第1章 *2*
「んー、これで大丈夫……かな?」
自分以外には誰もいない女子更衣室で、サミルは渡された想伝局員の制服に着替え終わり、鏡の前でくるりと回ってみた。
グランディに与えられた最初の指示は、「制服に着替えてこい」というものだった。
支給された真新しい深緑色のベストとズボンに、手こずりながらも何とか結べたネクタイ。もともと着ていたシャツは若草色で、色の組み合わせはまぁまぁといったところか。
鏡に映るサミルの銀髪と白い肌、赤葡萄色の澄んだ瞳は銀猫兎族の母親譲りで、ピンと立った凛々《りり》しい犬耳は銀犬狼族の父親譲りだ。
獣人には大きく分けて三種族――犬狼族、猫兎族、鳥羽族が存在する。
サミルはその中でもめずらしく、二種族の血が混ざっているため、その特徴も入り混じっていた。
耳は犬のような形で、ズボンの中に隠れている尻尾は猫兎族の特徴でもある白くて丸いウサギのような尻尾……といった具合に。
着替えの最後に、若草色の帽章が輝く深緑色のベレー帽を被って《《犬耳を隠せ》》ば準備完了だ。
サミルは深呼吸をしてから更衣室を後にする。
先ほどの応接室へ戻ると、同じく制服姿に着替え終わったセオが、苛立たしげな視線を向けてきた。
「着替えるだけなのに、なんでこんなに時間かかってんだか……」
わざと聞こえるようにつぶやかれた言葉に、サミルは頬を膨らませた。
「まあまあ、女性は野郎と違って色々大変なんだから、そう言うなよ」
すかさず入れられたグランディからのフォローの言葉に、サミルは感謝しつつ何度も頷く。
(そうよ、色々あるんだから!)
実を言えば、着替えようとして更衣室に行ったら、想伝局員の女性たちがたくさんいて、なかなか着替えることができなかったのだ。
うっかり耳だの尻尾だの見られでもしたら、獣人だとバレて大騒ぎになること間違いない。だから、皆がいなくなるのをずっと待っていて……それで遅くなってしまったのだった。
「まぁ、想伝局員になりたいなら、時間にはもっと厳しくなったほうがいいんだがな」
そう言って明るく笑ったグランディは、不意に小さな木箱を私たちに差し出してくる。
「これは……?」
「まあ、開けてみなって」
自分たちの前にそれぞれ一つずつ置かれたその箱を、サミルとセオは促されるままに手に取り、そっと開けてみる。
すると、中には銀色の懐中時計が入っていた。
蓋の表面には、想伝局員の徽章となっている詩樹の花が刻み込まれている。そして蓋を開けてみれば、大きく見やすい数字の描かれた文字盤が、実用性の高さを表していた。
「これ、どうするんですか……?」
「それは想伝局員の必需品だ。審査に合格したら、そのままお前たちのものになるわけだが……とりあえず、二次審査中は『貸してる』だけだ。失くしたり壊したりしたら、弁償もんだからな、大事に使えよ?」
「はいっ!」
「……それで、二次審査では具体的に何を?」
セオの質問に、グランディはようやく審査の内容を説明し始める。
いわく、二次審査の期間である一か月間、実際に想伝局員の仕事をするらしい。
実務を通して、希望の職種への適性が判断されることになる、というわけだ。
「ま、百聞は一見にしかずってことで、あとは局内を案内しながら説明するから、ついて来な」
それからサミルとセオは、グランディの後に続いて想伝局内を見て回り始めた。
二階には、応接室のほか、会議室や更衣室、想伝局長の執務室があり、一階には接客用の窓口と、荷物などの仕分けをしている集配室などがあった。
案内されている最中に、窓口が開く九時になり、パラパラと町の人たちが入ってくると、想伝局内は途端に活気づいた。
と同時に、局員たちとすれ違うたび、グランディは様々な仕事を渡されだした。
「あ、グラン先輩、おはようございます。この書簡なんですけど――」
「グランさん、これって受け付けてしまっても大丈夫でしょうか?」
「この書類にサインお願いできますか、グランさん」
(うわ、この人、みんなにすごく頼りにされてるんだなぁ!)
しかも、頼りにされているだけあって、全ての質問に簡潔に応え、手際よくこなしていっている。
邪魔にならないよう、後ろでグランディの仕事ぶりを見つめていたサミルは感服した。
「悪いな二人とも、待たせちまって。ちょっと至急の仕事をこなしてくるから、とりあえず、午前中はのんびりと窓口で対応してる局員の観察でもして勉強しててくれや。午後は配達の実践させるから、覚悟しとけよー」
するりと局員たちの輪を抜けてサミルたちにそれだけ告げに来ると、グランディは再びすぐに集配室の方へと消えていってしまった。
「うわー、忙しそうだなぁ、グランさん。それにしても、午後は配達だなんて、楽しみだねぇ!」
「あれくらい、仕事なんだから、できて当然だろ」
「……ちょっと、何よその冷たい言い方。朝からツンツンしちゃって、嫌な感じ!」
(あの夜、出会った奴も意地悪だったけど、ここまで無愛想じゃあなかったのにな……)
サミルは内心でこっそり、そうつけ加えた。
「……って、どこ行くの?」
指摘を無視して歩き出したセオを、サミルは追いかける。
「俺は、指示されたことをするまでだ」
「あ、待ってよ。私も――っきゃ!」
焦って走り出した拍子に、サミルは何もないところで躓いてしまった。
「……いったたた」
とっさに帽子を押さえたせいで、犬耳が顕わになる最悪の事態は何とか避けられた。が、受身をうまく取ることができず、よく磨き上げられた固い床に膝を思いきりぶつけてしまった。
ものすごく痛い。おまけに、派手に転んだせいで、周囲の視線も一斉に集中して、恥ずかしいことこの上ない。
それでも、獣人だとバレるよりはきっとマシだと、懸命に自分に言い聞かせながら、サミルは無理やり笑みを浮かべた。
「す、すみません、お騒がせしちゃって……」
謝りながら、帽子を押さえつつ立ち上がろうとしていると、横からスッと、手が差し伸べられた。
(なんて親切な人……)
そう思ったのはつかの間、顔を上げてみれば、手を差し出してくれていたのはセオだった。
(げっ、セオだったのか……)
その手を取ろうか躊躇っていると、力強く腕を引っ張られて立たされた。
「お前、バカか? 普通、帽子を押さえる前に手をつくだろ」
「それは……」
言い返せないのが悔しかったが、サミルはぐっと堪えて笑みを浮かべた。
「……ありがと。優しいんだね」
本当に冷たい人だったら、きっとこんな風に手を差し伸べてなんてくれない。それに、言い方は少しキツイけど、彼は思ったことを、当たり前のことをそのまま口にしているだけなのだ。
サミルがポツリとつぶやいたお礼の言葉に、セオは驚いたように目を瞠った。それから勢いよく顔を背けると、何も言わず足早に歩き出す。
(あれ? もしかして、照れてる?)
セオにはどうやら意外と可愛いとこもあるらしい。サミルは微笑みつつ、彼を追って窓口の中へと入っていった。
「わぁ……朝からお客さん、たくさん来てるんだねぇ」
書簡や荷物を受け付ける五つの窓口は、すべて接客中で埋まっていた。
入口のすぐ脇では、整理番号の書かれた小さな木札が配られ、その番号が呼ばれるまでは、壁際に置かれた長椅子に座って待つ仕組みになっているようだ。
待ち時間を少しでも快適に過ごしてもらえるようにと、棚には新聞や雑誌が置かれ、子ども用の小さなオモチャなども用意されている。
そこには老若男女、様々な人々の大切な書簡や荷物を届けたい、という想いが溢れていた。
「こういうの、いいなぁ……」
サミルはその光景に、思わず目を細めてつぶやいた。それはただの独り言だったのだが、意外にもセオがこれに反応した。
「じゃあ、なぜ『業務員』を希望しないんだ?」
「え? ああ、違うのよ。私がいいなって言ったのは、この空間全体のこと。私の故郷の村には、想伝局なんてなかったから、何か新鮮な感じがするの。貴方はずっとこの街に住んでるの?」
「……ああ」
「じゃあ、貴方にとっては想伝局があるっていうのは当たり前のことかもしれないけど、これってすごく貴重なんだから。いつか……故郷の村にも想伝局ができたら、って考えたこともあったけど――」
そこで沈黙したサミルに、セオが怪訝そうに眉を寄せていると、窓口で接客をしていた女性業務員が一人近づいてきた。三つ編みにされた黒髪とい縁の眼鏡が印象的で、厳しそうな雰囲気を漂わせている。喋っていたのを咎められるのかと、サミルはハラハラしたが、予想はあっさりと裏切られた。
「キミたち、暇ならちょっと手伝ってみない?」
「グラン指導役には、観察をしてろと指示されただけですが?」
その受け答えに顔を引きつらせた業務員とセオの間に、サミルは慌てて割り込んだ。
「あのっ、やります! 私たちにできることがあれば、何でもやります!」
(ちょっと、何でそんなに偉そうな態度なのよ! 私たちは審査中なんだからね、もっとやる気のある態度を示さないとダメじゃない!)
「そ、そう? じゃあ、この葉書と封書に、今日の消印スタンプを押してくれるかしら? 終わったら声をかけてくれればいいから。あ、私は業務主任をしてるピナス=クローバよ。ピナスって呼んでね」
「はい、わかりました!」
「じゃあ、お願いね」
ピナスから葉書と封書の分厚い束を受け取ったサミルは、空いている机を見つけて作業を始めた。
セオも不満そうな表情を浮かべながら、隣の席に座る。
「……おい、俺まで巻き込むなよ。命令以外のことして何か言われたらどうすんだよ?」
「ふぅん、貴方って案外、頭が固いのね? まぁ、いいじゃない、同期なんだから。一緒に頑張って審査に合格しようよ。あ、そうだ、それより、貴方のこと『セオ』って呼んでもいい?」
「……勝手にしろ」
ため息をつくセオに、サミルは微笑み頷き返す。
それから二人は窓口を観察しながらも、頼まれた作業を黙々とこなしていった。
やがて十二時の鐘が鳴った頃、忙しさから解放されて戻ってきたグランディは、二人の様子に満足そうな笑みを見せた。
「やる気満々で良いこった。で、何か質問とかあるか?」
(ほら、大丈夫だったでしょ?)
サミルはセオに視線で訴えてから、グランディに向き直る。
質問といえば、午前中、窓口を観察をしていて気になることが一つあったのだ。
「あの、グランさん。『想いの種』を持ってくる人って、全然いないんですか?」
そもそも、想伝局というのは人の『想い』を込めた『種』を運ぶための仕事として生まれたはずである。
この世界の誰もが、植物の種に想いを込めることができる。
込められる想いの量や、想いを留めておける時間は種の種類や大きさによって異なるものの、字を書くことよりもずっと簡単で便利だ。
サミルは幼い頃、仕事先の父親から時々送られてくる『想いの種』を楽しみにしていたものだった。
そんなサミルの質問に、グランディは何故か驚いたように目を見開いた。
「……ああ、最近はほとんどないな。時々、小さい子が、字を書けない代わりにって持ってくることはあるがな。しかし、よくそんなことに気がついたな?」
「それは、私の出身の村では字を書ける人が少なくて、種でやり取りすることがほとんどだったので。やっぱり、これが都会と田舎の差……なんでしょうか?」
グランディは「なるほどなぁ」と納得げに頷きながら、しかしその表情は険しい。
「識字率の差ってのもあるだろうが、確実性と必要性の問題だな。商売でやり取りする時は、後々まで残しておきたい書類が多いから、想いを届けた後に跡形もなく消えちまう種だと、何かあった時に証拠として使えないというわけだ……と、それはさておき」
「あ、はいっ、配達ですかっ?」
サミルは念願の配達業務ができるとあって、目を輝かせる。
もし彼女に父親似の犬尻尾があれば、勢いよく振って喜びを表現していたかもしれない。
「やる気があるのはいいが、まぁ落ち着け。今日は最初だから、数をこなす必要はない。ただ、確実に、正確な時間に届けること――これが課題だ」
「正確な時間に?」
「そう、今日キミらにやってもらうのは、『時間指定便』の配達の一部だ」
グランディはそう言うや、棚から取ってきた城下の大きな地図を広げた。
それから、名前や届け先の場所が書かれたリストを見ながら、地図上に赤い駒を手早く置いていく。
「時間指定便というのは、その名の通り、書簡や荷物をお客様の指定した日時に届けるっていうサービスなんだ。商売をやってる人たちには好評でな、最近は時々、人手が足りなくなるのが欠点なんだが……そこを手伝ってもらおうと思う」
地図上に置かれた赤い駒が示しているのが、今日の午後に届けるお客さんのいる所だという。
王都ユウファをウェール城を中心として時計の文字盤に例えるなら、ユウファ中央想伝局があるのはちょうど六時の辺りで、届け先の多くは六時から九時付近の繁華街と、九時から十二時付近に点在している住宅街だ。
「サミルちゃんは王都へ来てどれくらいだ?」
「ええと……三週間くらいです」
「ということは、まだ王都の地理には慣れてない……か。セオ、お前は?」
「俺は王都出身なんで、全く問題ないです」
「うーむ。物は試しというし、今日はお前たち二人で回ってみるか?」
グランディの提案に、サミルは頷き、ホッとしたように息をつく。が、セオは首を横に振り、明らかな拒絶を示した。
「いえ、俺は一人で行きます。他人にペースを乱されて、大事な配達に遅れたくはないですから」
「そこまでハッキリ断言するか。じゃあ仕方ないな。サミルにはこの地図を貸してやるから、お前も一人で頑張ってみろ」
「……はい」
サミルはがくりと肩を落としながら、頷かざるを得なかった。
「何かあったら、近くの想伝局に声をかけるか、すぐに戻ってくること。わかったな?」
「はい!」
「はい……」
こうして、サミルとセオはそれぞれ三通の書簡を手に、初めての配達業務に飛び出したのだった。