第4章 *7*
ガイアの隣で、セオは今朝見たそのままの姿で不敵な笑みを浮かべていた。
「セオ!?」
伝えたかったのに伝えられなかった大切な想い……サミルは今もまさに思い出したそれが、涙になって溢れそうになるのを必死で堪えていたところだった。
が、セオの無事な姿を見た瞬間、そう問いかけられた瞬間、安心して箍が外れたように、うっかり溢れ出した。
「ええ、あるわよ、いーっぱい! 父さんなんて大嫌い! いっつも私と母さんを置いて仕事ばかりで、年に一度帰ってきたら謝るばっかりで、でもまたすぐいなくなっちゃうし。子どもを助けて死んだですって? そんなの、助けられた方は自分のせいで失われた命の重さを背負わされていい迷惑だわ! おまけに、私が想伝局員になったら帰ってくるって約束は破るし、母さんだって私には自分たちのこと全然何も教えてくれなかったし。伯母さんがいたことも、おじいちゃんがいたことも、どうして何も言わないまま――どうして皆、死んじゃったのよぉ……」
その想いに応えてくれる者は既にこの世には存在しない。そしてこの場にいる誰も、その応えは持っていない。
けれど、力いっぱい叫んでその場で泣き崩れそうになったサミルを、駆け寄ったセオが、その溢れた想いごとしっかりと受け止めた。
「そんだけデカイ声で叫べば、きっと届いてんじゃね?」
「……セオのバカ。バカ、バカ! 簡単に諦めたのはどっちよ!」
「悪かったな、心配かけて……」
と、その時再び、ヴァンゼスの部屋の扉が開いた。
白髪混じりの黒髪に深い紫の瞳をした男と、それを支えるようにして立っている灰藍色の髪に紅い瞳を持つ煌びやかな女――その二人こそ、ダグラス=ウェール王とその妃リリシアだった。
二人は入るなり、部屋にいた者たちを見渡し、何事かと目を見開いた。
「ヴァンゼス、これは一体どういうことですの? こんな夜更けに王と二人だけで見舞に来いというから来てみれば……」
「夜分にわざわざ申し訳ありません、母上、父上。面白いものをご覧入れようと思ってお呼びしたのですが……予想よりももっと面白いことになってきました」
ヴァンゼスはそう言うと、サミルの方へと視線を向けた。
その瞬間、セオとシェルスは彼女を守るようにサミルの前に立ちはだかり、ダグラス王とリリシア王妃はまるで幽霊でも見たかのように息をのんだ。
ガイアだけは唯一、微動だにせず、ことの成り行きを見守っている。
そしてサミルは、ダグラス王の首からかけられていたペンダントの先端、薄紅色の種に目を奪われていた。
つかの間の沈黙を破り、最初に口を開いたのは、ダグラス王だった。
「ラエル……? お前は、我が愛しきラエルではないのか?」
サミルをまっすぐに見つめ、ふらりと幽鬼のように一歩踏み出そうとした。が、ダグラス王を支えていたリリシアが、その腕を掴んで引き止める。
「あなた、あの女はとうの昔に死んだはずですわ! それなのにまだ……」
「ああ、愛している。こんなにも愛しているのに、なぜお前は私を置いて、姿を消してしまったんだ……」
その正気とは思えぬ発言に、セオがわずかに眉をひそめ、視線を逸らす。
ダグラス王はラエルが亡くなってから十六年、いまだにその死を受け入れることができないまま、また、セオのことを自分の息子だと認識したことは一度もなかった。
と、サミルは突然、セオを押しのけるようにして立ち上がると、ダグラス王に向かって歩き出した。
「おい、サミル?」
怪訝そうにその腕を掴んだセオを振り返り、「大丈夫だから」と手を離してもらう。
それから再び、ダグラス王へと向き直ると、サミルは穏やかな笑みを浮かべてこう告げた。
「私はラエルさんではありません。でも、彼女が貴方にずっと伝えて欲しかった『想い』を届けることならできます。だから、その胸元の種を、貸していただけませんか?」
「なん……だと?」
「何言ってるのよ、この娘は! ヴァンゼス、これは一体どういうことなのか、早く説明なさい!」
ヒステリックに喚いた妃に、ヴァンゼスがしれっと告げる。
「彼女は、見えないモノから『想い』を受け取り、それを人に伝えることができる――彩逢使だそうだ」
「なんですって!?」
ヴァンゼスの説明に目を剥いたリリシアの隣で、ダグラス王が反応した。正気ではないかもしれなかったが、サミルの求めているものが何であるか、察したらしい。あるいは、ラエルの想いが詰まった種が、ダグラスを動かしたのかもしれない。
「ああ、ラエル……お前は私を恨んでいるのかね――?」
首からかけていたペンダントを外すと、それをサミルに恐る恐る差し出した。
サミルはその種に手をかざすと、そっと目を閉じ、心を研ぎ澄ませる。
(ラエルさん、貴女の大切な想いは、サミル=シルヴァニアが責任を持って必ずダグラス王に伝えます――)
心の中で唱えるや、薄紅色の種から溢れんばかりのまばゆい光が生まれ、部屋中を白く包み込んだ。
刹那、その場にいた全員の目の前に、サミルとよく似た顔立ちの女性、ラエルの姿が現れた。
絹糸のように美しい、腰まで届くほどの銀髪からは、愛らしい猫耳が覗いている。
そして彼女の前には、若かりし頃のダグラス王が苦悶の表情を浮かべて立っている――それは十数年前の出来事のようだった。
『ラエル、なぜお前だけが城に残った? ガレスたちと逃げることもできただろう?』
『わたしは銀の獣人族の一人として、古に交わされた契約通り、この身のすべてを王家……いえ、ダグラス様に捧げるつもりで残りました。あの二人の分も、できることなら何でも致します。ですから……』
『二人を見逃して欲しい――というわけか。しかし、お前はそれでいいのか?』
『本望ですわ。わたしの幸せはここに……ダグラス様のお傍にいることですから』
『……なるほど、いいだろう。まぁ、ガレスには命を救われた時の借りもあることだしな、彩逢使など、代わりをまた探せば良かろう』
『あぁ……ありがとうございます、ダグラス様』
この後、たびたび会うようになった二人は深く愛し合うようになり――しかし、別れは突然訪れた。
代わりの彩逢使がみつからず、『託宣の種』を読み取ることができなかったその年、王都は原因不明の流行り病の襲われた。そして、ラエルもまた、出産後まもなく病に倒れ、そのまま息を引き取ったのだった。
映し出されたその過去に、ダグラス王は悔しげな表情を浮かべていた。
「すまなかった、ラエル……私があの時、『託宣の種』を読み解くために彩逢使を探しだしておれば、お前も、多くの民も、あんなことにはならなかったのに……」
託宣の種が病を予想していたのだとしたら、事前に対策が打てたかもしれなかったと、ダグラス王はずっと自分を責め続けていた。
しかし、それを否定するかのように、薄紅色の種が突然、芽を出した。そして勢いよく茎を伸ばし葉を広げ……やがて小さな紅い花を咲かせると、そこからラエルの声が聞こえてきた。
『――ダグラス様、貴方を残して逝った罪深き私を、どうかお許し下さい。そして私の死は、誰のせいでもありません。だからどうか、ご自分を責めないで――そしてどうか叶うならば、その優しく温かい愛を、私ではなく、今生きている者たちに注いであげてくださいませ』
その言葉に、そして紅い花に重なるようにして見えたラエルの笑顔に、ダグラス王の頬を一筋の涙が伝う。
しかし、種に込められていた想いは、それだけではなかった。
『――リリシア様。こんなことを言ったら笑われてしまうかもしれないけれど……私は、貴女と一度でいいから、ケンカではなく、ちゃんとお話がしてみたかったわ』
これには、リリシアは大きくため息をついた。
「……まったく、なんて苛め甲斐のない渋とい女だったこと。でも……」
憎んではいたけど、雑草のようにしなやかだったその姿勢だけは、認めてあげなくもないわね――と、苦い笑みを浮かべたリリシアは、心の中でそうつぶやいていた。
そして全ての想いを伝え終えたラエルは、満足げな笑みを浮かべて消えていった。
と同時に、部屋中を包んでいた光も消え、ダグラス王の手のひらの上には、紅玉色の種が一粒、キラキラと輝いていた――。




