第四話
清野さんがどんなスパンで活動しているのか僕は分からなかった。もらった名刺には本当に名前しか書かれていなかった。裏返すと「針金細工を作って売っています。」と説明にもなっていないようなデータしか分からない。僕が清野さんについて新しく知りえることは何も無かった。
だから僕は、もう一度同じ時間にあの時の場所に行ってみることにした。商店街の交差点の、公園みたいになっている場所。
仕事が終わった僕が自転車を漕いでいくと、いつしかどこからか、耳覚えのある音色が聞こえてきた。人間の声じゃなくて何かの楽器。録音されたものじゃない生の音、商店街の放送ではない。誰かが楽器を演奏している。それは目的を目指すごとに近づいてくる。
「あ。」
清野さんははたして先週のように同じ場所に座っていた。しかし先週とは若干違っていることもあった。
「ヒトナくんだ。又来てくれたんだ。ありがとう。うれしいな。」
清野さんは花が咲いた様ににかっと笑った。花畑のような人だ、と僕は思った。でも僕の方はなんというか、そんなに笑える気分でもなかった。
「どうもっす。」
清野さんの隣に同じように折りたたみ椅子を出して。アコーディオンを奏でている男がいたのだ。ベストにハンチングを身につけた、髭面の骨っぽいイケメンだった。僕はなんとなく居心地が悪くなった。
「今日は音楽をやっている友達とコラボしました。」
西くんです、と清野さんが言った。今日もあの巻貝帽子を被っていた。こちらは先週のお客さんのヒトナくん。
「ういっす。」
「先週の帽子作戦は結構うまく行ったんですけどね。人目を引こうと思ったらおんなじことしててもいけませんから。音楽していると何かなって足を止めやすいでしょ。大道芸のあの感じです。」
「音楽やっているというか、俺は楽器が好きなだけなんだけどね。」
とその西くんが言った。アコーディオンのふいごを開いたり閉じたりしながら。かすれた音を立てている。よく見るとそれは僕たちが学校で使っていたようなちゃちものではない。鍵盤の形が布雑で、数も多い、きっとプロ仕様なんだろうと僕は思った。
まったくの偏見でまったくのやっかみなんだけど、僕は音楽でもスポーツでもめったやたらにこだわりがある男を信用してない。自分がそうなれなかったからというだけだ。子どもっぽい嫉妬なのだった。
そして今この男が清野さんの隣に座っていることについて、何もそんなに近くに座らなくてもいいんじゃないのか。と下らないことを思っていた。
「楽器フェチなんです。触ってるのが好きなんだ。手に取ると手放したくなくなるからずっと弾いてるんですよ。だからって作曲のスキルがあるわけじゃないんで。」
「そんなことはない。西くんの曲は素晴らしいよ。」
と清野さんが言ったので僕は少しいらっとなった。
「CD焼いたりしたらいいのに。そして私と一緒にここで売ったらいいのよ。」
「いやあ。どうだろうな。今音楽って頭打ちだからな。下手に媒体化して在庫抱えるのって辛いんだよなあ。」
「そもそもからして、路上で簡単に販売って出来るんですか。今いろいろと厳しいんじゃないですっけ。取締りとか。道路交通法とか。」
僕は先週から心配していたことを言った。露天とか屋台の営業はいまどんどん締め付けがきつくなって行っている。
「そこは大丈夫です。」
と清野さんが自信満々で言った。
「なんとここは公園を見せかけて、私有地なんです。」
じゃーん、と言って清野さんは両手を大きく広げて見せた。
「そうなんですか?」
「元はお店が建ってたんですよ。でも何年か前に店主が夜逃げしちゃってその後不審火で半壊しちゃったそうです。大家さんがその後更地にして今に至っています。その大家さんという人が、私の遠い親戚なのです。」
と清野さんは説明してくれた。
「私が針金をやっているのをおじさんが知って。良かったらここ使ってみろと教えてくれたんです。店舗と同じ扱いです。路上で販売しているわけではないので、警察も何も言えません。」
「あの、あっちの方、ブランコとか小屋とかありますけど。」
「それはおじさんが暇だったから趣味で作ったんです。だからいっそのこと公園に見えちゃうんですけどね。そう言えばヒトナくん、彼女さんは気に入ってもらえましたか。」
清野さんが痛いところを付いて来た。ごまかしても意味の無いことなので僕は事実を語った。
「実は振られてしましました。」
振った、の方が正確なのか。
「えー。まさかネックレスが気に入らなくて?お気に召さなくて喧嘩に。どうしましょう。私ったら責任重大。」
「いえ大丈夫です。まったくそういうわけではありません。」
お詫びに飲みませんか、と言って清野さんがポットの中身をコップに注いでくれた。全然大丈夫ですけど、ありがとうございます。僕が受け取るとのその変った色の液体はとても香ばしい匂いがした。
「牛蒡茶なんです。」
「へえ。今流行ってるやつ。」
「うちの母が新し物好きで、自分ちで牛蒡干して作ったんです。なかなかいいでしょ。これでお茶漬けにしてもいいんですよ。」
「おいしいです。」
西くんがけだるいビブラートを長く弾いて演奏を止めた。隣の清野さんはぱんぱんとオペラハウスでするみたいな立派な拍手をした。
「おれのこの素晴らしい演奏に誰も脚を止めないな。」
気障なやつだ。と僕は思った。でも言葉は気障だったんだけど、言っている西くんの表情は至ってマイペースで、苛立ちや高飛車な感じは言葉尻にまったく無いのだった。楽器が好きなんだ、という彼の言葉は彼の純然たる本心なんだろうと僕は思った。
「歌とか歌わないんですか。」
僕はなんとなく聞いてみた。
「いや、だめだめ。俺の声は駄目なんです。一人の時は歌ったりするけどね。声が駄目な奴が歌に手を出そうとするともうほんと駄目だよ。それに俺はあんまり歌詞が書けないんです。」
「難しいもんねえ。言語は。」
「俺高校の現国、はなばなしい1だったんだもん。楽器やってるだけで精一杯だったんだ。仕方ねえよ。」
僕が仕事を終わったのが4時半だったので、道端でだらだら話しているうちに辺りはだんだん暗くなって行った。
「清野、もう寒くなったからそろそろ片付けて三浦さんとこ行かないか。」
「うん。そうだね。あーあ。やっぱりあんまり売れないなあ。せっかく今日は西くんにも来てもらったのにね。」
清野さんが布の上に広がっているアクセサリーを1つ1つ布切れに包み出した。タオルの切れ端らしい。包んだものは後ろに置いていた小さなトランクに詰めていく。
「じゃあ僕はこれで。ごちそさまでした。」
僕は布の上に清野さんがくれたコップを戻して自転車のスタンドを上げた。
「ヒトナくん、ご飯ってどうします?」
そしたら清野さんが思いがけないことを聞いた。
「ご飯って。うちに帰って適当に食いますけど。」
「一人暮らしですか?」
「そうですけど。」
「良かったら一緒に来ませんか。」
なんて言うのだ。僕は急に後ろから大きな誰かに脇を掴まれてぐっと持ち上げられたような気がした。体が軽くなる。
「え、でも。」
「美味しいご飯やさんなんです。お友達をひとり連れて行くとドリンクサービスになりますから、行きませんか。」
と、例の花畑みたいな笑顔。清野さん、ずるいです。そんな風に笑われたら大抵の男は断れません。
「はい。」
と僕は応じた。
「やった。ジンジャーエールが飲める。」
と西くんが言った。




