死に至るまでについての考察
死ぬことを恐れている人は割といる。
忌み嫌い、宗教としてすら成り立っている。
ただここで考えてみたことがある。
そもそも死は苦しいものなのか?
客観的に見たとき、苦しそうに見える人の死に方を見ていると、可哀想だとか苦しそうと感じて、自分はこうなりたくないとか、自分も将来的にこうなるのだと恐れる。
しかし、それは死んだ当事者に直接聞かないと観察出来ない事実である。
どこかの動画では、『死ぬときはセックスの100倍から200倍気持ちいい』という馬鹿馬鹿しいものを見た。
それはないだろう。
そう思った。
ただ、斬新だと感じた。
今まで死は苦しく辛いものだという思い込みを、あやふやにしてくれたような気がした。
それで特別死んでみたいなどとは思わないが、気持ちの持ちようとして、楽になったのだ。
別の視点で捉えたものの見方は重要だ。
まるで大半の病死者が安らかに、あるいは気持ちよく死んでいったのではないかと錯覚出来た。
死すらも辛くないのであれば、生きている間のあらゆる現実は、本当に些細なものだと感じるのだ。
死が辛くないならば、この現実は、例えるならば夢のようなものなのかもしれない。
死んでさっぱりするまでに、色んなことを知り、経験し、判断する。
上手く言えないが、死ぬ時に見る走馬灯が、最後の時に強く自分を支配する感情になるのかもしれないということだ。
死ぬまでにいいことをすれば楽に死ねるとは限らない。
要はどういう判断で決意し行動したことならば、納得がいくかということである。
それに満足し、気楽でいられることが大切なのかもしれない。
考察終わり。
そそるような艶っぽさも、ハラハラする展開もなく、終わりである。