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雨色  作者: 森本泉
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第八話

「一山あてよう会って具体的になにをしているんですか。」

「具体的に何をすべきかと言うことについて、みんなでああでもないこうでもないと議論している最中です。」

 恥ずかしながら火曜日の夕方に清野さんの公園に寄ってその後一緒に豊穣記に行くことが僕の習慣になってしまった。だから西くんや三浦さんはとっくに、その、気がついている。ありがたいことにみんな大人だからデリケートな問題にはノータッチで居てくれるんだけど、それにしても清野さんだ。

「清野は駄目だよ、油断してたら。」

 西くんが僕に言った。それは、多分「油断してたら他の男に取られるぞ」というようなことではなく、

「清野は鈍いから油断してたら永遠にこのまんまだぞ。」

 ということなんだと、僕は彼のゴーサインに見て取った。だからと言って僕も馬鹿みたいだけど、こうして毎週火曜日に仕事が終わるとのこのこ公園までやって来ているのだ。

 俺は自分で思っているより軽薄な男だったんだな、と僕は思う。理佐子さんと付き合っていた頃にこれほどの情熱を持った事があったろうか。あるはずが無い。それが分かっているからこそ、彼女もこんなに後腐れなく別れてくれたのだ。

「本当に、大人になるって素晴らしいですね。」

「水野晴朗さんですか?」

 僕が思わず一人ごちた言葉に清野さんは分かるような分からないような返事をしたのだった。

「そういえば清野さんはどういうスパンでここにいるんですか。」

 彼女は今日はしきりにペンチで針金を曲げたり巻いたりして、新しいオブジェを製作中だ。

「火曜日は必ず居る様にしてます。それ以外はまちまちですね。体調がいい日はなるべく外に出るようにしているんですけど、そうじゃない日もあるからなかなかこの日は絶対って決められないんです。」

「清野さんって、器用ですよね、やっぱり。どこで習ったんですか。」

 僕が触ってみたら針金自体は結構固くて曲がりにくいのだが、清野さんの手にあるそれはかなり従順になっていて、あっという間に真っ直ぐな針金が造形をされていく。

「大学のサークルです。こういう針金細工って実は江戸時代から続く伝統工芸なんですよ。ほら、今は滅多に無いけど、飴細工の職人さんとかと一緒です。露天でお客を集めてリクエストに答えて、ぱぱぱっと作ってしまうっていう、そういうものです。

 私もいつかそんなふうになりたいんです。今はまだへたくそで時間が掛かるからイベントで実演販売とか出来ないんですけど、目標です。まずは1作品5分以内で作れるようになりたいですね。」

「そのとっかかりが一山あてよう会なんですね。」

「自分のやりたいことを仕事にするのって本当に大変なんだって西くんが言ってました。」

「バーでピアノ弾くのっていくらくらいするんですかね。」

「あんまりもらえないみたいですよ。6時から2時まで働いて5000円ですって。それを週に3日やってるんです。それだけじゃ一人でやっていけないから、日中は介護タクシーの運転手もやってるんですよ。」

「介護タクシーってどんな仕事なんですっけ。」

「ええとですね、なんでもおじいさんおばあさんの家と契約しておいて、病院に行ったり買い物に行ったりするのの送り迎えするらしいですよ。一人暮らしのお年寄りとかは大変なんですって、そういうこと。この辺はバスや電車なんて宛てになりませんからね。

 それで、かくしゃくとした人ならいいですけど、結構よぼよぼのおばあちゃんとかだったら乗せたり下ろしたりするのも難しいんですって。コツがいるんですって。だから西くん、ヘルパーの資格取りなさいって会社の社長さんから言われてるんです。」

「ちょっと待ってください、じゃあ西くんは昼間普通に働いて、時々夜はバーでも仕事して、で空いた時間はヘルパーの勉強してるんですか。」

 すげえな。と僕は思った。自分がダブルワークをしていた頃の経験があるので、西くんのしんどさは分かるつもりだった。

「大丈夫、ヒトナくん。西くんは空いた時間は楽器弾いてますから。」

「一体いつそんな時間があるんですか。」

「仕事の暇な時とか、バーの次の日非番の日なんか一晩中弾いてるんですよ。駄目なんですよあの人は。トリツカレてますから。楽器に。魅入られてるんです。

 時々朝一にメール入ってたりして、見てみたら西くんで、あほみたいなメールですよ。

夜中の3時くらいに『俺は今楽器という媒介を通じてこの世界の中心とリンクしている。分かるか、清野。この美しい世界が。きみに届け』

とかって入ってるもんですから、朝からおっかしくって。」

僕は西くんが夜中の3時に清野さんにメールしちゃえるんだと思って心情穏やかではなかった。

「一人で河原でウクレレとか弾いててテンション上がっちゃうんです。夜中の3時ですよ、西くん職質されたことだってあるんですから。」

 分かる。西くんだったらそのくらいへっちゃらでやってしまうだろう。彼の頭の中には音楽と楽器しかないのだ。僕は清野さんがどうとかじゃなくて、彼のそういうところにちょっと羨望の気持ちを覚える。

「西くんはイベントとか、例えば老人ホームの慰問とかはしないんですか?」

「そういう営業ってどうやったらいいんですかね。」

「西くんみたいな人が行ってあげたらいいと思いますよ。僕もちょっとしたボランティアで老人ホームで働いたことがあったんです。慰問で来るバンドとか歌手の人ってね、やる気無いんです。ぜんぜん。顔とか声に出てるんですよ。

 みんな上ばっかり見てるからでしょうね。おれは本当だったらこんなところで歌なんか歌ってる人間じゃないんだってね。売れない演歌歌手とかがやらされるんでしょ、ああいうの。西くんだったらいいんじゃないかな。あんまり上手くなくても、素人でも、楽しく演奏してくれる人のほうがいいじゃないですか。西くんそういうのやったらいいのに。」

「でもそういう人ってキャラが出来てないといけないですね。西くんわりとキャラ無しだから。もっと濃いのを作っていかないといけないですよね。」

 清野さんは芸能について急に考え出した様子だった。

「清野さんもコラボすればいいじゃないですか。」

 僕は言った。

「コラボ?私が?え。どんな風にすればいいんですか。」

「だからね。西くんがアコーディオン漫談とかやりながら清野さんが針金細工作るんですよ。お題に合わせたものとか。あるいはお客さんの注文を受けて針金を作って、作ってる間西くんが音楽とトークで間を繋ぐとか。そういう夫婦芸人がいたんですよ。」

「あ、あー。おしどり!なるほどああいう感じですね。でも先人がいるからにはこの世界のてっぺんは取れないですよね。」

「一山あてよう会はてっぺんを狙っているんですか?」

「いえ、そういうわけでは。そっか、そういうのも面白そう。そっか。となるととかちゃんにニットでステージ衣装を作ってもらったりして…。」

「とかちゃん?」

「ニット作家の渡嘉敷さんです。これを作ってくれたこ。」

 トレードマークとして定着した、うんこ巻貝帽子。

「いいじゃないですか。二人で茶色と緑のうんこを頭に乗っけて、抹茶とチョコのソフトクリームだって言い張ればいいんです。保育園とか行ったら子供は大喜びですよ。」

「酷い、ヒトナくん。これは巻貝だって何度も言っているのに。それに発想が卑しいなあ。そんなことしたらそのこたちはソフトクリーム屋さんに行く度に

『おとうさんうんこ買って!』

 って言い出してソフトクリーム屋さんが商売上がったりじゃないですか。」

 清野さんは結構本気で怒っていた。

「すいません。冗談、失言でした。あやまります。」

 清野さんは答えてくれなくて、さっきまで作っていた針金細工をなんだか滅多やたらにいじり始めた。

 ちょっとしつこく刺激しすぎたのかな。と僕は後悔した。確かに巻貝はうんこにしかみえないんだけど、清野さんにしてみたらこう何度も同じところを突かれるとだんだん腹も立つのかもしれない。

 しばらく僕たちは通りに向かって並んで座りながら、何も言葉を交わさなかった。清野さんは、完全に怒っているようにも思える。しかしだからこそ僕はここで勇気を振り絞るべきじゃないのかと思った。立ち上がれ、俺。言え、いうんだ。

「謝罪します。僕の失言でした。清野さん、お詫びの心を込めて僕がおごりますから、今度どっかに行きませんか。」

 言った。理佐子さんを除くなら女の子をデートに誘うのはなんと人生初である。河上仁名30歳、冬。勇気を出して初めてのデート、なるか?

「どこに行くんですか。」

 よし。食いついた。

「車は持ってないですけど、電車移動でいいんならどこでも清野さんの行きたいところに連れて行ってあげます。」

「ほんとですか。じゃあ近代美術館に森村泰昌展見に行きたいです。」

「なんですか、それは。」

「私が今一番注目しているアーティストです。K市の近代美術館に今個展が来てるみたいだから、行って見たいけどちょっと遠いなと思ってたんですよ。」

 つれてってくれるんですか。と清野さんが言った。

「分かりました。清野さん木曜日の予定って大丈夫ですか。」

「私は自宅警備員ですので基本的にいつも大丈夫です。」

「うん。いろいろと大丈夫じゃないですね。自宅警備員が遠出してもいいんですか。」

「そこはそれ。たまには生き抜きということで。」

 清野さんが花束みたいに笑った。

 夜中の3時にウクレレを抱きしめた西くんが見たであろう星空を、僕も今見ている気がした。今だったら僕は彼と物凄く分かり合える。僕は綺羅星燃える夜空に向かって高々とガッツポーズした。やった。

 清野さんとデートだ。


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