プロローグ
年季の入った椅子に腰掛けて、何度も見てきた春を堪能する暁と千秋。
だが、暁はあまり、春が好きではない様子で…。
しんしんと静かに、だけど冷たく身を突き刺していた木枯らしは、何処へ行ったか。
長かった冬も、ようやくカーテンを閉ざして。
だけどまだ、少しの肌寒さをぼやかしている、春がそこにあった。
窓一枚を隔てた向こう側では、生き物を育み、世界を喜びに包むような暖かさが蔓延るのだ。
嗚呼、でも。
「僕は、この季節は苦手だ。」
少しガタがきている椅子の脚を、ギィッと浮かせ、僕は目の前の友人の千秋にぼやく。
千秋は窓を開けようとしていた手をピタリと止めると、小さく息を吐くように、僕に笑いかけた。
「暁は春を好まないのか。
おまえは春みたいな、穏やかな性分なのに、意外だな。」
「それは偏見というものだよ。」
冗談めかして、僕は軽く声を尖らせてみせる。
悪い悪いと手をひらひらさせ、千秋は僕の前の椅子に座った。
彼の椅子も軋んだ音を立てる。
もう二十年くらいは、世話になっている物だから、仕方ないな。
窓枠には、街のほうから、風に乗って飛んできた桜の花びらが、羽を休める鳥のように揺れている。
「俺も花粉症や、新しく始まる物事のバタバタした感じは、あまり好ましくは思わないけど。
桜の花なんか見ると、それも少しだけ『まあいいか』と思えるんだな。」
僕は窓辺の桃色を通り越して、ずっと遠くを見つめる。
「…桜にはね、思い出があるんだ。
蓋をしてしまいたいくらいに、とてもとても、苦い思い出。」
千秋は呼吸の音すらも潜めるように、静かに僕の顔に目をやる。
不躾に問い質したりしないところを見ると、良い友達を持ったものだと思う。
僕はちょっとだけ、顔を綻ばせた。
「…聴いてくれるかい?」
今年も一人で抱えるには、重くて苦しいから。
きっと僕は、千秋にそれを半分こにしてほしかったのだ。
「嗚呼、もちろんだ。」
千秋は自分の膝をパシッと叩いて、改めて僕に向き合った。
少しお日様が翳り、照明を落とした舞台のように、薄暗くなっていく部屋。
そっと目を閉じた僕は、心の中、思い出を縛った紐を少しずつ緩め始めた。