第2章 *1*
想伝局員二次審査、二日目の朝。
教訓を生かし、余裕をもってユウファ中央想伝局に着いたサミルは、早々に制服に着替え終え、廊下を歩いていた。
しかし、想伝局内に漂うピリピリとした雰囲気に気付き、ふと足を止めた。
(もしかして、昨日は私が緊張していたから気付けなかっただけなのかな?)
そう考えつつも、やはり得体の知れない妙な感覚に襲われ、サミルは不安になってくる。
(き、気のせいだよね……?)
不安を振り払うように頭を振っていると、背後から突然、肩を叩かれたサミルは「きゃうっ」と変な声を上げてしまった。
「おっと、驚かせて悪いな。だが、こんな廊下の真ん中で立ち止まってどうした? 具合でも悪いのか?」
振り返れば、そこには心配そうな表情を浮かべている指導役・グランディの姿があった。
「い、いえ、大丈夫です。すみません。おはようございます!」
サミルが矢継ぎ早に答えて深々と頭を下げると、グランディは苦笑した。
「……あまり大丈夫そうには見えないがなぁ。ま、無理はするなよ」
実をいえば、サミルは昨晩の疲れが残っているせいか、まだ微妙に体が重かった。けれども、彼女は誤魔化し笑いを浮かべて頷き返す。
「は、はい……」
そこへ、制服姿のセオが、相変わらず無駄のないきびきびとした足取りでやってきた。
「おはようございます。本日もよろしくお願い致します」
「おう、今日も頑張れよー」
グランディとセオも挨拶を交わしあい、サミルを含めた三人は再び廊下を歩き出す。
「……それにしても、お前さんも一体どうしたんだ?」
セオはセオで、朝から不機嫌そうなオーラを漂わせている。その様子を訝った指導役が、先ほどのサミル同様、セオに尋ねた。
グランディの問いに、セオは一瞬、躊躇うように視線を泳がせてから、口を開く。
「『詩樹紙』、というのは、なんですか?」
セオの単刀直入なその質問内容に、グランディはわずかに驚いた様子で眉をひそめる。
「お前……それをどこで聞いた?」
「先ほど更衣室で。『詩樹紙』がどうとか、話している人がいたので気になっただけですが……もしかして、尋ねてはいけないことでしたか?」
「いや、別に構わんさ」
グランディはそう答え、小さくため息を入れてから説明を始める。
「『詩樹紙』というのはだな、王家から想伝局へ直接出される通達のことなんだが……それが今朝方、急に届いたのさ」
王家からの通達というグランディの説明に、サミルは局内になんとなく漂っていた緊張感の正体を知り納得する。
(そっか、それでなんだかみんな緊張してたのかな……?)
黙って聞いていたサミルの隣で、セオはさらに問いを重ねる。
「その詩樹紙とやらには、一体どんなことが書かれていたんですか?」
掘り下げるセオに対して、グランディはなぜか苦い笑みを浮べた。
「まあ、簡潔に言うと……想種部の廃止についてだな」
「えっ、廃止って……!?」
その不穏な響きから嫌な予感がしたサミルは、思わず口をはさんだ。
「つまり、想伝局での『種』の取り扱いをやめろってことらしいんだが……」
(そんな! 種を使えなくなっちゃうの……?)
予想だにしていなかったその内容に、サミルは目を見開き、セオもわずかに眉を寄せた。
「それって今すぐに、なんですか?」
「いや、さすがに今すぐには無理だろうよ。なんせ、ウェール国内の端まで『詩樹紙』が届くまで、少なくとも数週間はかかるだろうし」
「でも、そんなことしたら、困る人がたくさんいるじゃないです!」
「だろうなぁ……」
焦りをにじませるサミルに、グランディはため息交じりに同意した。
(そんなのってひどい……)
昨日、グランディに話したように、サミルの故郷の村では、種のやりとりが主流だった。字を書くことができない人たちにとって、『種』がなくてはならない連絡の手段であることは間違いない。それを廃止されてしまったら、どうすればいいのだろう。
「それは……以前から出ていた話なんですか?」
呆然としているサミルを横目に、セオが怪訝そうにグランディに問いかけた。
「まぁな。ただ……」
「なぜ今になって急に言い出したのかは不思議だ、と?」
「そういうこった。別に至急で出すような内容じゃないのが何かこう、引っかかるというか……ま、そんなことぁ、下っ端のオレたちが考えたところで、どうにもならんがな」
諦めた様子を見せ話を畳もうとしたグランディに、セオはなおも続ける。
「ちなみに、その詩樹紙って、具体的な廃止の理由は書かれているんですか?」
興味を示しているセオを、サミルは意外そうに見上げる。
(セオも、種がなくなると困ることでもあるのかな……?)
不意にそう思いつつ、グランディの回答を待つ。
「理由ねぇ……種の利用率が低いってのと、デメリットが大きすぎるんだと」
「デメリットというと……例えば?」
「犯罪に利用されやすい。運搬時に手間と経費がかかる。種の無駄遣い。想伝局の提供しているサービスの中で、唯一赤字を出している……といった感じだ。全部もっともな意見であることは確かなんだが……」
種の無駄遣いといわれるのは、想いを込められた種が、通常の植物の種としての機能を失う……発芽することができなくなってしまうからだ。
また、運搬時の手間というのは、想いが途中で流れ出て消えてしまわないよう特殊な袋に入れることを指しているのだろう。その袋を作るのに、多くの手間と経費がかかっているだろうことはサミルにも想像がついた。
しかし、サミルにとって、理解できないことが一つあった。
「犯罪に利用っていうのは、どういうことなんですか?」
「そりゃあ、種は想いを届けたら消えてなくなっちまうからな。裏取引なんかの証拠隠滅にはもってこいな連絡手段ってわけだよ」
「そんな……!」
種を悪用することなど、今まで考えたこともなかったサミルは、その事実に少なからず衝撃を受けた。
(種は、大切な想いを伝えるためのモノなのに……。それに……)
「そんなの、悪いのは種じゃなくて、使う人の方なのに……」
「確かに、お前さんの言うとおりだ。しかも、たとえ想伝局が種の取り扱いをやめたって、裏社会では使われ続けるだろうし」
「じゃあ、王立警備局が種の悪用する人たちの取り締まりを強化すればいいだけのことじゃないですか!」
「それをオレに言われてもなぁ……」
グランディは、すっかり頭に血を上らせているサミルの様子に苦笑する。
「しかし、赤字については何も言い返せないぞ。そもそも、想伝局だって王立だからな、民からの税収で運営されているんだ。無駄な経費は、これすなわち税金の無駄遣い。オレら自身の首を絞めることにもなるってわけだ」
「……グラン指導役、ひとついいですか?」
よく理解していなかったサミルに説明するグランディを、セオが唐突に遮った。
構わんぞと先を促され、セオは話を続ける。
「確かに、赤字は問題だと思いますが、この国の財政はそこまで切迫しているわけではないはずでしょう?」
詩樹大陸にある他の国々と比べて、このウェール国は気候に恵まれているため多くの農産物が収穫できる。おまけに近年は稀に見る豊作続きで、他国に頼られこそすれ、困ってなどいないはずだった。
「と思いたいのは山々なんだが……噂によると、国王様は体調を崩されてるらしいじゃないか。不吉なことは言いたくないが、国王が身罷られた後ってのは、国は不安定になるもんだ。遠くない未来、そういう状況に陥ることを想定して、金策に走ってるって考えたら……ちっとは納得がいく気がしないか?」
「それは……」
グランディのいかにもな予測に、セオとサミルにはもう発する言葉がなかった。
「さぁて、そんなことはともかく、仕事するぞ仕事! いいか、今日のお前らには、窓口で頑張ってもらうんだからな! 覚悟はいいか?」
まだ納得のいっていないサミルだったが、ここは堪えて頷くしかないのだった。