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5th tale The surface of mind

・ある少女の回想 一



 家の近くの住宅街を私は歩く。

 夏にはつつじの咲く公園を横切って、秋には紅葉が眩しい並木道を通り過ぎると、この辺りにいくつか存在する小学校の内の一つ。私の通う小学校が建っている。

 朝の通学路は私と同じように学校へ向かう子供がたくさんいて。方向が同じだからか、中学生や高校生の姿もまばらに見える。

 先生やお母さんに教えられた通り、きちんと挨拶をしながら私は毎朝登校する。

 私の家はいわゆるお金持ちではあるけれど、私の通うこの小学校は普通の公立小学校だ。

 学費も施設も、普通の。

 私は私立でも公立でもどちらでも構わなかったけど、私立に通おうとするとどうしても引っ越しをするしかなくなってしまうらしく。お父さんもお母さんも今の家から離れたくなさそうだったから、私はこの小学校に行きたいと二人に言ったのだった。

 先生が立っている校門を通り、下駄箱で靴と上履きを履き替えて、クラスに入って席に着いた。

 友達が何人か挨拶をしてくれて、私は今日という一日に期待を寄せる。

 何てことはない、普段通りの一日。だけど、普段通りなら楽しいはず。

 あの頃の私は、学校に来るのが好きだった。家にいると、どうしても私は辛くなってしまうから。


「おはよう」


 友達と話す私に挨拶してくれた子が一人。そばかすの目立つ女の子。

 何故かあの時体操服を着ていた彼女は、おどおどした仕草が印象的だった。


「おはよう。崎山さん」


 私が挨拶を返すと、崎山さんは嬉しそうに笑ってくれた。

 余り話したことはなかったけれど、きっといい人に違いない。

 なんだか仲良くなれそうで、新しい友達の予感に私は嬉しくて。

 落ち着かない気持ちを、ランドセルにぶら下げたぬいぐるみを撫でて落ち着かせようとしたけれど。結局気持ちは収まらないまま、ついつい笑ってしまう顔を頑張って引き締めた。

 先生がクラスに入ってきて、朝のホームルームが始まって。私は崎山さんの方をちらりと見た。すると、崎山さんもこっちを見てくれて。なんだか嬉しくて、私は顔を赤くして先生の方に目を戻した。

 なんて平和だっただろう。あの頃の、何も知らなかった私に見えていた世界は。

 ただ、馬鹿みたいに両親や先生の言うような、“良い子”になろうとしていたあの頃の私は。

 崎山さんの髪がびしょびしょに濡れていたことにも、一つの疑問も抱けなかった。

 現実を知らない子供であった自分を、今では恥ずかしく思い、強く軽蔑する。






5th tale The surface of mind






「ねえ、お婆ちゃん。遊んで。遊んで!」


「今お昼ご飯作ってるから、もうちょっと待っててね」


「遊んで!遊んで!!」


 困った顔で私の相手をするお婆ちゃん。私がまだ小さかった頃、大好きなお婆ちゃんが中々遊んでくれなくて、私は苛立っていた。

 何度呼んでもお婆ちゃんは調理の手を緩めない。そうめんを茹でて、具を刻んで。私はついに我慢の限界を迎えた。


「馬鹿!馬鹿、お婆ちゃん嫌い!!」


「あ、椎菜!」


 お婆ちゃんの足を蹴って、廊下を必死に走って私は逃げる。

 古びた縁側を飛び出して、庭の植木鉢が置かれた園芸棚の裏に隠れた。お婆ちゃんが怒って追いかけて来はしないだろうかと、恐る恐る覗いてみたけれど、そんな様子は全くない。

 私がほっとして、そろりそろりと出ていこうとした時だ。棚に置かれた盆栽が一つ、私の肩に当たって大きな破砕音を立てて砕け散った。

 私の足下には割れた植木鉢と飛び散った土、そして根っこまで外気に曝されてしまっている小さな松の木。

 お婆ちゃんの大事に育てていた盆栽のなれの果て。

 私は目の前が真っ暗になりそうになりながら、松をなんとか生かそうと地面に散らばった土をかき集めた。砕けた植木鉢の欠片を集めて、なんとか鉢の形を取り繕ったけど、当然すぐにばらばらになってしまう。

 私はとんでもないことをしてしまったと自覚して、大泣きし始めた。

 そこに、大きな音に駆け付けたお婆ちゃんが、私が泣いているのを見つけて駆け寄った。

 怒られると思った。嫌われてしまうと思った。涙が止まらなくて、いろいろなことが恐くて。

 でも、お婆ちゃんは。


「怪我はない?!何処も切らなかった?!」


 お婆ちゃんは、私の心配をしてくれた。

 大事な盆栽を割ったのが私だなんて分かり切っていた筈なのに。それでも、私が怪我をしていないか気にしてくれた。

 泣いてばかりで返事もしない私の体に怪我がないか、お婆ちゃんが確認していく。

私が怪我をして泣いているのではないと分かると安心したようで、私の頭を撫でてくれた。


「これ、椎菜が割っちゃったの?」


 私はおずおずと頷いて、お婆ちゃんの反応を窺がった。

 きっと怒られる。そう思っていた。


「いい、いい。こんなの、ちゃんとまた土に植えてあげれば大丈夫」


 けれど、お婆ちゃんは怒らなかった。

 私は不安から解放されると、また涙が溢れ出して。お婆ちゃんに抱き付いてたくさん謝った。


「ごめんなさい……。盆栽……、ごめんなさい……」


「椎菜がなんともなくて、お婆ちゃん安心したよ」


 優しく微笑み返してくれたお婆ちゃんの顔を、私は今も覚えてる。

 その時、お婆ちゃんが言ってくれたことも。忘れることはない、一生。

 あの優しさを、私はずっと忘れない。


「泣いてもいいよ」


 頭を撫でる手は優しくて。温かくて。


「怒ったっていいよ」


 私の思い出。大事な大事な、思い出。


「だから、ずぅっと、元気でいてね」









 朝、私は目が覚めると、お婆ちゃんの姿を探して部屋を見渡していた。

 つけっぱなしの暖炉と雪風に揺れるガラス窓。石造りの部屋の中、私はここが夢の中であることを理解する。

 部屋に置かれていたパジャマは少し薄すぎるような気がして、このまま眠って良いものか悩んだけれど。宿主のおじさんが暖炉はつけたまま寝てもいいと教えてくれて、おかげで暖かく眠りにつけた。

 水道で顔を洗ってから鏡台の前に座り、ブラシで髪を梳かす。

 ぼぅっと手を動かしていると、次第に昨晩のことを思い出す。

 スティープスと二人きりでこの部屋にいたこと。彼が私の髪を梳かしてくれたこと。

 時折、首筋に触れた彼の手袋越しの手の温かさ。彼の優しい声。夜光虫を見る彼の横顔。彼の――――

 そのあたりで、私ははっと我に返った。

 ああ。私は何を考えているんだろう。

 なんでこんなにあの人のことが頭に浮かんでくるのだろう。段々恥ずかしくなってきて、私は鏡に映る自分の顔がまともにみられなくなって、そっと顔を逸らす。

 ああ。そうだ。やっぱり、私は。


 私はあの人が、好きになってしまったんだ。


 コンコン、とドアが鳴って、私は驚きのあまりブラシを落とす。床に転がるブラシの音を聞きながら、ドアの方をじっと見た。


「椎菜。僕だよ。入っていい?」


 私は小さな悲鳴を上げた。何故だか、何がどうしたことか、私の心が焦るから。


「えぇー……、え、え……。どうしよう、どうしよう……。分かんない分かんない……」


 どんな顔して会えばいいのだろう。何を話せばいいのだろう。

 でも、でも早く出なくちゃ。出てあげなくてはいけないなんて、どうしよう。


「椎菜?」


 がちゃりと普通に、ドアを開けて入ってきたスティープスは両手に何やら大荷物。

 それが何かなんて気にならなくて、鏡台の前で頭を抱えていた所を彼にしっかり見られてしまって。


「あ……、あの……」


「おはよう。……、どうかした?」


「いや……、別に……、何でも……」


 案外、何とも気楽に接してくるものだから、尚更どうしたらいいか分からない。

 私がいよいよパニックになった所へ。


「もう大丈夫?元気は出た?」


 彼が優しく聞いてくれて、私は少し落ち着いて。


「う、うん……。大丈夫…」


「そうか。よかった」


 嬉しそうな彼の声が、私が何を言えばいいのか教えてくれた。


「……。うん、ありがとう」


 鼓動のリズムが落ち着いて、私が落ち着きを取り戻した時だ。私は彼のおかしな所に気が付いた。


「……。スティープス」


「なに?」


 具体的には、彼の持つ荷物。

 荷物といか、服というか。それは、私の……。


「それ……、何持ってるの……?」


「これ?ああ、洗濯物が乾いてたから持ってきたんだ。はい」


 スティープスが爽やかに差し出したのは、ピンク色で、レースの付いた、三角の、それは――――


「……!」


 がっしり彼が掴んでいたそのショーツを引っ手繰った。顔が真っ赤になるのが、自分でもはっきり分かって。


「変ッッッ態!!!」


 思い切り、一発、私は彼の頬を叩いてやった。








 椎菜とスティープスが、長い長い暗闇を行く。

 遠目には黒一色であるかに見えた城は、近くから見上げてみれば建物を間違えたかと思うほど灰色で。見る位置で色が変わるのも、なるほど夢の中なら不思議もないかと強引に自分を納得させて。

 その城の内部へ至るため、椎菜とスティープスの二人は街中から続く下水道へと潜った。

 下水道を照らす灯りは、点々と揺れる壁のカンテラと、椎菜が手に持ったカンテラだけ。

 進めど進めど出口は見えず、ひたすら前進していようとも、方向感覚はどうしても狂ってしまって。


 ――――本当に前へ進めてるの?いつの間にか戻ってしまっていたりしない?


 そんな妙な不安に駆られる魔力を、この暗闇は秘めていた。


「スティープス」


「な、なに……?」


「ここに入ってどのくらい経ったっけ?」


 先も後ろも見渡せぬ暗闇に、宿で借りたカンテラがきりりきりりと鉄の取っ手が擦れる音を滲ませる。


「どうかな……。多分、三十分くらいだね……」


「もう二、三時間は歩いた気分なんだけど……」


 明かりが無くては足下すら覚束無い闇の中。神経をすり減らし歩き続ければ、足取りは当然重くなってくるわけで。

 けれども恐らく、彼の足が鈍いのは別の理由もあるのだろう。

 宿を出て、椎菜が防寒のためのコートを買って、この下水道に来るまでずっと、スティープスは椎菜の様子をおどおど窺がいながら一歩後ろを歩き続けていた。


「スティープス」


「え!?な、なに……?」


 ここまで落ち込まれると返って椎菜の方に申し訳なさが募ってしまう。

 自分が悪い訳でもないのに、いい加減可哀想になってきてしまって。椎菜は後方のスティープスに向き直る。


「なんであんなことしたの?」


「あ……、いや、その……。乾いてたから、持って行ってあげたら君が楽かなって……」


 スティープスの奇行が理解できなかった椎菜だが、本人の動機を聞いてもさっぱり理解しきれない。


「……、ごめん。嫌だったんだね」


「……、まあ……」


「……」


 それはそうに決まっているだろう、と椎菜が思う目の前で、スティープスは真剣に落ち込んでいるようだった。


 ――――きっと、本人に悪気はなかったんだろうし。


 こんなに落ち込んでいることからも、あの時の下着を握る、スティープスの堂々とした様子からも、それは窺がえる。

 なら、なら。許してあげてもいいんじゃないのか。自分も少し怒りすぎなのではないだろうか。

 そんな風に思えてきて、椎菜は大きく溜息を吐いた後。


「いいよ。もう、気にしてないから」


「え?あ……、本当に!?」


 スティープスが予想以上に喜んでくれたものだから、椎菜もころっと怒りを忘れて。


「次は!次は間違えないから!」


 露骨に機嫌を良くして、隣に並んで歩き出したスティープスがなんだか可愛くて、椎菜もなんとなく嬉しくなってきた。


「これからは私が自分で取りに行く。あなたは私の服に勝手に触らない。そういうことで、良しにしてあげます」


「分かった!そうしよう!」


 ――――ひょっとするとこの人は、こっちが要求すれば、なんでも言うことを聞いてしまうんじゃないだろうか。


 見た目はともかく、中身は子供っぽいやら世間知らずと言うのやら。

 椎菜はそんな心配にも似た、スティープスへの人物評を下しながら、暗闇の中を歩いて行った。

 








「ちょっとだけ休んでもいい?」


「うん。まだどのくらい続くかも分からないし」


 スティープスの言葉に椎菜がうんざりしつつ、壁にかけられたカンテラの下に座り込んだ。

 城に入るためには仕方ないとはいえ、暗すぎて長すぎるこの道のりはやはり辛い。

 鼻が曲がる匂いに顔を思いっきりしかめたい衝動と、スティープスにその顔を見られてしまったらという不安に、椎菜の乙女心は揺れに揺れ。

 鼻を摘まんで横を流れる下水を見れば、身の毛のよだつ正体不明の有機的な何かが流れていたりして。

 帰りはあの子も、紫在も一緒だと思うと、椎菜は嬉しい反面、紫在が可哀想でもあった。


「あの子、私のこと覚えてるかな?」


「覚えてるに決まってるよ。自分のこと、必死にかばってくれた人なんだから」


「そうかな……。覚えてくれてたらいいな……」


 椎菜はそっと座る位置をずらした。カンテラの灯りの下、丁度、隣に誰かが座れる位に。

 でも彼には、彼女が何故一人分の間を開けて座ったのか、それが彼女の小さな意思表示であることには気付くことができなくて。


「あなたは休まなくていいの?」


 結局、椎菜にここまで言わせてしまうことになるのだった。


「僕は浮かんでいればいいからね。あまり疲れてないんだ」


 そんなことまで言って見せられては、椎菜も落胆して黙る他無く。椎菜は心の隅で軽くすねてはみるものの。


「心配してくれてありがとう」


 スティープスのたったの一言で機嫌を直してしまうのは、椎菜も我ながら単純に過ぎると思いつつ。二人の間に漂う空気は悪臭を跳ね除けて、なんだか幸せな香りに包まれていた。

 数分休んだ後、二人は再び下水道の奥へと進み始める。

 次第に壁に掛けられたカンテラの間隔は狭まっていき、出口が近づいているのが窺がえた。

 相変わらず悪臭はこもっているけれど、もうすぐこの環境から抜け出せると思うと椎菜の心は軽くなって。

 ふと、椎菜は予想した。それは、これから首尾良く紫在を助けられたとして、その後のこと。


「ねぇ、スティープス。もし紫在さんに会えたら私たちはどうなるの?」


「どうなるっていうのは……?」


 多少時間があったが、スティープスもすぐに思い至ったらしい。もし、あの子と再会した途端に目が覚めてしまったら、それは。


「そうか、夢が終わるかもしれないのか」


「そしたら、もうすぐお別れってこと……?」


 そう。椎菜とスティープスは、離れ離れになるということで。


「……」


 でも、椎菜は彼ともっと一緒にいたくて。だから、聞いておかないといけなくて。


「夢の外でも、また会えるよね?」


 スティープスが返事をするまでに、また時間があった。

 一分にも満たない時間であっても、椎菜にとっては余りに長い、何よりも辛い時間があった。

 カンテラに照らされたの仮面はいつもと変わらず、スティープスの顔を覆い隠して椎菜を焦らせる。

 見えない仮面の下で、スティープスが何を思うのか。口は、目は、どんな風に動いているのか。


「大丈夫、きっと会えるよ」


 返ってきた彼の言葉は、椎菜の気持ちとは反対に強い希望に満ちているように感じられた。


「僕はそう信じてる。君はそう思わない?」


「え……、あ、ああ……、うん」


(なんで、そんなにはっきり言えるんだろう)

 椎菜には不思議だった。根拠なんてあるとも思えないのに。

 スティープスが椎菜を気遣ってくれたのかもしれない。

 彼女が不安にならないように、わざとそうしていたのかもしれない。夢から覚めた時、一体どうなってしまうのか椎菜には分からないけれど。

 何故か、椎菜の心には不思議に希望が湧いてきて。


「私も……、信じる。また、一緒にいられるって」


 彼とまだ、いろんな所へ行きたかったから。いろんな物を見たかったから。椎菜はそう答えた。

 椎菜の止まりかけた脚はまた、前へ前へと体を運び始めた。

 やがて、暗く長い道程は終わりを告げる。

 城の地下に巡る下水道の中心、侵入者が城に入るためのただ一つの入口である倉庫へ続く梯子がそこに伸びていた。






 梯子を登り、椎菜は天井の扉を押し開けた。

 木製の扉についていたカビが椎菜の頭にぱらぱらと降りかかる。扉周辺の様子を見に行ってくれていたスティープスは、怪訝に結果を述べた。


「おかしいな、見張りが全くいないよ。下水道にも一人もいなかったし、なんでだろう」


 彼の言うとおり、廊下にも窓から見える中庭にも、誰の姿も在りはしない。街を歩き回っていた衛兵よりも、ずっと多くの兵士がいるだろうと二人は予想していたのに。


「どう考えてもこれは……」


 二人には、罠としか思えない。

 自分たちが入ってくることをこの城の人たちは知っていて、どこかで待ち伏せているのかも。もしそうだったとしたら、そもそもこの入口で待ち伏せている筈だが。


「椎菜。君は隠れていた方がいい。まずは僕が探りに行く」


 正直、一人になるのは怖い。けれど、ここはスティープスに任せるのが一番良いと思って、椎菜は決断した。


「できるだけ早く戻ってきてね。待ってるから」


「分かってる。不安かもしれないけど、少しだけ我慢して」


 こうして二人は別行動を取ることになる。

 目には見えずとも、この城の中にいる何かが、じっと椎菜を監視していたとも知らず。

 スティープスが離れていくにつれ、椎菜との距離を縮めていくその影は、どこか仮面を被る彼に似ていて。

 影が椎菜に手を伸ばす。

 一人で物陰に身を小さくしてスティープスを待つ椎菜の肩に、その手が触れる、直前に。


「ぅひゃぁっ?!」


 間の抜けた声を上げ、椎菜は大きく後ずさった。

 しかし、影の主はさして彼女の反応に何かを思うわけでもなく。


「やはり見えるらしい。俺の姿が」


 椎菜が見たものは、仮面を被り、白の執事服に身を包んだ白髪の男。

 どこまでもスティープスに似ていて、でもどこか彼とは違う雰囲気を纏って現れた白の男。

 いつの間にか椎菜の周囲は暗闇に覆われていた。

 なのに、灯りも無しに、白の男だけが気味が悪いほどくっきりと視認できる。

 状況の変化に追い付けない椎菜に追い打ちをかけるように、白の男は喋りだした。


「あいつがお前に何を吹き込んだのか知らないが」


 いつかどこかで、聞いたような声をしていた。

 低く語りかけるその声は、敵意ではなく。もっと別の何かが含まれていて。


「この城から、早く出ていくことだ」


 仮面に覆われたその顔を窺がうことはできない。白の男は宙に浮いて、椎菜を見下ろし、高圧的な態度を崩さずに。


「お前たちにできることは、何もない」


「あなたは……、誰……?」


 尋ねた時には既に、白の男の姿は消えていた。

 周囲も元に戻って、先ほどまでいた倉庫の中。風が吹き抜けたかの一瞬の出来事。

 椎菜は自分が幻覚を見たかと疑いもしたが、分かることは何もなく。

 不穏な気配に、様子を見に行ったスティープスの安否を気にせずにはいられなくなった。






 一方、スティープスは地下牢へ続く階段を探していた。

 椎菜に説明してもらった通りなら、もう大して遠くはない筈。椎菜から離れすぎているのは気になるが、それでも確認しておかなくてはいけない。

 紫在が本当にそこに居るのか、それが分からなくては何の意味もない。


「スティープス」


 廊下を行くスティープスを呼び止める者がいた。誰にも見えないはずのスティープスを。

 誰もいないと確認したはずの廊下に現れたのは、椎菜の前にも現れた白の男。


「ディリージア!」


 スティープスは白の男の名を呼んだ。

 スティープスはその男を知っている。この城と同じ名前を持つ、もう一人の仮面の男のことを。

 奇しくも同じ仮面を被り、似た装丁の服を着た二人が対峙する。


「スティープス、これ以上先には進まない方がいい。いくら誰もいないからって、他人の家を好き勝手に探りまわるもんじゃない」


「君が何と言おうと僕は退くつもりはないよ」


 ディリージアは恐らく知っている。誰もいないこの城の秘密を、紫在の所在も、当然。


「そうか、なら、少しだけお前に期待しておくことにしよう」


「どういうことだ。分かるように言ってくれ」


 ディリージアは廊下の最奥に在る扉を仰ぎ見て、スティープスにわざと謎めいた言葉を使い語っていく。


「俺は一度でいいから、あいつを思いっきりぶん殴ってやりたかったんだ。しかし、残念ながら俺には物に触ることができなくてね」


 服を翻し、手を広げて無念の様子を表現する彼の手は、城の壁に埋まっていた。

 いや、正確には、埋まっているのではない。


「だから、お前にその役を譲ってやるよ。お前だってよくボコボコにされてたもんな。ぶん投げられたりされてなかったか?あれは傍から見ててもひどかった」


 ディリージアの手は、壁をすり抜けていた。

 幽霊の如き不可思議な現象を見せつけるように、指を壁に突っ込み遊ぶディリージアの言葉の意味を、スティープスは計りかねていた。

 ディリージアを怒らせる人物。スティープスを痛めつけた人物。

 一人、スティープスには心当たりがあった。


「まさか……」


「はは、まさか。お前の考えてることはすぐに分かるな。あのくそったれな兄貴がここにいるわけがないだろ」


 スティープスは困惑する。

 ディリージアの言う兄貴とはおそらくは紫在の兄。スティープスが想像したのもまた、彼のことだった。

 嫌がらせに難解な話を続けるディリージアにスティープスは苛立ち、拳を強く握る。


「この先にいるのは、あいつに似た別の“何か”だ。やっていることはあのガキそのままだが、心配するな。本人じゃない」


「君の言うことは、いつも難しいことばかりだな。僕にその“何か”と戦えとでも言う気かい?」


 例え、本当にディリージアの言うとおりの人物が待ち構えていたとしても、暴力を奮うのは躊躇われる。

 紫在の兄に似ているともなれば、尚更だ。


「……、気を付けるんだな。お前にやる気が無くても、あっちは本気だ」


 そして、ディリージアは姿を消した。唐突に、言いたいことだけを言って去って行った。

 スティープスは扉に近寄り、手をかける。


(誰がいようと関係ない。ただ、今は紫在を見つけて椎菜の所へ戻ることを考えるべきだ。きっと椎菜は、今も自分が戻るのを信じて待ってくれているんだから)


 扉の向こうには、いくつもの扉と階段を備えた大広間があった。

 敷かれた絨毯が長く伸びて、その先に、高さ十メートル程の大きく荘厳な扉が見えて。

 そして、その扉の前には。

 一人の騎士がいた。

 ウッドサイドの町で、椎菜とスティープスを襲った、全身を鎧に包み、姿の見えぬスティープスに肉薄したあの騎士が。


「……。まさか、君が……」


 ディリージアの言っていたことが本当なら、目前に立つ。この騎士は。

 スティープスの迷いもお構いなしに、騎士は剣を抜き、小走りにスティープスに迫り、剣を振るった。

 スティープスは宙に浮き、天井に張り付き剣から逃れた。しかし、騎士はスティープスを逃さない。

 僅かな音を感じ取り、スティープスの位置を瞬時に割り出し、天井に細身の銃を向けた。

 銃。

 そう、銃が天井のスティープスを捉える。

 引かれた引き金は撃鉄を倒し、弾丸の底を叩きつけ、爆発を以てそれを打ち出した。

 スティープスは銃という存在自体を知らなかったのだ。

 騎士の構える奇妙な筒は彼の思考を奪い、避ける間を消し去った。

 スティープスの右腕に突き刺さった弾丸は彼を天井から引きずりおろし、床に敷かれた絨毯の上へ血を溢れさせながら跪かせる。

 スティープスの意識は痛みと未知の力にか細く揺れた。

 流れる血は騎士にスティープスの居場所を伝えてしまう。姿は見えなくとも、その体から流れ出した血は確かに騎士には見えていて。

 ただの一秒も与えず騎士は剣を振りかざし、距離を詰めていた。

 体を捻り、辛うじて避けたスティープスの服を騎士が掴む。騎士は獲物を決して逃がさない。

 寸刻の迷いなく、スティープスの頭を剣で突きに来る。

 スティープスはひたすら首を振って、剣を避け続けるしかない。避けた剣が仮面をかすり、弾かれた剣がスティープスの耳を切りつけた。

 しかし、剣が弾かれたことで、騎士の腕が大きく揺れた。一時的に、騎士の勢いが失われる。

 その隙に、スティープスは騎士との間に足を掲げ、鎧の胴を蹴り突けた。

 一度、二度、三度。

 騎士の手は力を緩め、スティープスの体を解放した。

 銃で撃たれた傷口を押さえ、スティープスは急ぎ騎士から広く距離を取る。


「君は……、何者なんだ……?」


 スティープスの声は届かない。姿同様、騎士には知覚できない。

 数度の蹴りを貰っても、鎧を着た騎士は健在だ。

 全く衰えることなく剣を振るい、広間の床を突き、机を割り、スティープスを追い詰める。欠片の慈悲無く殺しにかかる。

 圧倒的な力で襲いくる騎士に対し、逃げ続けることしかできないスティープス。

 スティープスは剣から逃れながらも、広間の扉の一つに向かった。

 無軌道に動き、銃で狙う隙を騎士に与えず床を蹴る。

 剣を振れない狭さの場所へ、銃の狙いを定められない、壁が多い場所へと移る必要がある。

 スティープスが向かったのは、目的の牢屋に続くものとは別の道だ。

 スティープスはそこから続く廊下を走り、その奥に扉を見つけた。

 最後の望みを託し、小さな扉に寄りかかる。

 だが、スティープスの考えは騎士に読まれていた。体をねじ倒し、扉を開けようとする見えないスティープスではなく、騎士は銃で“開いた扉の枠の中”を狙った。

 開く扉は奥の深い暗闇を覗かせ、スティープスを飲み込んでいく。

 スティープスは揺れる視界の中で、構えられた銃に気が付いた。倒れる体を宙に滑らせ、扉の枠の外へと逃れたスティープスの肩は、空気を貫く弾丸すれすれに。

 スティープスの腕から流れる血を隠してくれる暗闇へ。剣と弾を阻む本棚の群れの中へ。スティープスの体が滑り込む。

 騎士はスティープスを見失った。本の落ちる音が部屋中で鳴り響き、目印となる血は闇に飲まれ。

 そこは、奥深き書斎。

 迫りくる脅威に一矢報いる機会を、ようやくスティープスは手に入れた。

 騎士は唯一の出入り口である扉を、近くに倒れていた長い本棚一つで塞いだ。

 これでもう、スティープスは騎士に気付かれずに書斎から出ることはできなくなった。

 薄く揺れる影が、スティープスの目の前を横切っていく。息を殺し、全体を静止させ、スティープスは騎士が目前を過ぎ去るのを待った。

 騎士はスティープスを完全に見失っている。

 騎士はゆっくり音を立てずに、書斎の中を歩き回る。灯りになる物を探しているのかもしれない。少しでも動いた音を察知されれば、握られたあの剣でスティープスは切り伏せられてしまうだろう。

 スティープスは暗闇から、静かにあるものを狙い続けていた。

 それは、騎士が腰に提げた銃。

 うっすら見えるだけの相手の影を凝視して、スティープスは銃を奪う隙を探す。

 銃で撃たれた傷が疼く。

 既に血は流れすぎていて、意識は今にも途切れてしまいそうで。

 スティープスは耐えていた。

 きっと、今も待ち続けている椎菜を一人にさせるわけにはいかない。

 この夢の中で、椎菜の力になれるのは自分だけなのだから。


 ――――願わくば、この場所に彼女が来ないことを。自分を心配して、ここまで彼女が来てしまいませんよう。


 スティープスは祈った。

 けれど。


「スティープス!スティープス!!」


 その不安は的中した。

 遠くから聞こえた呼び声は、まさに椎菜のものであり。

 スティープスは身構えた。

 しかし、それは騎士も同じく、そこに隙が生まれた。

 銃の柄がスティープスの前に向いて、スティープスはそれを掴んだ。騎士から銃を引き抜いて、構える。狙うのは当然、頭部。

 スティープスは引き金を引いた。

 発射された弾丸は、狙い通りに騎士の頭を殴り倒す。

 倒れた騎士の体は本棚に突っ込んで、落ちた書物に埋もれていった。

 見よう見まねで使った銃が正常に動いたことに、スティープスはほっとした。

 いつでもスティープスを撃てるよう、引き金を引くだけの状態にまで整えていたことが騎士にとって仇となった。


「いいな、これ……」


 手にした銃をスティープスは興味深げに弄くりまわし、もう弾が出ないと分かると、それをそっと床に置いた。

 スティープスは騎士が起き上がってこないか様子を見て、これならしばらくは目を覚ますまいと判断し、椎菜を探しに部屋を出た。






 走る。走る。

 誰もいない廊下を走る。

 ディリージアが姿を消して、しばらくスティープスを待った後、椎菜は倉庫から飛び出していた。いくら待っても帰ってこないスティープスと、意味深な言葉を残していった白の男が、一人待ち続ける椎菜の不安を煽った。

 結局、椎菜はスティープスのことが心配で、どうしようもなくなって立ち上がったのだった。

 一応、警戒はしつつ走っていたのだが、やはり焦りは彼女を不用心にさせる。

 それでも、彼女が誰かに見つかることはなかったのは。


「誰も……、いない?」


 城門の前では、確かに衛兵が城を見張っていた。

 しかし、黒影の城、ディリージア。この城の中には誰の姿もありはしない。

 初めから、一人として。

 城を見回る衛兵も、掃除をする女中も、料理を用意する料理人も。初めから誰もいなかったのだ。

 ただ、この城の持ち主と、ディリージアを除いては。

 廊下はいくつも扉を並べ、奥へ奥へと伸びている。

 魔女の話では、この先の広間にある向かい側の扉から、地下牢へ続く廊下へ行ける筈。

 スティープスはどこまで行ったのだろう。進めど進めど彼はおらず、まさか彼は道に迷ったのではなかろうかと連なる扉を見て思ったりもして。

 結局、椎菜はそのまま廊下の最奥、広間へ繋がると思しき扉の前まで来てしまった。

 扉を開けると、大きな扉を備えた広間が在った。

 しかしそこには、何者かが争っていた形跡がいくつも残されていて。椎菜は愕然とした。

 壁に空いた幾つものの穴が、砕かれた机が、絨毯を濡らす赤い血が、椎菜に最悪の事態を想像させる。

 スティープスは、彼は今、どこに。


「スティープス!スティープス!!」


 彼の名を叫んだ。生きているのなら、どうか、どうか返事を。

 だが、その呼び声に応じたのは、スティープスではなく。


「進め。お前は今、ここにいるべきではない」


 白の男が、ディリージアが椎菜の後ろに立っていた。

 先程の落ち着いた様とは真逆に、随分と焦っているように思える。その口調は椎菜を急かすように強く、早かった。

 神出鬼没なディリージアは、ひどく気味の悪いものとして椎菜の目に映る。

 椎菜は緊張し、体は小さく恐怖に震える。それでも、なんとかディリージアの方へ顔を向けて。


「スティープスをどうしたの!?あなたは……、誰!?」


 椎菜の質問に全く耳を貸さず、ディリージアは椎菜の手を乱暴に掴み、引っ張った。

 しかし、椎菜は動こうとしない。

 掴まれた腕を引っ張り返し、ディリージアを睨んだ。


「放して」


「……」


 ディリージアは再び椎菜の手を引っ張った。

 今度は更に強く、乱暴に。

 少し体が傾いたが、椎菜はその場から動かなかった。


「放して」


 椎菜が睨む。

 仮面で隠されたディリージアの顔を射抜く程、鋭く。

 そんな椎菜に威圧されたか、ディリージアは手を放し、身を引いた。


「なら。なら、どうする。スティープスを助けにでも行くのか?」


「当たり前でしょ。スティープスはどこ?あの人に何をしたの?」


 床の血が誰のものなのか、まだ分からないけれど、こうしてディリージアがここに出てきたことには、何か意味があるに違いない。

 椎菜には、ここで起きた出来事にスティープスが関係しているように思えてならなかった。


「あいつを助けたいのなら、尚更。お前が今、スティープスの所へ行っても邪魔になるだけだろう」


「回りくどいこと言わないで!教える気がないなら、どこか行ってよ!」


 ディリージアは椎菜の言葉をすんなりと受け入れた。

 大声で恐れを振り払おうと、必死に声をあげたものの、こうもあっさりと引き下がるとは思っていなかった椎菜は、少し動揺してしまう。

 ディリージアは姿を消す前に、再び椎菜の前に現れ、一つだけ彼女に教えた。


「牢屋の場所は、向かいの扉から続く廊下を真っ直ぐ、階段が見えたらそこを降りろ。牢屋の鍵は、牢屋の傍にある机の引き出しの中。早く行ってやるといい。探してたんだろう?あいつのこと」


 そして、椎菜は一人、立ち尽くす。


 ――――自分が今するべきことは?


 スティープスが危険な状態にあるのはもはや明確だ。

 しかし、ディリージアは椎菜はむしろ邪魔になると言った。彼の話をどこまで信じていいのか。

 そもそも彼が何者なのかも、椎菜には分からないのに。

 恐くはあったけれど、ディリージアからは、はっきりとした敵意は感じなくて。


「スティープス……」


 椎菜は心配だった。

 スティープスのことが、どうしようもなく心配だった。

 けれど、スティープスなら。

 スティープスがここにいたなら、どうして欲しいと言うだろう。どうして欲しいと思うだろう。

 悩んで悩んで、椎菜は。

 捕われたままのあの子の下へ、紫在の下へと走り出した。






 階段の下には細い通路があって、いくつもいくつも牢屋が並んでいた。

 椎菜は即座に入り口に置かれた机を漁る。

 引き出しを引っ張り、そこに入れられていた鍵束を取り出して、近くの牢屋から調べていく。

 焦る手が牢屋の鉄格子をカタカタと揺らし、その金属音は廊下の奥へと流れ、長い長い時間を一人で過ごした少女に届いた。

 牢屋の中で、一人耐え続けた少女に、届いた。

 ぎこちなく動いた表情が、彼女自身終わることがないとすら思われた苦痛を物語る。

 ここに連れてこられて以来、城の持ち主の他、誰一人訪れることのなかったこの場所へ誰かが来たと分かると、少女はひどく汚れてしまった黒髪を揺らし、生気の失せた顔を上げた。









「やっと見つけた……」


 私が顔を上げると、そこには深く息を吐く女性がいた。

 疲れ切った様子で鉄格子に寄りかかり、こちらを見ていた。その目は優しくて、とても、綺麗で。


「あ……」


 私は、それが誰なのか知っている。

 確か、もうずっと前。

 衛兵たちから私のことを庇ってくれた人。


「もう大丈夫だよ。今、出してあげる」


 優しい人。見ず知らずの私に優しくしてくれる人。


「あの……」


 スティープスに私を見つけるように頼まれたと言っていた人。


「名前……、名前を、教えてくれませんか……?」


 久しぶりに鳴らした私の喉が乾いた音を立てて、絞り出した声はみっともなく掠れ切っていた。


「名前?私の?」


 鍵を開けて、私を外に出してくれたその人の両目は、険しいけれど、やっぱり穏やかで。


「椎菜。箕楊椎菜っていうの」


「……、椎菜……、さん……」


 その人の、椎菜さんの強く握る手が暖かかったから、そっと握り返した。

 すると、何故だか私の目が熱くなってきて。

 椎菜さんと手を繋いで、歩きながら――――

 私は思わず、泣いてしまった。







 急ぎ足で、椎菜は城の中を戻っていく。

 ようやく再開できた女の子の手をしっかりと握り、下水道の入口へと向かっていく。

 女の子は泣きながらも椎菜に付いてきてくれている。

 女の子を早く安全な所まで連れて行ってあげたくて、もうこれ以上辛い想いをさせたくなくて、椎菜は焦っていた。

 そして、もう一つ。椎菜には懸念があった。

 未だ合流できていないスティープスのこと。あの白い男が言うことが本当なら、スティープスは今、危険な状況にあるはずで。

 椎菜は考えてしまう。

 本当にこれでよかったのか。スティープスを先に探してあげるべきではなかったのか。

 不安になって、怖くなって。

 けれど、椎菜は進んでいく。

 今、共に進むこの子の安否が自分にかかっているのだから。それに、スティープスならきっと、この子を助けて欲しいと思うに違いない。

 だから、進む。顔を上げて、不安を振り払い、前へと歩く。

 そうでなければ、弱り切ってしまったこの子を守ることなんて、できないだろうから。

 下水道の入口がある倉庫へと続く廊下に差しかかったとき、椎菜は目の前に揺れる何かに立ち止まった。

 椎菜の向かいから、ゆらゆらとこちらへ歩いてくる何か。

 不気味に揺れるのは、古びたローブだ。

 そして、ローブから覗くその顔は、深く老いていた。


「……!」


「何処へ行くの…?」


 椎菜は気付く。その人は、今、椎菜の目の前に立ちはだかるのは。


「玉座があるのは、こっちじゃないでしょう……?」


 怒りを以て椎菜を見やる。一人の狂った魔女だった。












 





5th tale End











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