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雨色  作者: 森本泉
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第七話

 休みの日の木曜日、僕はもう一度豊穣記に向かっていた。昼ごはんを食べようと思ったのだ。こないだ食べた炒飯は美味しかった。あれがディスカウントの投遣りな食材から作られているんなら、三浦さんはやはりなかなかの腕前なんだろう。僕は三浦さんの味が気に入った。だからもう一度行って見ることにした。

「いらっしゃいませ。ああ。こんにちは。ヒトナくん。」

 12時丁度に行ったらお客は他に誰もいなくて、三浦さんは台布巾でテーブルを拭いていた。

「お客さん第一号。開店は12時なんですよ。ありがとうございます。」

「こないだの炒飯美味しかったからまた来ました。」

「うわあ。嬉しいな。そう言ってもらえるのが一番嬉しいんですよ、しがない料理人にはね。今日は食事でいいですか?」

 三浦さんはお好きなところにどうぞ、と言って台布巾をしまいに行った。

「なんにしましょう。」

 三浦さんが湯のみに入ったお茶を持ってきてくれた。

「ありがとうございます。ええと、こないだ西くんが食べていたハンバーグをお願いしたいんですが。」

「ああ。すいません、今日はメンチカツにしようかと思っていて…。」

「そうですか。じゃあどうしようかな。」

 テーブル上にメニューらしきものは無かった。

「その日のあるもので毎日作るものが違うんですよ。定番メニューはあるにはあるんですけどね。」

「じゃあすいません、何が出来ますか。」

「いいですよ。ヒトナくん特別にハンバーグにしますから。前回のおから入りじゃなくて普通のハンバーグになりますけどいいですか。」

「僕はいいですけど、でも、いいんですか?」

「中身は一緒ですから。今ちょっとおから切らしてますけど。おからは足が速いんですよ。私は臨機応変を旨としてやってます。お客のリクエストに応えるのが本当の料理人ですから。」

 そう言って三浦さんはキッチンに引っ込んで行った。ややもしてフライパンに油が跳ねる賑やかな音が聞こえ出した。

「ののちゃんたちね、サークル結成するって張り切ってますよ。」

 三浦さんが大きな声で言った。

「すいません、なんですか。」

 僕は他にお客が居なかったので気兼ねがなく、キッチンで仕事をしている三浦さんのところに歩いていった。

「ののちゃんたちがね、ものづくりのサークルを開くんですって。ののちゃんと、西くんとあとは編み物やってる女の子と焼き菓子を作っている女の子と。今はその4人ですって。」

「ものづくりのサークルって、大学のみたいな?」

「多いんです、この辺りはわりと。趣味でいろいろやってたんだけどそれを仕事にしていきたいな、でも資金的にその他いろいろにちょっと無理だなって子が。みんな30代くらいです。うちの店によく来るんですよ、そういう子たちが。で、みんなで集まって話してるうちに、なんかヒートアップしちゃって。」

 三浦さんはフライパンの中身を確認しながらくくくっと笑った。

「『一山あてよう会』って言うんですって。もー誰が考えたのそんな名前、って言ったら、みんなで話し合ってる間にこれしかないって決まっちゃったんですって。可笑しいでしょ。」

 三浦さんはさすがプロだから、口をあけて笑ったりしなかった。今はまな板で何か根菜を切っている。かなり使い込まれたまな板だった。きっと三浦さんの越し方を全部知っているまな板なんだろう。

「一山あてようね。当たりますかね。そんな簡単に。」

「さあ。どうでしょうか。難しいでしょうね。素人が急に物販っていってもね。でもみんなとにかくやってみたい、っていう気持ちのほうが強いみたい。ノープランで走り出せ、がコンセプトなんだって。ちょっとうらやましくなります、みんなを見ていると。」

 三浦さんは味噌汁を作っていた。

「私はもう結構年ですからね。今から人生を方向転換ってわけにも行きません。現状を維持しようと思ったらこの店を続けていくしかないですからね。そう思うとなかなか冒険もできなくなりました。

 今かなり自由してるつもりですけどね。でも不自由なことも感じています。特に食材が。あるもので作っているとね。作りたいものも作れないことがあります。それでお客さんのリクエストに応えられなかったり。

 それに私は、ほら言ったでしょ、敢てよくない食材を使っているんです。同業者からは割りと不評なんですよ。料理人の風上にもおけないって。材料を吟味することも料理人の技量の1つなんだって、叱られることもあるんです。それに、安い材料な分私は価格も安く抑えられますからね。その辺も、ちょっと評判が良くないんです。」

「三浦さんもいろいろと大変なんですね。」

「でも、ずっとずっとやりたかったことだから平気、大丈夫です。」

 三浦さんの自信に満ちた横顔。僕はまたしても胸が悪くなるようだった。

「そういうの。なんでなのかな。みんなすごいなと思うんです。僕そういう体験無いんです。やりたいことなんて、何も無かった。」

「そうなの?」

 白味噌いやじゃないですか、と三浦さんから聞かれたので、僕は大丈夫だ、と答えた。

「ヒトナくんはどんな仕事をしているんですか。」

「コンビニ店員です。」

「なるほど。」

「将来の夢がコンビニ店員、という訳だったんじゃないんです。大学を出るときに上手く就職できなくて、生活していくためにバイト始めたんです。止める理由も無かったからそのまま続けて社員になりました。収入は多くないですけど一人でやっていくにはそこそこです。

だけど、本当に僕には無かったんです、今まで。何がやりたいかって。将来何になりたいかなんて。子どもの頃からずっと。何かにはなるだろうなと思ってただけでした。でも今すごく自信がないんです。僕は何かになったんだろうかって。」

「ヒトナくん、ハンバーグもうすぐで出来ますから。」

 三浦さんがそう言った。僕は仕事中の人にだらだら話しかけてしまったことの失礼を今更感じた。なのではい、と返事して自分のテーブルに帰る。

「おまちどうさまでした。特性ハンバーグ定食です。」

 ハンバーグはぷありと膨らんで大きく、チョコレート色のソースがたっぷりと掛かっている。皿の端には焼いたニンジンとブロッコリー、小皿のお新香と蕪の味噌汁、それから炊き立てご飯。

「いただきます。」

 僕は塗り箸を取って食べ始めた。なんだか今まで食べたことの無い風味だった。

「なんか、独特ですね。」

 ふふふ、と三浦さんがフライパンを濯ぎながら笑う。

「あのね、ニンジンの葉っぱを刻んだのを少し入れてるんです。ハーブの代わりになるんですよ。癖になりそうでしょ。」

「なるほど。そうなんですか。」

 丁度お腹も空いていたし、ハンバーグは柔らかく焼けていて美味しかったので僕は無言で箸を動かした。近所の常連らしいおばさんたちがどやどやとやってきたので、三浦さんも忙しくなったようだった。

「ごちそうさまでした。」

 新しく入れてもらった玄米茶を飲んだ後、僕は会計するべくキッチンの三浦さんに声を掛けた。

「ヒトナくんはちゃんといただきます、ごちそうさまが言えるからえらいですね。」

 なんて言われるので僕はちょっと恥ずかしかった。財布から1000円出して三浦さんに渡す。

「300円のお返しです。ヒトナくんも、一山あてよう会に入ってみたらどうですか。」

「え。」

 僕は三浦さんがなんでそんなこと言うのか分からなかった。さっき僕が話したことを、この人はどう聞いていたんだろうか。

「いや。だから僕は何も作ったりしないし、何かをやりたいと思ったこともなかったんで、だから、」

「そういう人材も必要なんじゃないかなと思うんです。」

 三浦さんはしばらく立って布巾で手をぬぐっている。

「同じ目的ばかりで集まっている集団ってね、結束は強くなるかもしれないけど結構構造的にもろくなることもあるんですよ。やりたいことばっかりに目を向けてしまって、他が見えなくなるということが往々にしてある。みんなまだ若いし。

 ぜんぜん別の視点を持っている人間の存在っていうのも大切なんです。人間も集団も時々は換気しないとね。これが一点。それにまあ、ヒトナくん、とにかくののちゃん達と絡んでごらんなさいよ。君にとってもね、絶対悪い人達じゃないと思う。刺激受けて御覧なさいな。」

 三浦さんにそんなことを言われて、僕はついはあ、なんて意味の無い返事をしてしまった。


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