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雨色  作者: 森本泉
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第十話

「明けましておめでとう。」

 今年もよろしく。と言ったのは三浦さんではなかった。12時15分の豊穣記には、すでに西くんがいて昼ごはんを食べていた。

「どうも。お久しぶり。」

 と僕は言った。

「何食べてるの。今日は何があるの?」

「これ、肉味噌餡かけ炒飯の餡かけを焼きソバにしてもらったやつ。美味いよ。麺にも合うよ。」

「じゃあ僕もそれにしよう。三浦さん。西くんと同じもの、僕もお願いします。」

 まねしいだね、とキッチンの三浦さんが言う。

「肉味噌餡かけは受けるねえ。今年はまめに出そうかしら。」

「三浦さんも、今年もよろしくお願いします。」

「ありがとう。こちらこそごひいきに。」

 ここ座っていいか。と聞くと西くんは口いっぱい焼きソバを啜りながら頷いたので、僕は西くんが使っていた二人がけの反対の椅子に座った。

「清野、あれから寝込んでいるんだ。」

 湯のみのお茶を口に運ぼうとしたら、西くんに思いがけないことを言われて僕は固まった。お茶をこぼさないぎりぎりだった。

「清野さんが。何処か悪いのか。」

「悪いって言ったら悪いんだけどな。でも寝込むこと事態はそんな珍しいわけじゃないんだ。」

「清野さん、体が弱いのか?」

 そんな風には見えなかった。

「体が弱い、てことになるのかな。それほど重い症状ではないけどそれほど軽い症状でもない、という感じだ。清野は20の時に付き合ってた奴に妊娠させられてその子どもを流産したんだ。結構やばい流産だったらしい。清野も危なかったんだ。で、そのばたばたの時にその彼氏にも捨てられてるんだ、清野。

 それ以来10年くらいだけど、体調が恢復しなくて清野は寝たり起きたりの生活してるらしい。ホルモン異常になってるって話だ。でも多分精神的なこともあるんだな。清野はあれで何気にトラウマ抱えてんだ。それ以来誰とも付き合ったことが無いみたいだし。」

 西くんの言葉はあまりに唐突だった。僕はそれになんと言って答えたらいいのか分からなかった。だから黙っていた。自分が間違った返事をするのが怖かった。

「俺は清野とここ5年くらいの友達なんだけど、清野ってこの話誰にでも言うんだよな。自分で自分をちゃかして、自分の人生に深刻なことは起きなかったって思いたいって言う、なんかそういう病気らしい。それなりに無理してるんだ。

 俺は思うんだけど、清野って頑張りすぎちゃうんだよな。あいつは自分が立ち止まってしまうのが怖いんだよ。なんにもやることが無くなったら昔にあったことを思い出すからじゃないのかな。忘れられたら清野も楽になるんだろうけど、なかなかそうもいかないみたいだ。

 清野は、動けるときにエネルギーを使いすぎるんだ。一山あてよう会も実はそれの一環でさ。ああ、そろそろ無理しだしたなって俺は思ってたんだ。で、案の定ってわけ。一回寝込むと最大3ヶ月くらいは寝たきりなんだ、あいつは。それで、ここ何年かは無職。前は会社員やってたらしいけど。その時も仕事に力かけすぎて最終的に倒れちゃうんだよ。それで首。何度かそういうの繰り返したみたいだ。今は実家のお兄さんが仕事させたがらないらしいよ。」

「その話、僕が聞いてもよかったのかな。」

「ヒトナくん清野のこと好きだろ。」

 と西くんが聞いた。僕は答えるのもしゃくだったので黙っていた。

「俺さ、清野と4、5年の付き合いでそんなに仲いい訳じゃないんだけど、あいつこのまま一生恋愛出来なかったらそりゃないよなと思ってたんだ。清野ももう一回誰か好きになれたらいいんじゃねえかなって思ってたんだ。まあ、あいつにしてみたら余計なお世話だろうけど。

 俺はヒトナくんが清野のこと好きなんだろうなって思ってたからな。うまく行けばいいと俺は思ってたんだ。俺なんかから見ても、かわいそうなんだよ。もうこれ以上生きてても自分にいいことなんてなんにも無いって言うんだ。精神の具合が悪い時は、そういうメールが来る。俺その度に何言ってんだろうなこいつはって思って。そんなことねえんだ、って言ってやりたいんだけど、おれがなんか言ったって説得力ないんだし、誰か清野にそういうこと信じさせてやる奴が現れねえかなって思ってたんだ。」

「西くんこそさ。清野さんのことすごく考えてるじゃないか。」

「俺、清野にちょっと恩を感じてることがある。」

 はいヒトナくん、肉味噌餡かけ焼きソバおまちどうさま。僕と西くんがずっと話しこんでいるの見て、三浦さんは焼きソバの皿だけ置いてすぐ去って行った。

「昔はプロでやって行きたいと思ってたんだ。4、5年くらい前までかな。俺は絶対、音楽しかやりたいことが無い。だから絶対この道でものになるんだって。バンドに入ったり路上で弾き語りとかやってたんだ。

 でも、当然そんなにうまく行くはずないだろ。オーディションなんか受けてもさ、ぼろくそに言われるだけなんだ。誰も見向きもしてくれないんだ。自信なくした。その時。もう俺は音楽は諦めようと思った時期があったんだ。だからこれが最後の一回、これが最後で後は普通に就職するから、今日は朝まで歌うぞって思ってギター持って駅前で歌ってたんだ。

 立ち止まってくれる奴なんて居ないわな。でもその時清野が居たんだ。なんか、さっきから女の子がずっと居るなとは思ってたんだけど。俺夜の10時くらいまで歌ってて、結構エンドレスで、さすがに疲れてなんか飲みてえなと思って一回演奏止めたら、清野拍手してくれて言ったんだ。『ギターって楽しいの?』ってさ。君はすごく楽しそうにギター弾いてるんですねって言われたんだ。

 はたと我に返ったってやつだな。一生に一回あるかないか位の体験だったと思う。俺は楽器やってるのが楽しいんだって。そこがスタートラインで終始一貫してそれだけだったじゃねえかって。思い出したんだ。なんで俺は音楽を止めようと思ってるんだ。そんなことする必要ないじゃないかって。働きはするんだけどさ。でも何も音楽止めるこたねえ。俺はこれからも楽器やるんだ。俺楽器好きだからって。」

 そういう単純なことなんだ。清野さんも深く意識していなかったと思う。でもその時清野さんが西くんの欲しいところにボールを投げたんだ。そしてボールを受け取った方はそのことを一生忘れない。そういうものなんだ。僕も、西くんも。

「でも具合悪くしてるってことは心配だな。病院とか行ってるの。」

「婦人病の薬は処方してもらってるって言ってたな。でもこういう慢性疾患ってのは難しいんだってよ。完全に治す、っていうよりはこれ以上悪くしないようにしか出来ないらしいんだ。」

 冷めちゃうよ。と西くんが言ったので、僕は自分がここに昼ごはんを食べに来て、目の前に今焼きソバの皿があるということを思い出した。

「三浦さん、いただきます。」

 と言って僕は塗り箸を取った。餡かけはまだほっかりと温かかった。


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