第2章 *3*
「えーと……さっきのがイース地区で、この辺りがサズ地区?」
「逆だ、逆。まったく、物覚え悪い奴だな」
午後の配達業務に着いてすぐ、地図と町並みを見比べていたサミルの隣で、セオが盛大なため息をついた。
「あの……また付き合わせちゃってごめんなさい……」
「ああ、まったくだ。本当にそう思ってるなら、とっとと道を覚えて一人で回れるようになってくれ」
サミルのあまりの方向音痴っぷりからお客様に迷惑をかけることを案じたグランディは、配達効率が下がるのを承知で、しばらくの間、セオと二人で行動するようにと命じた。
サミルにとっては心強いし有り難かったが、セオが嫌そうな表情をしたのは言うまでもない。それでも、文句を言いながら助けてくれるセオはやはり優しいのだろう。
配達しながらサミルに道を覚えてもらうおうと思ったセオは、地区ごとの特徴や目印になる建物を彼女に丁寧に教えていった。
ウェール城の南側に広がるサズ地区は、雑貨屋など商売をしている家や、様々な学問の研究をしている王立学園があるため、生徒宛の家族からの書簡や、比較的大きな荷物の配達が多い場所といわれている。
そして今、いくつかの書簡と荷物を持った二人の向かう先が、イース地区。こちらは、王都の中で最も裕福な貴族や大商人などの邸が立ち並ぶ高級住宅街だった。
これに対し、サミルたちが昨夜から住み始めた辺り、小さな家々や田畑などが広がっているのが、城の北側にあるノウ地区である。
ユウファ中央想伝局が建っているのは、宿屋や泉湯、リルカの営む店や様々な飲食店が軒を連ねているウェド地区と、サズ地区との境、ウェール城へと続く大通りだ。
サミルはきょろきょろと周囲を見回しながら、足早に歩くセオのあとを追いかけていた。
(それにしても、王都には色々な人たちがいるんだな……)
サミルは歩きながら、改めてそのことに気づかされた。
さすが王都だけあって、詩樹大陸にある各国から、多くの人々が訪れているらしい。
もちろん、通行人の中で最も多いのは自国、黒髪と紫の瞳をもつウェール人なのだが、次いでよく見かけるのが、金髪と青い瞳をしたオトゥム人だった。
詩樹大陸の北東にあるオトゥム国は、広大な穀倉地帯をもつと同時に、商売上手が多いと言われている。
比較的のんびりとした性格の多いウェール人がオトゥム国へ行くと、その喋りの軽快さにつられて、財布が空っぽになるほど買い物してしまうと有名だ。
他にも、浅黒い肌と栗色の髪、碧の瞳をもつアエスタ人や、灰藍色の髪と紅い瞳が特徴のヒエムス人なども、ちらほらと見かけた。
しかし、それだけ様々な国の人を見かけたにも関わらず、獣の耳や尻尾をもった獣人の姿は、まだ一度も見ていない。
(もしかして、私と同じように、帽子で耳を隠したりするだけなのかしら……?)
髪や瞳、肌の色は、獣人だとしても、国ごとに異なる人間たちの特徴と同じだから、パッと見た目では判断できないはずなのだ。
ただ、サミルの持つ銀色の髪というのは、獣人の中でも極めてめずらしい特徴らしい。
当人にその自覚はあまりなかったが、その容姿は多くの人たちの興味を引き、密かに噂されるほどになっていた。
そんな配達の途中、サミルはあちこちで騒がれている『火事』の噂に反応していた。
どうやら昨夜遅く、イース地区にある邸から火の手が上がり、全焼したというのだ。
詳しい内容は、書簡の配達に伺った家の前で、集まって話していた奥様たちに聞くことができた。
「あんなに大きなお邸が一晩でみんな燃えつきちまうなんてねぇ……」
「そうそう、家族は全員無事だったらしいけど、逃げ遅れた使用人が、何人か亡くなったらしいじゃない」
「それが、放火なんですってよ。何でも、主人ともめごとを起こした使用人のひとりが、腹いせに油を撒いて火をつけたんだとか」
「まぁ、恐い話ですこと。ウチには使用人なんて雇うお金もないけど、そんなことされるくらいなら、居なくて良かったわ」
「それにしても、全財産失って、住むところがなくなったあの一家はどうなるのかしらねぇ……」
サミルはそうして語られている野次馬話に耳を澄ませて聞きながら、哀しげに目を伏せる。
けれども、立ち話には興味のないらしいセオに「行くぞ」と促され、サミルは歩き出す。
そして通りに出ようとしたまさにその時、耳に飛び込んできた内容に、サミルは目を見開いた。
「そういえば、あの家、まだ若い娘さんがいたわね、ほら、今年、想伝局員試験を受けたとか受けないとか……」
「そうそう、フィラナちゃんとかいう可愛いお嬢さんね。本当に、可哀想にねぇ」
「えっ!?」
(もしかして、家事があったのって、フィラナの家!? まさか、そんな!)
「……どうしよう」
突然立ち止まってつぶやいたサミルを、振り返ったセオは怪訝そうに見つめてくる。
「おい、いきなりなんだよ? 顔色悪いぞ?」
「……だって、どうしよう。友達が……」
「は? 友達がどうした?」
「火事になった家……私の友達の家みたいなの……」
想伝局員一次審査の会場で、隣の席になった一歳年下の少女、フィラナは、王都へ来たサミルにとって初めてできた大切な友人だった。
その友人の家が火事に遭って大変なことになっているのだとしたら、すぐにでも行って、何か助けられることがあれば助けたい。
(フィラナ、ケガはしてないかしら? もし悲しんで泣いていたら……)
サミルは友人として、何かできることはないかと考える。例え何もできなくとも、せめて傍にいて励ましてあげたいと思った。
(でも、もし……)
あの満月の夜、サミルが獣人であると知った瞬間から、彼女が自分のことを友人ではないと思っていたらと考えると、恐くて足がすくんだ。
「おい、とりあえず落ち着けって。今はまだ仕事中だってこと忘れるなよ」
「そ、そう、だよね……。配達、行かなきゃ、だよね」
「ああ。心配なら、さっさと仕事終わらせて、帰りにそいつんとこへ行ってやりゃいい」
力強いセオの言葉に、サミルは我に返って歩き出す。
(きっと、大丈夫だよね……?)
不安を抱えながらも無事に配達を全て終えた時、セオが不意に提案した。
「ちょうど、帰る途中だから、寄って様子を見てみるか?」
「……うん! ありがとう」
そうして二人は想伝局へ戻る途中、火事に遭った邸に立ち寄ってみた。
しかし、そこには無残に崩れた家の跡が痛々しく残されているのみで、周囲に人気はなく……焼け出された一家、そしてフィラナの行方を知っている者は誰もいないのだった。