へと入り、アリス様は無言で自室のソファーに向かいました。
「グスタフ、お呼びにより参りました。アリスお嬢様。」
「夜分遅くに申し訳ありません。どうしてもグスタフに相談したいことがあって。」
「申し訳ないなど滅相もございません。私でお役に立てるのなら、存分にお使いください。」
「あなたは相変わらずね。あなたも座りなさい。少し長くなる話なの。」
「いえ。お仕えする方と席を同じくするなど恐れ多い事にございます。私はこのままで結構ですので、どうぞお気になさらず。」
「……ほんとに相変わらずね。まあ、そんなあなただから呼んだのだけれど。早速本題に入りましょう。とは言っても、あなたのことだからおおよその見当はついているのでしょう?」
「はい。端的に申し上げて、フィールズ男爵のご子息との婚姻は難しいでしょう。」
アリス様はこのところ顔色が優れないことはご家族の方や使用人達も気づいておりました。
その理由を知る者はごく少数でしょうが。
「……ほんとに話が早いわね。私はこれでも慎重に慎重を重ねてきたのだけれど。」
「恐れながらアリスお嬢様はディルモンド家の至宝にございますれば。その身を第一に考えることが私どもの役目にございます。」
アリス様の顔色が優れない理由はそれが原因であります。
アリス様は今年で18歳。
貴族の結婚適齢期を考えると、少し遅いくらいにございます。
しかし、我がディルモンド家は辺境伯という高い地位にいる上、国王陛下や皇太子殿下の覚えめでたく、肥沃な土地を領土に持ち、交易をはじめとする産業が盛んであり、屈強な私兵を多数抱えております。
故に他の辺境伯の家々よりもひとつ高い位置についております。
ですので、ディルモンド家と様々な形で繋がりを持ちたがる方も多く、その最たるものが政略結婚なのです。
家と家の繋がりとしては、これ以上強い物はないでしょう。
次女のコーラル様はまだ13歳。
婚約するにも少し早い年齢ですので、他家はアリス様に狙いを定めておりましょう。
さらに、アリス様には特定の男性がいないと思われておりましたので、勢いに拍車をかける結果となってしまいました。
アリス様の巧妙な隠蔽が仇となったのです。
アリス様が隠れてとある男性とお会いしていたことは把握しておりました。
普通であれば喜ばしいことですが、この場合立場が大きく影響し、お二人は内密に逢瀬を重ねることを選んだのでしょう。
このお相手が、フィールズ男爵家の長男、セイル・フィールズ様にございます。
我がエルスランド王国の爵位は大きく6つに分かれており、上から公爵、侯爵、辺境伯、伯爵、子爵、男爵となっております。
正式には男爵の下に準男爵や騎士爵などがおりますが、こちらは継承権を持たない一代限りの貴族となります。
さて、ここで婚姻を結ぶための適当な地位ですが、基本的には同格、または上下ひとつが通例です。
もちろん例外も多数あり、必ずそうしなければならないということではないのですが。
リュール様とソニア様も爵位は差がありましたが、ソニア様の脅迫じみた公爵家の方々への説得や、辺境伯の中でも力があり、リュール様ご自身の才覚や人脈を認められ、あっさりと婚約が認められました。
政略結婚が多いとはいえ、突き詰めれば家と家の問題であり、最終的には第三者が口出しできるものではございません。
しかし、本人同士が望んでいるからと、安易に許可できようものでもなく。
フィールズ男爵家は小さな温泉地を領土に持ち、主な財源は観光収入です。
輸出と農耕が財源のディルモンド家が得る物は少なく、逆にフィールズ家は様々なものを得るでしょう。
ディルモンド家が食糧や交易品を一切融通しなければ、嫁いだソニア様の肩身が狭くなるでしょうから。
そして身分差があることに加え、厄介な問題がもう一つ。
先日お見合いを行った、モントリー伯爵家の長男カルロス様がアリス様に多大なる関心を寄せているとのこと。
モントリー伯爵領は林業が盛んであり、良質な木材が採取できるということもあり、ディルモンド家の大きな取引先の一つに数えられます。
カルロス様も次代の当主として、ご当主様の下で実績を上げられており、実直で誠実な方として知られております。
カルロス様と比べると様々なものが足りないセイル様との婚姻は、困難を極めるところです。
「確かにセイルは頼りないし、後ろ向きだし、地位も高くないのは知ってる。きっと許されないことだともわかってる。」
アリスお嬢様は沈痛な声で呟きます。
「でもセイルがいいの。優しくて繊細で落ち着く。家柄とか見た目とかじゃなくて、私自身を見てくれる。
知ってる?セイルってば、私が落としてしまったただの髪飾りを探して一日中街を走り回ってくれたの。カルロス様もいい人よ。でも彼じゃなきゃ嫌なの……。」
瞳を潤ませ、どこか縋るようなお嬢様と目が合いました。
「ねぇ……。やっぱり諦めなければいけないのかしら……?」
「現状ではそれしかないかと。」
貴族とはその特権と引き換えに、諦めなければならないことが多々あります。
これもそのひとつ。
私のはっきりとした言葉がトドメになってしまったようで、遂には床に崩れ落ちてしまわれました。
「こんなことなら、こんな家に産まれるんじゃなかった……。」
ポツリと。
きっと現状に絶望したお嬢様が、自暴自棄になり出てしまった言葉だと理解しております。
しかし。
その言葉だけはこのグスタフ、看過できませぬ。
「では家を捨て、お二人で逃避行でもなさいますか?世間慣れしていない元貴族がお二人、生きて行けるほどこの世界は優しくはありませんよ。賊に捕まり、野垂れ死ぬのが関の山でしょう。」
「なっ!なにもそんな言い方しなくてもいいでしょ!」
「いいえ、お嬢様はいままで旦那様をはじめ、様々な人間が見守り育んで参りました。そして、領民の税を使い生活しております。その恩を忘れ、想いも忘れそのような暴言を口に出してしまう者は貴族にあるまじき行いにございます。」
「あなたに何がわかるのよ!たかが使用人の分際で!」
そう口にした後、ご自身が何を言ったのか理解したのか、バツの悪そうな顔で俯きました。
「仰る通りです。私はただの使用人。故にアリスお嬢様のお気持ちはわかりかねます。」
「ちがっ……違うの!いまのはそういうことではなくて……。ごめんなさい……。」
「アリスお嬢様、たかが使用人に謝る必要などございません。」
私の言葉に胸を詰まらせ、苦しそうな表情でこちらを見やります。
だいぶ良い薬になったようにございますね。
では。
「アリスお嬢様、私はただの使用人。そしてアリスお嬢様は私の敬愛する、お仕えする方々の一員。ですので一言お命じくだされば良いのです。ディルモンド家の方々の願いを叶えるために、私どもは存在しております。」
まるで、何を言っているかわからないという表情のアリス様の背中を押しましょう。
「間違っていれば正しましょう。行き過ぎれば諌めましょう。それでも尚、お望みとあらば我等使用人一同、人命を賭してその願いを叶えましょう。不可能を可能にして見せましょう。」
ただしく私の言葉が伝わったのか、徐々にそのお顔に決意を漲らせ、
「ディルモンド家長女、アリス・ディルモンドが命じます。どうか私の願いを叶えてくださいな。有能で優しい、ただの使用人さん。」
「かしこまりました、アリスお嬢様。全てはお嬢様のお望みのままに。」
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今日は皇太子殿下主催の夜会に参加するべく身支度を整えている。
ここ数週間はとてもめまぐるしく、あの夜から今日ここに至るまでまるで時間を圧縮したように過ぎていった。
今思い返してみると、自分でもずいぶん無茶なお願いをしてしまったものだと反省する。
あの夜の翌日、メイドに起こされ身支度をしていると俄かに館の中が騒がしい。
何があったか聞いてみると、グスタフが数週間家を空けるとのことでした。
他の使用人たちは何があったか知らないようですが、私はすぐに原因に思い当りました。
朝食の為、食堂に赴くとお父様とお母様が先に席についておりました。
おそらくグスタフの件で詰問されるのだろうと少し憂鬱になりましたが、すべては私が望んだこと。
せめて責任を負うことが上に立つ者の務めであれば、覚悟を決め席につきます。
しかし、お父様とお母様は私を叱責するでも詰問するでもなく、ただセイルとはどういう人となりなのかを穏やかに聞いてくるだけでした。
私はいつ雷が落ちるかおびえながらも、セイルがどういう人かを一生懸命に話しました。
打算も駆け引きもなく、ただ真摯に彼がどういう人なのかを。
私の話を静かに聞いていたお父様は難しい顔をなさっておられましたが、お母様は満面の笑顔です。
私が話終わり一息ついたとき、いままで黙って話を聞いていたお父様たちが始めて言葉を発しました
『お前の思うようにすればいい。家のことは私が何とかする。』
『恋って素敵よね。私は全力で応援するわ。』
その言葉を聞いたとき、いままで押し込めていたものが決壊するように涙があふれてきました。
どんなに取り繕っても、どんなに大人ぶってみても、家族に秘密にしていることに罪悪感と閉塞感を感じていたことは事実。
それが取り払われた時の安心は、まさに夜が明け日が差してきたような何とも言えない高揚感にそっくりで。
お父様たちに慰められ、使用人たちは微笑み、まるで世界が私を祝福してくれているような心地でした。
しかし、お父様とお母様の言葉で家のことは問題がなくなりましたが、それで全てが解決するわけではありません。
セイルの家の説得、カルロス様への婚約のお断り、そして他の貴族への説明だ。
一瞬で難しい顔になった私に向け、お父様が声をかけてくださいます。
『問題はいくつかあるが、先ほども言ったように家のことは私が何とかする。モントリー伯爵家への対応は私に任せておけ。お前がやるべきはフィールズ男爵家の方々にお前を受け入れてもらうための努力だ。』
これからさらに忙しくなっていくことだろう。
でも、その程度の努力で愛しい人との時間が手に入るのであれば、苦労だとは微塵も思わない。
それに私の無茶なお願いで、おそらく様々な家を巡り歩き説明する我が家の家令を思えば弱音なんて吐いていられない。
だから私は一つ深呼吸をすると、一旦頭を真っ白にして予想される問題、対応、選択肢を無数に考え出していく。
自分の世界に入る私にぽつりと、
『あの子がもうそんなことを考える歳だとは、時間が流れるのは早いものだ……。しかし、親より先に家令に相談するとは……間違いではないが、寂しいものだな……。』
そんな哀愁を帯びたお父様の声が耳に入った。
そして今日、様々な根回しの結果、皇太子殿下に婚約のお墨付きを頂く段取りを組むことができた。
モントリー伯爵家や対抗派閥の貴族たちも今回は沈黙しており、私の予想を超えて楽であった。
それでも忙しかったことに変わりはないのだが。
セイルにも変化があり、今まではパッとしない部分も多かったが、この数週間でいくつかの新規事業を立ち上げてはすべて短時間で結果を出し世間で大変注目されている。
その功績をもって近く、正式に当主になると同時に子爵に格上げが内定しているとのことだ。
どうやら相当優秀な家庭教師を見つけたようだが。
その優秀な家庭教師とは一体誰なんだろう。
なんてわかりきったことを考えていると、扉がノックされ声がかかる。
気づけばもう開始の時刻だ。
私は最後に鏡の前でチェックすると、きっと愛しい人が待つであろう扉を開け、幸せいっぱいの未来へ歩きだした。




