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2nd tale The knight of egotism

 あれから何日経っただろう。

 あの子が連れて行かれて、椎菜は何日もずっと失意に包まれて。


 ――――あの時、私はなにもできなかった。必ず、スティープスに会わせてあげるって約束したのに。あの子はどこへ連れて行かれてしまったの。今は無事でいるの。これから、どうなってしまうの。


 そんな風に、ずっと考え続けて。これからどうしたらいいのか分からなくて、ずっとずっと考えて。


 ――――どうして?たかが夢のことのはずなのに、こんなに怒って、悲しんで。


 自分はおかしいのかもしれないと、椎菜は思った。それでも、何故か気持ちはいつまでも収まらなくて。街路を当てもなく、ふらふらとさ迷い歩く。行く所も無く、留まる所もまた、無く。

 このままでは現実にも帰れない。このまま、永遠にこの夢の中にいるのだろうか。


 ――――もう他に夢から目覚める方法は無い?もう、この世界から出ることはできない?


 ――――それだけは嫌。絶対に帰りたい。このおかしな夢から早く目覚めて、家に帰って、学校に行って……。早くいつも通りの普通の生活に戻りたい。お母さんに会いたい。お父さんに会いたい。友達に会いたい。


 ――――誰かに、私の知っている誰かに会いたい。

 悶々と、見知らぬ世界の見知らぬ町でたった一人、途方に暮れて日々を過ごす椎菜の前に現れたのは、仮面を被った執事の正装をした彼。スティープス。


「スティープス!」


 ようやく姿を見せたスティープスに椎菜は駆け寄った。


 ――――やっと来てくれた。


 スティープスなら、これからどうすればいいかきっと相談に乗ってくれる。だが、椎菜には、まずは謝るべきことがある。それは、あの子を連れて行かれてしまったこと。


「私、あなたの友達を見つけたの。でも、でも兵隊に連れて行かれちゃって……」


「ああ、大丈夫。僕もその話は聞いているよ。君が彼女を助けようとしてくれたこともね」


 スティープスは、泣きそうになりながら謝り続ける椎菜を慰めた。


「ありがとう、椎菜。君には大分無茶なことをさせてしまった」


 お礼を言われることなんて椎菜は何もできなかったのだけれど。怖がるあの子が連れて行かれるのを、彼女はただ見ていることしかできなかった。


「ごめんなさい……。結局、私、あなたにあの子を会わせてあげられなかった……」


「いいや。謝るのは僕のほうだ。あの子を見つければ現実に帰れるなんて言って、無責任に君を置いて行ってしまった。もっと考えるべきだったよ」


 スティープスの声は穏やかで、錯乱した椎菜を落ち着かせていく。


「私、これからどうしたらいいの……?」


 帰りたいという気持ちが溢れ出す。どうしてこんなことになってしまったのか。

 ただ椎菜は、公園のベンチで眠っただけのはずなのに。

 ただ椎菜は、あの手紙の差出人を確かめたかっただけなのに。


「僕も今まで君が帰るための方法を探していたんだけど……」


 スティープスは探していたと言う。椎菜が夢から目覚める方法。


「やっぱり、僕にはあの子がその鍵を握っているように思えるんだ。」


 スティープスの言うことをどこまで信用していいのだろう。何が本当で、何が嘘か。

 この夢は終わらない。きっと、それは本当のことだ。

 既に椎菜は理解していた。どんなに待っても、何も起きない。眠って、目を覚ましても、見えるのは現実の公園の景色ではなく。起きた時、目に映るのが宿の天井であると認識する度、溜息を洩らした。


「椎菜、どうか僕を信じてほしい。君が帰るためにも、あの子のためにも、何としてもあの子を助けなくちゃならないんだ」


 ――――逃げ道なんてない。どんなに悩んでも、どんなに泣いても、結局それしかないんだ。


 悲観に捕らわれた椎菜には、スティープスの言葉はどうしようもない程重い物に聞こえた。仮にあの兵隊たちからあの子を助け出せたとしても、それからどうなるのだろう。


 ――――本当に、私は帰れるの?


「もう君だけに辛い思いはさせない。だからお願いだ。僕と一緒に、あの子を助けてくれないか」


 スティープスの切迫した声。仮面に隠された顔は、どんな色を浮かべているのだろう。あの女の子のために、この人はこんなにも一生懸命になれるんだと、椎菜は驚いた。


 ――――真面目で必死なスティープス。素敵なあの子の友達。


 彼が嘘をついているとは、椎菜にはどうしても思えなくて。確かなことなんて何もない。

 怖くて、怖くてしょうがない。

 けれど。


「椎菜……、君じゃなきゃ駄目なんだ。あの子を迎えに行くのは、君じゃなきゃ……」


 ――――でも、スティープスがついてきてくれるのなら。


「……、わかった。また、あの子を探そう」


 ――――こんな私を必要としてくれるなら、もう一人で頑張らなくてもいいのなら。


「ありがとう……、君がそう言ってくれて……、よかった」


 今度こそ、あの子を助けて見せようと、椎菜は決意した。


「約束したしね。あの子にも、あなたにも」


 所詮、夢の中のことだとしても。空想に過ぎないのだとしても。

 あの子に感じた愛しさは本物だと、椎菜は信じようと決めた。






 スティープスが言うには、女の子は遥か遠くに見える、黒影の城に連れて行かれたのではないかということで、まずはその城へ向かうこととなった。

 黒影の城。ここに来たときからずっと、椎菜の視界に映る異形の建物。

 遥か彼方に聳えるお城。暗いシルエットは、グレーに渦巻く空に不気味に浮かび、不可思議に歪んだその形は、木の枝のように方々へ伸びて、磨かれた剣のように尖る屋根は、見るもの全てを威嚇する。

 椎菜は、城にいるというお姫様の話を思い出す。

 自分に逆らう者はみんな消してしまうお姫様。


 ――――もし、お姫様と出会ってしまったら。


 考えるだけで恐くなる。それでも、行かなくては。きっとあの子はまだ無事でいる。そう信じて、椎菜は目指す。


 世界を見下ろす黒影の城、ディリージアを。





2nd tale The knight of egotism





 ディリージア。

 町の人たちは皆あのお城のことをそう呼んだ。

 いつからあるのと尋ねれば、「ずっと前からあそこにあるんだよ」と、そう答えた。

 お城に入るためにはどうすればいいのと尋ねれば、「それはきっと誰にも分からない。だってあそこに入ろうとする人なんていないから」、と。

 町を出る前に一応聞き込みで調べてはみたものの、役に立ちそうな情報は得られなかった。

 お城へ向かうために、経由しなければならない一つの町がある。椎菜はその町に入った時、入口の階段から眼下に広がる町並みに驚嘆した。

 煤けた色の煉瓦が積み上げられてできた門と、家屋がぎっしりと詰まって、町を走る道はどれも狭くうねって細長い。

 灰色の町だ。深く広がる森を隣に携えたその町は、ウッドサイドと呼ばれていた。

 城への道のりはまだ長い。

 だからスティープスは、今日はひとまずここで休むことを提案した。


「私は全然疲れてないのに。急いだ方がいいんじゃ……」


「疲れを感じはしなくても、休むことは大事だよ。それに、もうすぐ夜だ」


 スティープスはそう言って、椎菜を宿まで送ったにも関わらず、自分は宿には泊まらないと言い出して。


「あなただって、休まなきゃいけないんじゃない?」


「いや……、それが、僕はもうすぐ消えてしまうんだ」


 ――――消えてしまう?突然何を言い出すの?


 椎菜は不安になって問いただす。


「一緒にいてくれるんじゃないの……?」


「僕は長い間、体を保っていられないんだ。でも、明日には戻ってくる。だから心配しないで」


 ――――体を保つって、何?


 どういうことなのか理解はできないけれど、すぐに戻ってきてくれるならと、椎菜は了承した。


「うん、分かった……。それじゃお休み。スティープス」


「ああ、お休み。椎菜」


 何の動作も無しに宙に浮かんでいくスティープスを見送って、椎菜は宿に入って行って、ふと思う。


 ――――空、飛べるんだ。






 翌朝、スティープスは椎菜の前に約束通りに現れた。

 スティープスは、お城に入る方法を調べてからこの町を出発しようと提案し、椎菜は彼の意見に賛成した。

 別れ際に意味深なことを言うものだから、今日は来ないかもしれないと椎菜は疑っていたけれど。

 スティープスの姿を見て一安心した椎菜は、少し遅い不味い朝食を食べて、行動を開始した。

 お城のことを知っていそうな人を探す。手当たり次第に聞き込むよりは、的を絞って調べるべきだろう。

 下手に嗅ぎまわって、衛兵たちにこちらの存在を警戒されるのも好ましくない。ならば、誰に尋ねるべきか。

 二人が手をこまねいている内に、いつのまにか背後に近づく影が在った。

 誰かが椎菜を見定めている。椎菜もスティープスも、彼の存在に気が付いていない。

 そして、その誰かが、椎菜こそ自分の探していた人物だと確信すると、脅かす様に椎菜たちの前に飛び出した。


「なあ!あんた!」


「へっ!?」


 椎菜は不意を突かれて間抜けな声をあげつつ、突然姿を見せた彼を見る。


 ――――男の子だ。


 まだ椎菜よりもずっと幼い、一人の男の子が椎菜を呼び止めたのだった。

 土汚れが点々と付いた大きめの服に、ほつれが目立つ布を首に巻きつけていて、椎菜は前の街の路地裏の子供たちを思い出す。


「あんた、南のガレキアで衛兵に喧嘩売った姉ちゃんだろ?」


 ――――南の、ガレキア?


 ガレキアとは、以前椎菜がいた町の名称であるのだが、椎菜には少年の言うことがいまいち消化しきれない。


「この町は前の町から北西の方角にあるから、きっと昨日まで僕らがいたあの街のことじゃないかな」


 スティープスに説かれて、椎菜はようやく気が付いた。この世界に来てから、方角なんて気にもしていなかった。


「俺もあそこにいたんだ。まあ俺はあんなガキ共と違って兵士に捕まったりはしないけどな」


 随分生意気な少年だった。だが、彼の佇まいからだけでもその逞しさが伝わってくる。


 ――――きっと、苦労して育ってきたんだろうな。


 夢の中なのに、椎菜は現実のことのように考えて。


「じゃあ、あなたはうまく逃げれたんだ。よかった」


 だから、椎菜の胸には苛立ちよりも、安堵が先に湧き上がった。


「……、まあな」


 少年が普段接している、棘のある雰囲気の大人たちとはかけ離れた椎菜の言葉に、ちょっとだけ照れくさそうにする彼の様子は、椎菜にはなんとなく可愛らしく見えた。


「でさ、俺、あんたと取引したいんだ」


「取引?」


 子供が取引なんて言葉を使うのが、椎菜には不思議に感じる。彼の殺伐とした生い立ちを感じるような。椎菜の常識から外れたやり取りだった。


「そう。あんた、あの気持ち悪い城に入りたいんだろ?その方法を知ってるやつの居場所を俺が教えてやるよ。その代わり、あんたには俺の欲しいものを衛兵から盗ってきてもらう」


「どうしてあなたがそんなことを知ってるの…?」


 ――――それに、盗みなんて物騒なことを、なんでそんな平気な顔で言えるの?


 椎菜には、少年が不思議で仕様がない。


「俺がそいつに、昔会ったことがあるからさ。あいつはよく城に出入りしているからな。城の秘密も一つや二つ知ってるに違いない。ただ、結構危ないやつだけどな。それと薬を持ってる衛兵のことは……、これは、俺独自のルートで調べたことさ」


 この少年の言うことをどこまで信用していいものか。簡単に返事ができる話ではない気がして、椎菜は返答に困った。


「あと、城のこと知ってるやつなんてあいつぐらいしかいないぜ。あの城に入れるのは限られたやつだけ。それか、悪さして捕まったやつか」


 他に方法は無いと、そう言いたいのだろう。

 どうしたものか困り果てた椎菜は、スティープスに視線を送る。


「彼の言う通り、他に道はなさそうだね……。それに、できるだけ僕らは急いだほうがいい。君に負担はかけないよう僕が頑張るから、ここは引き受けよう」


 スティープスがそう言ってくれるなら、と椎菜は少年に向き直る。


「さあ、どうする?」


「するよ。あなたと取引する。私たちにあなたの盗んできてほしいものを教えて」






 少年が椎菜に要求したもの、それは薬だった。


「あいつ、俺が買い取る予定だった薬を横からぶんどって行きやがった。金になるとでも思ってんだろう。実際、いい値段だったけどな」


 この町の役場にいる、とある衛兵が持っているというそれ。緑の瓶に入った、ドロドロの薬。

 少年が自分で行かずに、こうして椎菜に行かせるということは、当然危険が大きいということなわけで。

 椎菜たちは役場の前までやってきたはいいものの、どう忍び込むべきか算段は立たず。

 少年に薬を引き渡すのは三日後の午後。

 それまでに、なんとか薬を盗み出さねばならない。薬を持っているという衛兵は、役場の隣にある、衛兵に割り当てられた居住エリアに建つ兵舎の自室へと、夕方六時頃に巡回から戻って来るという。

 椎菜たちは夕方、兵舎へと入っていく兵士たちを、離れた所から観察し続けた。

 薬を持っているのは、この街の警備隊長だということで。警備隊長は着ている鎧が他の兵士よりも派手であるとか。少年から得られた情報は少なかったが、目標の兵士を見つけるのには大した苦労はかからなかった。


「派手だね……」


「あれは、確かに派手かもしれないね……」


 まばらに歩く兵士の中に一人だけ、色とりどりの羽をあしらった鎧を着こむ妙なのが見えた。椎菜たちに見られているともしらず、その兵は兵舎の扉をくぐって行った。


「とりあえず、あの人の部屋を見てくればいいのかな」


「そうだね……。って、ちょっと、ちょっと!!」


 果敢にも、兵舎へと真正面から入って行こうとするスティープスを椎菜が引き留める。

 他の通行人たちが、皆不思議そうに椎菜を見ていた。


「いくらなんでも、それは無茶でしょ!?」


「え?あ、ああそっか」


「せめて暗くなるまで待とうよ!」


「大丈夫大丈夫」


「何が!?」


「実は、僕の姿は君以外の人には見えてないみたいなんだ」


「は?」


 ―――― 一体何を言い出すのだろう。この人は。


 目を白黒させて、椎菜は仮面の男を見つめた。


「僕が行けば見つからないし、安全に薬を探してこれる」


 椎菜とスティープスの周りには、ちょっとした人だかりが出来ていた。

 街の中、一人で大声を出しているなんだか可哀想な少女を、様々な思いを持って眺める人々が集まって。

 奇異の視線が痛かった。隠しきれていない笑い声が辛かった。


「だから大丈夫。心配しなくていいよ!」


「……っ!馬鹿っ!!!」


 胸の内から湧き上がってくるままに、椎菜は憤怒した。






「で、どうだったの?」


 機嫌は未だ直らず、椎菜の態度は冷たいまま。警備隊長を尾行して、待ち合わせの宿へ帰ってきたスティープスは、彼には理解の及ばぬ椎菜の心境に困惑していた。


「部屋は分かったんだけど、すぐに鍵を掛けられちゃったから部屋の中に入るのは無理だったよ。窓があったけど、鉄格子が張られてて体が入らなかった」


「……。そっか……」


「ごめんね」


 申し訳なさそうなスティープスに、椎菜も少し怒りすぎたかなと、思い直して。椎菜は、スティープスが尾行してくれている間に買ってきておいたお菓子を差し出した。


「これ、おいしそうだったから買ってきたの。よかったら食べて」


「あ、ありがとう」


 けれど、お菓子を受け取ったスティープスは、困ったようにそれを眺めまわす。


「これは……?」


「え?お菓子だよ。チョコみたいなやつ。包み紙取って…」


「?」


 椎菜はお菓子を一つ食べて見せた。スティープスはその光景を見て合点した。


「あ、そっか。食べ物か……。いい匂いだ」


 お菓子に顔を近づけてそう言ったスティープスの鼻は、確かに仮面に隠されている筈なのに。

 不思議なことに、彼の鼻は仮面越しでも匂いが分かるようだった。


「……。とりあえずその仮面取ったら?」


 椎菜はスティープスの仮面に手をかけて、引っぺがすつもりで力を入れたけれど。


「あれ?」


 取れなかった。仮面は、まるで顔にくっついてしまっているかのようにびくともしなくて。


「この仮面は取れないんだ。というよりは、もともと顔なんてないんだけどね。だからお菓子も食べられないんだ。折角買ってきてくれたのに、ごめん」


 いよいよ、椎菜にはこの男の正体が分からない。夢の中で、現実に帰るために助けてくれるスティープス。

 言うことは度々おかしくて、悪い人ではないとは思うけれど。真っ白な仮面を付けて、空を飛べて、椎菜以外見ることができなくて。

 椎菜には、スティープスが何か特別な存在である気がした。この世界で、他の人とは根本的に違うような。


「ううん、こっちこそごめんね。次はあなたが喜んでくれそうなものを選ぶから」


 ――――聞いてもいいのかな。なんで、スティープスから話してくれないのかは分からないけど、理由があるのかもしれないし。もしかしたら、こっちから尋ねた方が、話しやすいことなのかも。


 例え、スティープスにとって話しづらいことでも、椎菜には、知っておきたいことがたくさんあった。


「ねえ、スティープスはどうして私のところへ来たの?」


「んー……」


 スティープスは大分困った様子だった。椎菜の渡したお菓子を手の上で転がしながら、どう返答しようか悩んでいる。


「僕と同じ状況の人だったから、かな」


 得られたその答えは、椎菜が全く予想していなかったもので。


「どういうこと?」


「僕も君と同じで、この夢に入ってきちゃったんだ」


「……」


 正直、意味がよく分からなくて。椎菜はそれ以上聞く気を失くした。

 “この夢に入ってきた”。

 椎菜は考える。

 この夢は、普通の夢とは違う。普通の夢というのは、もっと行動に何の理由もなく、とりとめのない物なのに。これでは、まるで夢を見ていると言うよりは、別の世界に入ってきてしまったようで。

 そう考えると、ますますどうしたらいいのか不安になってきて、椎菜は考えるのを止めた。







 翌日。

 宿を出る前に、椎菜はスティープスに提案をした。


「鍵を掛けられたって言ってたよね?じゃあマスターキーを探してみたらいいんじゃないかな」


「マスターキーって?」


「それ一つで建物中の鍵が開けられるの。もしあれば、それを借りてくれば留守にしてる内に部屋を調べられるでしょ」


 スティープスは感心していた。

 「よく知ってるね」とか、「そんな鍵があったら他の鍵は必要ないんじゃない?」とか、色々騒ぐ彼にうんざりしつつ、今日は椎菜も兵舎の近くへ向かうのだった。


「どこにあるのかな?マスターキー」


「どこだろう……。多分、役場の方か兵舎に事務室みたいなとこがあればそこに……」


 椎菜たちは、役場正面の建物の陰に隠れて、警備の様子を確認し続ける。

 椎菜は、できるだけ傍から見ても怪しくないように気を付けた。スティープスと話しているところを見られて、また笑いものにならぬよう、よく周囲に気を配った。


「あと、マスターキーじゃなくても、建物中の部屋の鍵を集めた鍵束とかがあるかも」


「分かった。とりあえず行ってくるよ」


「行ってらっしゃい。気を付けてね」


 送り出したはいいが、椎菜は心配だった。

 スティープスには、どことなく危なっかしい所がある気がしてならない。例えるなら、まだ物事をあまり知らない子供のような。

 とはいえ、このままここで待っている訳にもいかず。せめて、あの女の子の行方を知る手がかりが得られないものかと、椎菜は聞き込みをすることにした。

 薬のことは、ひとまずスティープスに任せよう。足手まといになるよりは、自分は自分のできることをしておこうと椎菜は決めた。






「駄目だぁ……」


 誰も知らない。

 誰に聞いても、知らない知らない。

 何人か知っている人がいたけれど、彼らも結局は、どこかへ連れて行かれるあの子を見かけたことがある程度。現在、あの子がいる場所を特定することはとてもじゃないが無理だった。

 時刻は六時を過ぎて、椎菜はスティープスはどうなったのか気になった。マスターキーは見つかったのだろうか。そうでなくとも、合い鍵が見つかりさえすれば、事は進む。

 期限は明後日。今日が駄目だったなら、明日が最後のチャンスになる。


「……、大丈夫かな」


 そう考えると、椎菜はどうしても不安に感じてしまう。

 一応、椎菜は保険の策を考えておくことにした。スティープスを信用していないわけではないが、一応は。

 もやもやとした心持ちで、椎菜はスティープスへあげる物を探していた。

 昨日は予想外の事実のせいであげられなかったから、せめて今日はと思って。

 椎菜は店先で、何がいいかと物色する。


 ――――食べ物はNG。飲み物も。装飾品はどうだろう?


 椎菜には、スティープスの趣味がいまいち掴めない。仮面と執事服を着た、彼の趣味。


 ――――そもそも、なんで執事服?


 椎菜は、今更ながらに気になって。


 ――――それ以前に、スティープスという名前はなに?


 スティープスは椎菜と同じく、この夢の中に入ってきたと言っていた。

 どういう意味なのか、椎菜は理解できたわけではないけど、もし、椎菜のように現実にいる人なのだとしたら。スティープスという名前は偽名ということなのか。それとも、本当にそういう名前なのか。


「お客さん、何かお探し?」


 露店の店先で思考に耽っていた椎菜に、店主が話しかけてきた。


「あ、えっと……、その、綺麗な物とか」


「じゃあこれとかどうです?」


 店主が椎菜に勧めたのは、白い砂が詰められた小さな瓶。


「これは……?」


「夜に部屋の中にばら撒くとね、すごく綺麗な星空が見れますよ。お値段もお手軽だし、試しにどうです?」


 部屋の中で、星空。

 聞いただけではどうにも想像できない。でも、視覚的な物ならスティープスも喜ぶかもしれない。

 待ち合わせの時刻まで、もうあまり時間がない。店主の言う通り値段も高くは無いし、椎菜は試しに買ってみることにした。まさか、危ない薬とかでもあるまい。


「どうもー」


 瓶を一つ。椎菜は頭上に掲げながら、中の砂を揺らしてみる。

 特に変わった砂じゃないような。ひょっとして騙されたか、と疑ってもみたりして。

 歩く椎菜の耳に、気になる単語が飛び込んできた。

 兵舎。

 警備。

 それと――――

 お城から来た、騎士。


「城から来たっていうあいつ。こっちが話しかけても何も言わないんだよ」


「感じ悪いな」


「でもあいつ、結構強いらしくてなぁ。ヴァン・ヴァラックにも勝てるんじゃないかって、最近有名らしい」


「はぁ、それは言い過ぎだろ」


 ――――騎士。


 なんだか高貴な響きである。けれど、危険な人物らしい。そんな人がこの街にいると思うと、椎菜に不安が湧き上がる。

 まさか、兵舎にその騎士がいるのではないか、と。

 スティープスが心配になってきて、椎菜は立ち聞きを止め、宿へ急いで戻ることにした。






 椎菜が宿の部屋に入ると、既にスティープスがそこで待っていた。

 椎菜を見るや否や気まずそうに顔を伏せた所からするに、どうやら上手くいかなかったらしい。


「ごめん、椎菜。今日も駄目だった」


「あぁー……、まあ、しょうがないよ……」


 椎菜は買ってきたものを、ひとまず机の上に置き、スティープスの報告を聞くことにした。

 スティープスが言うには、まず、鍵束やマスターキーらしきものはなかったということ。

 次に、スティープスは無理矢理にでも部屋の中に入ろうとしたが失敗してしまったということ。


「……。無理矢理って、どうやろうとしたの?」


「部屋に入ろうとしてるときに突き飛ばせば……」


「やったの!?」


「いや、さすがに無理があるかなって……」


 踏みとどまったようだ。

 いくらスティープスは姿が見えないと言っても、触れられないわけではない。捕まってしまえばそれまでだ。薬を探すどころではなくなってしまう。


「でも、困ったな……。このままじゃ期限に間に合わない」


 スティープスは弱弱しくうな垂れた。

 残るチャンスは明日のみ。ついでに言えば、兵士が部屋にいる部屋の鍵が開いていると思われる夜間のみ。


「……」


 一つ、椎菜には考えがあった。

 けどそれは、椎菜の身を危険に曝すものでもあって。

 言うべきか。言わないでおくべきか。

 言わなければ、このまま椎菜は安全にいられる。

 期限の日が来ても、また別のお城への入り方を探せばいいだけだ。

 それならば、言わなくてもいいかと、椎菜は思ってしまう。見つかれば、どうなってしまうのか分からないわけなのだから。

 思考する椎菜の頭に浮かぶのは、前の街で見た公開処刑の残骸だ。大勢の人の前で無残に殺された、誰かの。

 自分もそうなってしまうかもしれない。

 なら。

 なら――――


「……」


 けど、それは。

 それはあの女の子を、スティープスを見捨てているのと同じことではないだろうか。

 女の子がまだ無事なのかどうかすら分からない。ひょっとしたら、もう殺されてしまっているかもしれない。今この瞬間に、殺されようとしているかもしれないのに。

 急ぐべきなのは間違いない。

 それに、椎菜としても、このままスティープスだけに任せているわけにはいかない。

 椎菜だって、あの子を助けてあげたい。本当にそう思っているのだ。


 ――――そうだ。


 椎菜の本心は。恐怖の奥に隠れてしまった本心は――――


「それじゃあ……」


 自分の気持ちを誤魔化したくないと、そう思っていた。


「それじゃあ、明日は私も一緒に行く」


「え!?」


「あなた一人で駄目なら、私も手伝う。二人なら、なんとかなるかもしれないでしょ?」


「いや、でも……」


 椎菜にも、危険だということは分かっている。しかし、次も同じやり方で上手くいくとは思えない。


 ――――なら、今度は、別のやり方で。


「あなたにばっかり頑張らせてられないし、私だって手伝いたいの」


「危険だよ。もし見つかったら……」


「なら、見つからないように私を守って。あなたがね」


「椎菜……」


 スティープスが困っている。

 当然だろう。彼と違って、椎菜は皆に姿が見えてしまうのだから。

 もし見つかってしまったとしたら。椎菜としても、恐くないと言えば嘘になる。


 ――――それでも。


「スティープス。あなたが私に言ってくれたみたいにね」


 椎菜は分かっていた。

 これは、恐くても、やらなくてはいけないことだ。


「私も、あなたにばかり辛い思いはさせたくないの」


「……、参ったな。意外と気が強いんだね」


 スティープスは呆れているのか喜んでいるのか、判別のつかない声色で。


「分かった。でも、できるだけ危険の無い方法を考えよう」


 スティープスはどうやら折れてくれたらしかった。

 大見得を切った手前、もう椎菜も後には引けない。しかし、恐怖の中に不思議にも、小さいながらに充実感が在った。


「うん。ありがとう。スティープス」


 しばらくスティープスと相談した結果、椎菜が得た結論は。

 衛兵が自室にいるときに衛兵を部屋の外におびき出し、戻ってくるまでに薬を見つけ出す。

 単純すぎて作戦と呼べる様なものではないけれど、精一杯考えた末の答えだ。平凡な頭を持つこの二人に思いつく限度でもあった。


「部屋の位置はもう分かってるし、衛兵が見回っている場所も予測は立てられるよ」


「なら、薬は私が探すね。あなたは上手く衛兵をおびき寄せて。なんか、そういうの得意そう」


 スティープスが衛兵を引き付け、椎菜が部屋を漁る係り。空を飛べる彼なら、衛兵の気を引く手段も多々あるはず。


「うん。忍び込む方法と道順は今晩の内に僕が調べてみるよ。他のことは明日、現場の様子を見て決めればいいかな」


「そうだね。とりあえずは、これで」


 勇気を出してみても、恐怖はすぐに再び湧き上がる。

 果たして、上手くいくのだろうか。

 今更考えても仕様がないとは思う。しかし、どうしても、椎菜は不安になってしまう。


「そうだ。今日ね、お店で見つけたんだけど……」


 いらないことを考えないよう、椎菜は昼間に買った小瓶を、紙袋から取り出した。部屋の中で星空が見られるという、なんだか危なげな触れ込みの。


「これは……。ああ!乾燥剤だ!!」


「……。いや、違うけど」


「違うの?」


「これをね、夜に部屋に撒くと星空みたいに見えるんだって」


「これが……?すごいね!やってみてもいい!?」


 いい食いつきっぷりだ。

 これほど喜んでくれるなら、椎菜にも買ってきた甲斐があるというもの。


「どうぞ。あなたにあげようと思って、買ってきたものだから」


 きゅぽんと気持ちの良い音を立てて、スティープスに瓶の蓋が開けられた。


「部屋の灯り、消した方がいいのかな」


 それもそうか、と椎菜は部屋にある燭台の火を全部消して。真っ暗になった部屋にスティープスが砂をさっと、ばら撒いた。

 振るわれた砂たちは、不思議なことにふわふわと浮き上がって。部屋のあちこちへと散っていく。そして、部屋の壁と床、ベッドに机に張り付いて、各々白く光り輝き始めた。


「本当に……、星みたい。星空の中にいるみたい」


 椎菜は見惚れていた。

 自分の体が宇宙に漂っている錯覚を起こしそうで。

 大きさの違う砂が発する光の強さには個体差があって、小さい砂の光がずっと遠くに瞬いている様に感じられ。光る砂たちに狂わされた遠近感に驚かされる。

 砂がその輝きを失うまでの数分。椎菜もスティープスもその輝きに魅入られていた。


「すごかった……。椎菜!すごかったよ!」


「うん、うん!すごかった!」


 実際、見てみるまでは椎菜も半信半疑だったものの、こう素晴らしい物を見せられては彼女も興奮せずにはいられない。

 後片付けのことは、考えないでおこうと決めた。


「ひょっとして、昨日僕がお菓子食べられなかったから、これを買ってきてくれたの?」


 ぎくり、と。

 その通りなのだが、椎菜は妙に恥ずかしくなってしまう。


「た……」


「え?」


「たまたま、たまたま見つけただけだから!だから……!」


 スティープスは半狂乱の椎菜の言葉を、有り得ざる純粋さで鵜呑みにした。


「そっか……。でも、ありがとう。綺麗だったね」


「うん……、いや、あぁ……」


 スティープスが部屋の灯りをつけ直そうとするのを見て、椎菜は慌てて顔を窓から外に出した。

 椎菜自身にも、自分の顔が真っ赤になっているのがはっきり分かった。






 そろそろ時間だと言って、また今日も宿に泊まらず去って行ってしまうスティープスを見送り、椎菜は夕食を摂ることにする。

 昨日とは別の、ちょっとだけ豪華な宿。

 この宿にもレストランが入っているようで、和式の畳張りの個室がずらっと並ぶ、懐石料理でもでてきそうな高級料理店の御様相。和式というこの世界に似つかわしくない形式である理由は考えないことにして。

 メニューを見た椎菜は己が目を疑った。

 スモックの姿煮、ブルゾンの味噌漬け、タンクトップのソテーサーモン風……、等々。

 スモックとは服の種類ではなかったか。タンクトップもそうだ。ブルゾンに至っては聞いたことのない言葉だ。こんな物を食べられるはずがない。服は衣類であって食べ物ではないのだから。


 ――――でも、ひょっとしたら食べられるのかも。


 椎菜は次第に冷静な判断力を失っていく。夢の中なのだから、案外食べれてしまうかもと馬鹿げたことを考えてしまう。

 他のメニューも怪しい物ばかりであった。しかし、何かしら頼まなくてはならない。

 何か腹に入れなくては、大して疲れてもいないのにどうしてか腹は減ってしまう。ろくでもない料理しかないこの世界では、椎菜にとって本当に何かの嫌がらせとしか思えない。

 悩んだ末、椎菜が頼んだのはブルゾンの味噌漬け。ブルゾンが食べ物を指す言葉であれと祈りを込めて、最悪味噌だけ食べればいいかなと、そう思って。

 けれど、出てきたのは普通の味噌カツで。

 なんとなく拍子抜けしながら口に入れたカツは、ぎっしりと味噌がしみ込んだ塩辛い豚肉。思わず咳き込んで、思い切り、前のめりにテーブルに突っ伏した。

 食べれば食べるほど不健康になりそうな味である。量は並程度ではあるけれど、この味付けは如何ともし難い。

 これは長期戦は避けられないと戦慄いた椎菜に救いがあった。

 千切りにして添えられた青い野菜。味の予想がつかないキャベツのようでキャベツでない、それ。だが口に入れてみれば、味噌カツの濃い味を科学的に中和して舌と喉に残った味噌味を綺麗に消し去っていった。

 その舌触りには現実の料理では得られないであろう清々しさを感じる。もう何も恐れるものはない。椎菜は勝利を確信した。

 カツと野菜の配分を完璧にこなし、そう長くもない闘いの末、ついにこの生ゴミを完食して見せたのだった。


「不味かった!」


 勝利の雄叫びと共に、椎菜は部屋のベッドへ飛び込んだ。

 だが、風呂は翌日に入ればいいというこの時の慢心が、彼女を後悔させることになる。






 翌朝、目を覚ました椎菜は宿の浴場に向かった。

 しかし、その浴場の扉には立札が。

 “浴場 午後六時~十二時”

 愕然とした。

 急いで部屋に戻り、ぼさぼさの髪を梳かしにかかる。急がないとスティープスが迎えに来てしまう。洗っていない少しだけ脂が出た長い髪が、櫛に絡まってしょうがない。


 ――――まずい、まずいまずい、まずい!


 ――――汗臭くない?服も昨日のまま洗ってない。いつもは宿に用意された寝間着を使って寝るのに、どうしてこの服で寝てたの?


 ――――せめて、服だけは洗っておけばよかった。二階に洗濯機もあったのに。


 急がなくては、来てしまう。彼が。

 彼が。

 スティープスが、迎えに来た。

 スティープスは、早速今日の計画のことを話し始めるものの、相手の椎菜はなんとか纏めた髪と、自分の匂いが気になってそれどころではなく。スティープスの大事な質問にも、気の抜けた返事をするばかり。

 流石に様子がおかしいと気付いたスティープスは、椎菜が体調を崩しているのではと心配して。


「大丈夫?なんか落ち着かないみたいだけど……」


「えっ!?あ、ああ……、ううん平気。大丈夫。ごめんね、なんの話だっけ」


 ようやく正気に戻った椎菜は、スティープスに聞き返す。


「何時くらいに役場のあたりに行くかって話だよ」


「ああ、それなら……、昼位に行って、夕方まで衛兵たちの様子を見ておこう。もしあそこに一杯集まってたら大変だし、もしそうなら、まだ見渡しやすい明るい内に対策を練らないと」


 役場の近くなのだから衛兵が偶然固まっていることも有り得る。兵士の部屋に辿り着くまでの段取りもスティープスに確認してもらわなくてはならない。

 だから、できるだけ早く行っておかなくてはならなかった。

 そして、時刻は二十一時半。

 街行く人はまばらになって、出歩く衛兵も少ない。動きやすい時間になった。


「どうやらいけそうだね。警備の様子は昨日と変わらない」


 椎菜たちは役場と兵舎を休みを挟みながら、予定通り昼過ぎから偵察し続け、作戦を開始する踏ん切りがついた。既に真っ暗になった道を静かに辿り、兵舎に近づいて行く。

 見張りは三人。


「僕が行こう」


 スティープスが見張りの兵士の前を堂々と横切って周辺を照らす街灯に向かう。

 スティープスの姿は、本当に他の人に見えていないようだ。

 そのままスティープスは宙に浮いて街灯を布で包み、灯りを遮った。


「なんだなんだ、故障か?」


 兵士の眼が慣れない内に、椎菜は視界から逃れながら先へ進む。

 椎菜が安全圏に入ったところでスティープスは布を外し、椎菜について行く。


「後は部屋から衛兵を誘い出すだけ……」


 目標の部屋は兵舎の二階、一番奥の向かって右の部屋。そこに薬があるはずだ。


「じゃあ、行ってくるよ。そこで待っていて」


 一階の階段の隅に隠れる椎菜にそっと告げてスティープスが衛兵の部屋のドアを叩く。そして、スティープスはドアが開く前に、ドアの隙間に手紙を挟みこんだ。

 ノックされたドアを開け、中にいた衛兵が顔を出す。

 そして、衛兵はひらひらと床に落ちる手紙に気付いて、それを拾い上げた。

 “大事な秘密のお話があるんです。五階でお待ちしています。”

 出来る限りかわいい文字で書いた簡単な手紙。ここに来る前に椎菜が書いたもの。

 五階建てのこの建物なら、二階と五階の間を往復している内に部屋を調べることができる。時間が足りないのなら、スティープスが稼いでくれる。


「おいおい参ったな……」


 衛兵はまんまと誘いに乗って、部屋から出て行った。衛兵は三階へと続く階段を上がっていく。後ろから衛兵について行くスティープスが、椎菜に手を振り、合図した。

 椎菜が階段を、音を鳴らさないように駆け上がり、ドアノブを回し、部屋に入った。

 椎菜は散らかり放題の部屋をどんどん漁っていく。

 漁る、漁る。

 机の上、本棚、ごみの山。


「散らかしすぎ!」


 怒りを覚えながら、椎菜は部屋を荒らしていく。終いには、邪魔な本をごみ箱に投げ入れて。


 ――――見つからない、見つからない。


 時間が無くなっていく。

 焦った気持ちを落ち着けようと、どさっと腰を床に下ろした椎菜は机の下に転がる何かを見つけた。

 まさかと思って飛びついて、手に取った。

 緑色の瓶である。

 瓶をぶんぶん揺すると、中身はドロっとぬめって。


「これだ!」


 ――――見つけた。


 少年が言っていた通りの瓶と中身。これで間違いないはずだ。

 椎菜は急いで部屋から出て、もう一度階段の隅に隠れた。そこで寸刻待つと、スティープスが顔を見せた。


「どうだった?」


「あったよ。持ってきた。早くここから離れよう」


 ――――ここまでは、順調。

 後は、衛兵が部屋の惨状に気付いて騒ぎになる前に、兵舎から遠くに逃げるだけだ。

 椎菜は兵舎から出て、暗い道をひたすら走る。スティープスが灯りを隠してくれている間に走る。走る。


 ――――大丈夫。逃げ切れる。大丈夫、大丈夫!


 椎菜は未だに追手が来ないことから、成功を確信した。ずっと体を強張らせていた緊張が解れていく。足も自然と速くなる。


 ――――もう少し。あと、もう少し。


 しかし、椎菜の走る先に一つ、人影が現れた。

 それは暗闇の中に在ってなお、剥き出しの敵意を持って椎菜を見据える騎士であった。

 全身を、鋭利な刃物を思わせる英雄然とした鎧に包み。

 真紅の外套たなびかせ、顔の見えない兜を被る。

 その騎士は、有無を言わせぬ気迫に満ちていた。

 目の前から走ってくる椎菜を、一切の慈悲なく切り捨てる意志を持って。椎菜に対する明らかな殺意を放っていた。

 目前に立ちはだかる威容に、椎菜は立ち止まる。生まれて初めて向けられた、自分に対する明らかな殺意に、椎菜は動けない。

 椎菜の足は恐怖に震えて、走る力は奪われた。

 騎士は物一つ言わず、椎菜に切りかかる。一瞬にして、騎士は十五歩分の距離を詰め、剣が振り下ろされた。

 だが、騎士の剣は地面を穿つ。椎菜のいた場所の地面を。

 スティープスが椎菜を抱き寄せ、騎士の剣筋から引き離していた。

 騎士はすぐさま体を捻り、傍目には不自然にすら見える動きで、椎菜を剣で突く。

 しかし、当たらない。

 スティープスが、見えない彼が椎菜を守る。

 騎士の剣が、暗闇を裂いて次々に切りつける。スティープスが飛び立つ隙も与えず、踏み込む騎士の鉄靴が、地面を削り音を立てる。

 騎士の腕を掴み取ったスティープスが、椎菜を押し飛ばし、叫んだ。


「僕がこいつを押さえる!君はそのうちに!」


 切羽詰まったスティープスの声に、椎菜は返事と共にすぐ様走り出した。


 ――――急がないと、衛兵が集まってくる。


 スティープスはあらゆる手を使い、騎士を攪乱する。相手に見えない手と足で、騎士の動きを乱していく。

 だが、スティープスの姿が見えないはずなのに、騎士の動きはどんどん正確さを増していく。

 騎士は止まらない。

 一瞬も動きを止めずに、見えないスティープスの動きを読むように、剣を動かし、スティープスを追い詰める。


「スティープス!」


 速過ぎる剣は、スティープスに逃げる隙を与えない。振るわれる剣をすれすれに、スティープスが避ける。

 しかし、ついに掠めた剣の切っ先が、スティープスの体を横転させた。

 騎士は手ごたえと音を頼りに、地面に倒れたスティープスをすぐさま踏みつける。

 騎士によって、スティープスが捕らえられた。

 騎士が剣を持ち直し、スティープスの体を貫くために肘を上げ、剣で突こうとした。

 けれど、騎士の剣がスティープスを貫くことはなかった。なぜなら、宿舎の二階から、騎士に投げ落とされた一つの煉瓦が騎士の視界を大きく揺らしたからである。


「早く!スティープス!」


 煉瓦を落とした椎菜が、必死に叫ぶ。

 地面に倒れたスティープスは、騎士の後頭部に当たって砕けた煉瓦と、宿舎の二階から見下ろす椎菜を見て、すぐに体を飛び起こした。

 よろけた騎士はすぐに体勢を立て直し、起き上がったスティープスに切りかかる。

 剣はスティープスの服の肩を切り裂いた。だが、体には届かない。

 スティープスは避けた動作を、そのまま蹴りの動きに持っていき、騎士を強く蹴り上げた。

 ようやくの反撃。騎士に僅かではあるが、隙が生まれる。

 騎士は人間とは思えぬ動きと速度で体勢を立て直し、距離を取ろうとしたスティープスの居場所を音で察知し、襲い掛かる。

 騎士の剣から逃れつつ、スティープスは灯りを隠すために使った布を騎士に投げつけた。

 騎士の剣は宙に舞う布を瞬時に切り裂く。しかし、騎士の視界が布で隠された一瞬に、スティープスは大きく距離を取る。

 そして、騎士が迫る前に、スティープスは空へと飛んだ。

 スティープスが空へ上がった直後に、騎士の剣がスティープスがいた場所を薙いだ。

 騎士に手ごたえは無い。

 騎士は、スティープスがその場に既にいないことを悟り、剣を収めた。

 空の上から騎士を見下ろしながら、スティープスは街中を走る椎菜を確認した。

 まだ、衛兵たちは兵舎から出てきてもいないようだ。


「なんとか……、なったかな……」


 スティープスは疲れた様子でそう呟いた。

 椎菜たちは、こうしてなんとか逃げおおせたのであった。






 少年と取引してから三日。約束の時間。

 待ち合わせの場所に少年が姿を現した。以前と変わらず堂々として、椎菜の前にやって来た。


「で、どうだった?例の物は手に入ったかい?」


「これでしょ?」


 椎菜は薬を手で持って、少年に揺らして見せる。


「お、やるな!助かるぜ!」


 少年が椎菜から薬を取ろうと手を伸ばす。椎菜はさっと薬をしまって、少年に言った。


「先にお城へ入る方法を知っている人のこと、教えて」


 少年はむっとして椎菜を見上げる。


「その前に、それが本物かどうか確かめさせてもらわないとな」


 仕様がないと、椎菜は少年の眼の前に薬を渡した。

 少年は、鑑識よろしく薬を揺らしたり、遠目に眺めたり。果ては蓋を開け、中身を指に付けて舐めたりした末、少年はその薬を要求した物だと確信したようで。


「よし。じゃあ教えてやるよ。この町から西に行くとでかい森がある。そこにいる魔女がそうだ。あの小汚い怪しげな婆さんが城に入れるのには、何か理由があるに違いない。きっと何か役に立つ話を知ってる」


「魔女……」


 良いイメージがない言葉だ。椎菜は嫌な予感に背筋を凍らせた。


「まぁ……」


 少年が薬を飲むと、椎菜は驚き目を見開いた。

 薬を飲んだ少年の体が黒く歪んで、黒のクレヨンでぐちゃぐちゃに塗り潰したような何かに変わっていく。


「聞き出せれば、の話だけどさ」


 その何かが、ライオンに姿を変えた。毛先の方に黒みを帯びたたてがみを揺らし、成体の物と思われる体躯を喜ばしそうに跳ねさせながら、自分の体を眺めまわしていた。


「あとな、あんたたちが探してる女の子」


「へ?」


「知らないと思ったのか?その子が城の中に連れてかれるのを見たやつがいるってさ」


 ライオンの口調は少年の時と変わらないのに、見た目相応の低い声で。厳つい顔に付いた口を小さく開き、つぶらな瞳を輝かせ。

 動物の身である故に表情の変化はないが、元少年のライオンの声は弾んでいるのが分かる。

 椎菜はそんな彼を見つつ、追いつかない思考を必死に動かしたものの、結局追いつかず。


「ありがとな、姉ちゃん!じゃあな!」


 ライオンは普通の子供のように、椎菜に別れの挨拶をかけてどこかに去っていった。唖然と少年が、ライオンがいた空間を見続けることしかできない椎菜。


「……」


 上の空の椎菜を見ながら、スティープスは今後に不安を寄せていた。


「魔女か……」


 魔女に関する噂だけなら、スティープスは既に聞いていた。

 できないことはないのではと思われるほどの魔法を操り、しかし、臆病で誰とも関わろうとしない老婆。

 凶暴ではないが、臆病さ故に周囲を傷つける魔女。

 どうやら、まだ危険を乗り越える必要はあるらしかった。


「ねぇスティープス……、今の……、スティープス?」


 夢はまだ、覚めない。

















2nd tale End



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