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Epilogue.

・ある少女の決意


 季節は巡り、夏が過ぎて、秋が来て。

 私は、哉沢紫在は朝の紅葉並木を見上げて歩く。

 肌寒い風に舞う紅葉の中を、兄の隣に並び、進んでいく。

 青空の下、冷たい空気が寂しくて。私は兄の顔をじっと見つめた。兄は私の視線に気付き、こちらを見てくれたけど、恥ずかしそうにすぐに顔を背けた。

 私の背負うランドセルには、くまのぬいぐるみがぶら下がる。

 彼にも、見ていてもらいたかったから。

 これから、私がするべきことを、私が成し遂げる所を。

 紅葉並木を過ぎて、住宅街の中を少し歩くと、その先に久しぶりの学校が見えた。

 三か月という空白は、私を取り巻く環境にどんな変化をもたらしただろう。

 クラスメイトたちは、私自身は。何か変わっただろうか。何も変わっていないのだろうか。

 両親には、近くの別の小学校に転校することを勧められたけれど、私はもう少し、この学校に通うことを決めた。

 私には、まだここでやり残したことがあると思ったから。例え、新しい場所に行くとしても、私は自分が気付いたやるべきことから目を背けたくなかった。

 私のしていることは、椎菜さんの真似に過ぎないのかもしれない。でも、あの人の真似なら、失敗でも、間違いでも、してもいい様な気がして。

 あの人の様に少しでもなれるなら、私はいくらでも傷付いてもいいと、そう思って。


「……、大丈夫?」


「大丈夫。ありがとう、お兄ちゃん」


 開いたばかりの校門で兄と別れて、私は昇降口で上履きに履き替えようと自分の下駄箱を開けた。

 すると、下駄箱に入っていた筈の上履きがなくなっていて。どうせそんなことだろうと思って用意しておいた、新しい上履きをランドセルから取り出し、履いた。

 まだ早い時間だと言うのに、もう学校へ来ていた生徒の何人かが、私の存在に気が付いたようだった。気味悪がって見られたけれど、傷付きながらも私は教室へ向かった。

 私が教室へ入った途端、教室の中にいたクラスメイトたちが驚き、すぐに小さな声で話し始めた。

 私は久しぶりの自分の席に座り、机の中を確かめると、そこには大量のごみが入れられていた。紙屑にトイレットペーパー、虫の死骸まで。

 身の毛がよだつそれらを、私はちり取りに乗せ、ごみ箱に捨てて行った。

 机とごみ箱を往復する間、クラスメイトの視線と内緒話が私の胸を刺す。目が熱くなってきて、涙がこぼれそうになったけれど、なんとか堪えた。

 時間が経つにつれ、教室に人が増えていく。

 やがて女の子の集団が教室に入ってきて、その中に、崎山さんと坂井さんの姿を見つけた。

 私がいることに気が付くと、二人とも他の女の子と小馬鹿にした笑みを浮かべた後、何も言うことなく席に着いた。

 その後に続くように先生が入ってきて、私が来ていることを知っていながらも、何事もない体でホームルームを始めた。

 ホームルームを終え、授業の前の休み時間。私は席を立ち、坂井さんの所へ行った。茶色に染めた髪は、もう肩にかかりそうな程に生え伸びていた。

 坂井さんは私が近づいてくるのを見るや、席を立って、他の子の所へ行こうと急ぐ。


「坂井さん!」


 私が呼ぶのを無視して他の子と話し始めた坂井さんは、こちらに背を向け続けた。分かってはいたことだけれど、私はやっぱり恐くなってしまう。傷付くことが。傷つけてしまうかもしれないことが。

 でも、それでも。私は息を整えて、坂井さんの正面に回った。


「坂井さん……」


「……」


 正面に立つ私を見るその目は、ぞっとする程冷たくて。


「……、何?」


 坂井さんの静かな態度に込められた怒りを感じた。私は覚悟を決めて、自分が言うべきことを言った。


「ごめんなさい。私、坂井さんにひどいことしちゃって……」


「ひどいことって?」


「坂井さんの髪……、切っちゃったこととか、他にも――――」


 途端、坂井さんが私に踏み寄って。私の視界が揺れた。坂井さんに髪の毛を千切れそうなくらいに引っ張られ、私は床に倒れた。


「はあ!?ふざけてんの!!?」


 私の髪が乱暴に引っ張られる。坂井さんは机の中からはさみを取り出して、振り回した。周りにいた子たちが悲鳴を上げて、遠ざかる。やがてはさみは私の髪にかざされて、掴まれた私の髪を。


「ごめんって何!?何言ってんの!??」


 私のこめかみの辺りの髪がばっさりと、坂井さんに切られてしまった。

 騒ぎに駆け付けた先生が、慌てて坂井さんを抱き捕まえて、私は床に散らばった髪を見た。

 泣きそうになったけど、我慢した。まだ泣いてはいけないと、そう思ったから。


「ごめんなさい……、坂井さん。ごめんなさい……」


「謝ったら許されると思ったのか!!?ばーか!!!」


 坂井さんは泣いていた。私は自分のしたことが間違いだったのかと、不安になる。

 ずっと感じていた嫌な気持ちが遂に、胸に思い起こされる。

 何時か私を飲み込んで、私の心を変えてしまったこの気持ちは、恐怖。

 それが私に何をもたらすか、私は知っている。

 かつて私は、自分が傷つくことを恐れる余り、自分から人を傷つけることを選んだ。恐怖を恐怖で塗りつぶし、塗り潰した恐怖はやがて膨らみ、罪悪感となって私を食らう。

 恐怖の向こうにあったのは、罪悪感。あの白いスーツの男性を思い出して、私の背筋に寒気が走った。

 けれど、緊張に包まれた教室の中、笑い声が響いた。

 笑っていたのは、傍で私たちを見ていた、そばかすの目立つ女の子。崎山さんが、私と坂井さんを見て笑っていた。


「何それ!?何でそんなに泣いてんの!??あっははは!!」


 怒りに鳴き喚く坂井さんを、指差して笑う崎山さんの姿が、私にはとても気持ちの悪い物に感じた。

 段々とその笑いは伝染し、教室中で笑いが起こる。坂井さんの怒りは増すばかりなのに、皆は笑う。

 先生の腕の中で、坂井さんが暴れ出す。制止する腕を振り切って、坂井さんははさみを振りかざして、崎山さんに掴みかかった。

 笑いが一瞬にして止んだ。

 崎山さんの顔が恐怖に歪んで、その髪の毛が坂井さんに掴まれて。

 坂井さんのはさみが、崎山さんの髪を根元から切り落とした。

 教室が悲鳴で埋まる。坂井さんがまた先生に捕まったけれど、まだ怒りは収まらない。坂井さんははさみを振り回し、先生に捕まりながらも暴れていた。

 私は恐怖に足がすくんだ。

 皆が悲鳴をあげていて、崎山さんが切られた髪を持って泣いていて、坂井さんが怒る、その様に。

 私は坂井さんに謝らなくてはいけないのに。言葉だけではなく、ちゃんと、坂井さんが納得できるように。

 けれど、私はこの一歩を踏み出せない。

 振り回されるはさみが、坂井さんが何と言うか恐くて、恐くて、仕様がない。

 あの人も、椎菜さんもこんな恐怖と闘っていたのだろうか。夢の世界で、何度も、何度も。

 椎菜さんの姿を思い出すと、私の心と体が力を取り戻す。

 そして、夢の世界の人たちのことを、スティープスのことを、ライオンさんのことを、ディリージアのことを、魔女のお婆さんや私を守ってくれた騎士のことを、思い出して。

 頭に浮かんだ皆の姿が、怖気づきかけていた私に、勇気をくれた。

 私は坂井さんに近寄った。そして、はさみを振るその手を掴んだ。その拍子にはさみが床に落ちて、坂井さんは少しだけ大人しくなった。

 坂井さんが私を睨む。泣き腫らした目で、こちらに怒りを込めて。


「本当に、ごめんなさい。坂井さん……」


 私は床に落ちたはさみを拾う。

 何をするべきか、私は分かった気がした。

 謝るということは、こういうことだと、直感した。

 だから。

 はさみを自分の髪の根本にあてて、私は。

 坂井さんが睨みつける中。教室も廊下も埋め尽くす人たちが見守る中。

 私は、自分の髪の毛を全て切り落とした。







 私がそうした後、騒ぎは火を消したように収まっていった。

 崎山さんは泣き続け、坂井さんは脱力して先生に連れられて行って。その後すぐ、学校に呼び出されたお父さんとお母さんが、私の不恰好になった頭を見て悲鳴を上げた。

 お母さんは泣いて、お父さんは怒って。二人とも、私の心配をしてくれて。

 私は落ち着いて事情を説明した。

 私が髪を切ったのは、坂井さんに謝るためだということ。私が虐められていたこと。私が虐めをしていたこと。

 私が全部話して、学校側と両親が話し合う中で、私を転校させるという話が出た。

 でも、私はまだこの学校でやり残したことがたくさんある。ここに残らなければいけない理由もたくさんある。

 だから、私は転校したくないと両親に告げた。私の必死のお願いに、お父さんとお母さんは私の気持ちを汲んでくれた。

 お父さんもお母さんも、学校や、坂井さんたちの親に何度も謝りに行って。

 結果、私はもう少しの間、このまま同じ学校で様子を見るということに落ち着いた。


「どうしたのその頭!!?」


 私が髪を切り落とした晩のこと。

 話を聞きつけ、訪ねてきてくれた椎菜さんは、丸坊主になった私の頭を見て何事かと驚いた。

 そして、私が簡単に説明をすると。


「辛かったね……。頑張ったね……。ごめんね、私があなたに無理させちゃったんだね……」


 椎菜さんは私のために、泣いてくれた。嬉しかった。私の頑張りを椎菜さんは認めてくれた。椎菜さんは、分かってくれた。

 自分の情けない頭は、鏡を見る度に溜息を吐きたくさせるけれど、私は後悔していない。

 なぜなら。






 後日、家の近くにある公園でのこと。

 公園にやってきた私に、椎菜さんが帽子をプレゼントしてくれた。

 温かくて可愛い、ニット帽。

 髪が生え揃うまで、私が必要以上に辛い思いをしないよう、椎菜さんが選んで買っておいてくれた帽子だった。

 それから、椎菜さんは私を公園にいる人たちに紹介してくれた。

 公園にいるのは、私の通う小学校とは、違う学校の人たちばかりで。

 私と同じ歳の人も何人かいて、皆、仲良くしてくれた。

 私の頭を馬鹿にする人もいたけれど、私はあまり気にならなかった。椎菜さんが怒ってくれたし、何よりも、これは自分で決めたことだったから。


 そう、それから。そんな風に公園で遊んでいた私の所へ、坂井さんがやってきた時のこと。


「あ……」


 私は公園の入口に立つ坂井さんと目が合って。坂井さんが何をしに来たのか分からなくて、怖かった。

 私は椎菜さんの服を掴んで、背中に隠れようとした。

 でも、椎菜さんは私の肩を掴んで、私を前に押し出した。


「大丈夫。今度はきっと、あなたの話を聞いてくれる」


 肩に置かれた手は暖かくて、椎菜さんの声は迷いが無くて、私の心を落ち着かせた。

 椎菜さんが私の背中をそっと押す。私の体が前に出て、そのまま私は進みだす。

 恐怖が和らいで、私は勇気を思い出す。勇気が私を、坂井さんの前に立たせてくれた。


「哉沢さん……。これ……」


 そう言って、坂井さんが私に渡した箱の中に入っていたのは、なくなっていた私の上履きだった。


「これ隠したの、私で……。その……」


 坂井さんはうつむきながら、私の顔を見つめて。


「ごめん……。いろいろ……」


 びくつきながらも、そう言ってくれて。


「ううん……。いいよ。私こそ、ごめんね……。本当に……、ごめんなさい……」


 私の返事に、坂井さんは顔をぱっと赤らめた。

 落ち着かない様子で佇む坂井さんと向かい合いながら、私は嬉しくなってきて。自分が謝った意味があったのだと、思って。


「哉沢さんさ、なんで……、転校しなかったの……?」


 坂井さんが言ったことに、私は少し考えた。

 「なんで」と聞かれれば、それは、まだあの学校で私がやるべきことが残っていると、そう思ったからで。

 崎山さんとのことも、これからいじめの標的になりそうな坂井さんも、私は放って置けなかったから。

 でも、一番の理由は。


「私、友達になりたいの」


「友達……?」


 そう。

 私は、坂井さんや崎山さん、それにクラスの人たちと――――


「できないかもしれないけど、でも、もしかしたら、友達になれるかもしれないって思ったから、だから、あの学校に残りたかったの」


 もし、みんなと友達になれるのだとしたら、それはとても素敵なことだと思ったから。到底できるとは思えないし、そう上手くいくとは私も思わないけれど。

 でも、夢の世界で見た椎菜さんの姿を思い出すと、「もしかしたら」。そんな風に思えて。


「……。そうなんだ……」


 坂井さんは暫く黙ったままだった。

 馬鹿みたいだと思われてしまったかも。

 私は、坂井さんに拒絶されるかもしれないと、恐くなった。

 けれど。


「私も……、哉沢さんと仲良くしたい……、かな……」


「え?」


 坂井さんは、恥ずかしそうに、そう言って。


「哉沢さん、よくここで遊んでるんでしょ?じゃあさ、私も……、来ていい?」


「うん……!うん!」


 私が大きくうなずきながら、思わず坂井さんの手を握ると、坂井さんも嬉しそうに笑って、握り返してくれた。

 その後、少し話をしてから別れの挨拶をして、今日の所は、坂井さんは帰っていった。

 私は急いで、他の子たちに襲われている椎菜さんに駆け寄って、今あったことを話した。すると、椎菜さんはまるで自分のことのように喜んでくれて。


「よかったね……。よかった、本当に……」


 ぎゅっと抱きしめてくれる椎菜さんの胸の中で、私は夢の世界のことを思い出す。私が潰してしまった世界。私が殺してしまった人々のことを、思い出す。

 夢から目が覚めた時、私は途方もない自分の罪に目がくらんだ。こんな私が生きていていい筈がないと、こんな辛い気持ちを持って生きていける訳がないと、そう思った。

 けれど、今は違う。

 私には、私を大事に想ってくれている人たちが大勢いるのだと分かったから。家族も、椎菜さんも。スティープスも。

 それに、私が生まれてくることを楽しみにしてくれていたという、お姉ちゃんも。きっとそうだったに違いない。




 私の辛さを一緒に背負ってくれる人たちがいる。それはとても幸せなことで。私はその人たちを大事にしようと決めた。

 いなくなってしまった人たちのためにも。私は絶対に忘れない。そう、あれは確かにあったこと。

 ディリージアも、私を大事にしてくれた魔女のお婆さんも、私を守ってくれた騎士も。恐ろしいヴァン・ヴァラックもヴァン・ヴァッケスも。大好きだったライオンさんも。

 私が殺してしまった、夢の世界の人たちも。

 みんなのことを忘れない。私たちの見た夢のことを、私は一生持って生きていく。

 どんなに胸が痛んでも。何度白い霧が頭に浮かんでも。




 だってこれは、私の――――




 私の大事な、思い出だから。





















「あんな所で寝て、風邪ひかない?」



「平気。バスの中、暖房効いてて暖かかったし」



「ならいいけど……。心配だなぁ。君、最近居眠りできるとこなら、何処でも寝るから」



「ちゃんと寝ていい時に寝てるんだから、大丈夫なんです」








Epilogue. Be sincere








「じゃあ、ディリージアもここに来られるの?」


「ああ。多分だけど、あとは、体さえあればいけるんじゃないかな。いろいろ試してはいるんだけどね」


 敷き詰められた石畳、ブーツの底を叩くように歩くと、コツコツと音がする。

 青く澄んだ空は明るい色で世界を包み、街の景観も明るくする。

 煉瓦造りの塔の中へ、自動ドアが開くのに合わせて、二人は入っていく。

 一人は女の子。手に紙製の買い物袋を提げていて。

 一人は男性。顔をすっぽり覆う仮面を被り、どういう訳か、執事服を着込んでいて。

 二人はエレベーターに乗って塔の屋上に上がった。屋上には、既に何人か、景色を眺めに来た女性たちがいて。

 二人もそこから見える夢の世界の景観を、緩やかな風に吹かれながら眺めた。

 現代的な設備を持ちながら、石造りの御伽噺のような建物が広がる街並みに、女の子、箕楊椎菜は我ながら悪くない夢だとにやついた。

 椎菜は紙袋からいくつかお菓子を取りだして、その内の一つ、ワッフルに似た焼き菓子を、気分よく頬張った。

 途端に顔をしかめた椎菜を見て、仮面の男性、スティープスは可笑しそうに笑った。


「またハズレ?」


「いい加減、この世界の食べ物は改善していかないとね……」


 スティープスは椎菜の隣で青空を眺めつつ、彼女の横顔をちらちらとうかがった。そんな彼に気が付かず、椎菜は言った。


「紫在がね、今度また夢に呼んで欲しいって」


「ん?あ、ああ。そうか、じゃあ今夜呼べばいいかな」


「やっぱり、あなたのこと気になるみたい」


 心地の良い風が吹き、椎菜の髪を柔らかくたなびかせ。紫在のことを話す椎菜の優しい微笑みにスティープスは魅入られて。


「でも、紫在は……。新しいやつが気に入ってるみたいだし……」


「は?ああ、あのうさぎのぬいぐるみ?」


 “新しいやつ”とは、紫在が誕生日に、新しくプレゼントしてもらったぬいぐるみのことで。

 スティープスは女々しくも、紫在に可愛がられているあのぬいぐるみに嫉妬しているらしかった。


「僕も椎菜にあげちゃったし、僕よりあいつの方がいいんだよ……。僕の方が可愛いのに……」


「何それ……。大体、紫在はそういうつもりで私にあなたをくれたんじゃないから……」


 スティープスは落ち込んだ風に手すりにうな垂れて、塔の下に広がる景色に仮面を向けて。思いついたといった様子で椎菜に提案した。


「ねえ、今度また劇見に行かない?映画でもいいけど」


「そんなに気に入ったの?現実で?夢の中で?」


「んー、両方」


「現実の方は財布と相談かな……。最近行き過ぎだし……」


「そうか、お金か……。じゃあ夢の中で新しい映画探そうか。たまに現実の映画も見られるし」


「なんであるんだろうね、あれ。やっぱり私の周りにある物は、なんでも夢の中に入って来るのかな」


「君が興味ある物が、どんどん入って来てるような気はするけどね」


「例えば?」


「それとか」


 スティープスが指差すのは、椎菜が今まさに食べようとしていたカップケーキ。椎菜はそっとケーキを紙袋にしまい直して、景色に目をやった。


「っていうか、ゲームはいつになったらやらせてくれるの?」


「あー、ゲームかぁ。うちにあるのなら、そのうちね」


「そのうちって、いつくらい?」


「そのうちは、そのうち」


 これは余談であるが、スティープスが初めてゲーム機に触れることができたのは翌年のことであった。


「早く働けるようになりたいなぁ。そしたら、お金貯めて一杯旅行に行くのに」


「いいね。僕も連れてってくれる?」


「当たり前でしょ。一緒にいろんな所に行って、この世界をどんどん広げてくの!」


「おお!なんかすごいね!!」


 椎菜の野望にスティープスは驚嘆の声を上げ、椎菜は思い至って振り返る。


「あのうさぎのぬいぐるみも、あなたみたいに意識あったりしないのかな?」


「えー、まだないんじゃないかなぁ」


 スティープスは、もう露骨に嫌そうだ。

 そんなにも、紫在に手放されたことが悔しいのか。仲間が増えるのだから、悪いことでもないのではと椎菜は思うのに。


「なんなら紫在とあのうさぎも連れて――――」


「荷物になるからやめといたほうがいいよ」


「えぇー……」


 スティープスが呆れる椎菜の手を取って、顔をそっと近づけて。


「君のことは、僕が満足させてあげる」


 スティープスの歯が浮くような台詞を聞いて、他の見物客の女性たちが、黄色い声を上げて屋上から去って行った。

 この夢の世界では、スティープスは他の人にも見えているのだ。


「……、ねえ。そういう台詞ってどこで覚えてくるの?」


 一瞬スティープスが狼狽えたのを椎菜は見逃さない。これは何かやましいことがある証拠ではあるまいか。


「ん?あー、本とか、かなぁ……」


「……。どんな本?」


「……」


 スティープスはだんまりを決め込んで、煉瓦の手すりに腕を置いて遠くを見つめた。落ち着いた風を装ってはいたが、内心では一世一代の危機を感じていた。

 見え透いた誤魔化しに、椎菜はスティープスに厳しい視線を送る。隣に陣取って横から見つめても、スティープスは固まったまま黙秘権を決め込んだ。


「まあ、別にいいけどね。でも、そういうの、人前で言わないで」


「……、はい」


 椎菜の怒りがこもった声に、スティープスは恐々と返事をした。

 反省中のスティープスは頭を掻きながら、景色に仮面を向ける。

 だが、そんなスティープスの姿も、椎菜には絵になるように見えてしまう。青空と緑の濃い山を背景に、物憂げなモデル体型の彼が合わさって、段々と、椎菜の胸は高鳴っていって。

 そんな時に。


「今日はあれ、してくれないの?」


 スティープスが椎菜にすり寄り、仮面を彼女の顔に近づけた。

 見惚れていた所へ、スティープスからのおねだりだ。椎菜はたまらず頬を染めて、心の準備をしたくて離れようとするけれど。


「えっ、いや、そんな急に言われても……」


 しかし、スティープスは椎菜を抱き寄せて離さない。

 うろたえている間にも、彼の仮面が椎菜の唇に迫って。

 唇が仮面に触れる直前に、椎菜は目をつむり。恥ずかしくてどうにかなりそうになりながら、彼を受けいれた。


「馬鹿……」


 椎菜は仮面が唇から放れると、開口一番、悪態を吐いた。嬉しかったが、椎菜なりのプライドという物もあって。


「この仮面がなかったら、もっとちゃんとできるんだけどね」


 残念そうに言うスティープスを見て、照れ隠しに椎菜はスティープスに掴みかかった。


「え!?何?何!?」


「案外外れるんじゃないの!?こうすれば、ほら!ほら、ほら!!」


「無理無理!無理だって!痛い痛い!ごめんって!」


 仮面を掴んで、ぐいぐいと椎菜が引っ張ると、スティープスは両手で仮面を抑えて痛がった。

 しかし、スティープスの気が緩み、彼の手が仮面から放れた時だった。


 からん。


 と、何かが落ちる音がして。床に落ちた物を二人が見ると、一枚の仮面がそこにはあって。


「!?」


 そして、二人が顔を見合わせると。


「!!??」







 箕楊椎菜は、目を覚ました。

 揺れるバスの中、電光掲示板に表示された次の停車場が目的の場所だと気が付くと、椎菜は慌てて降車ボタンを押し、乗車代を準備した。

 椎菜はバスから降りると、落ち着こうと一息ついて。鞄にキーチェーンで付けられたクマのぬいぐるみを撫でながら、言った。


「結構、可愛い顔してるんだ」


 鞄とスティープスを繋ぐチェーンを外し、楽しそうに椎菜はぬいぐるみを顔に近づけ、恥ずかしそうに笑った。

 バス停から歩いてすぐ、住宅街の中にある公園に椎菜は向かう。

 椎菜が公園に近づくにつれ、そこで遊ぶ子供たちの声が大きくなる。


 ――――今日も、紫在はきっとここに来ている。新しい学校にはまだ慣れていないようだけれど、今の紫在には、別の居場所ができた。家だって、今は紫在の居場所になった。友達は少しずつ増えている。紫在はしっかり、前に進んでいる。


 ――――もう、紫在自身がいじめを行うこともないと、私は思う。もし、紫在がまた過ちを犯しても、その時はまた、私が怒ってあげよう。夢の中であったように、私の全てを懸けて。


「椎菜さーん!」


「お姉ちゃーん!」


 紫在の元気な声が椎菜を呼ぶ。

 公園で紫在と仲良くなった女の子も、真似して椎菜を呼んでいた。

 紫在は最近、どうやら自分よりも小さなその女の子に、縄跳びを教えてあげているらしい。物覚えが悪い子なので、椎菜も手を焼いていたのだが、今はそこに紫在が加わり、椎菜と一緒になって縄跳びの練習に付き合ってあげている。

 ニット帽を被る紫在は、必死に二重跳びをしようとする女の子と楽しそうに笑いながら話していた。


「紫在、頑張ってるね。頑張って、変わろうとしてる」


 椎菜は二人に手を振り返し、スティープスを抱えて空を見上げた。


「私も勉強やらないとなぁ……。あなたも、一緒にやってみる?」


 ぬいぐるみの彼は返事をしてはくれないけれど、椎菜は小さく笑って、紫在の下へ向かった。

 椎菜の後姿には、鞄に付けられたお守りが一つ、揺らめいて。

 日没した空は、橙と群青色に寂し気で、だけどそこには、輝く星が一つ。椎菜たちの行く末を明るく照らし。

 椎菜は進む。尊き想いを胸に、ぬいぐるみの彼と共に。大切な思い出を裏切らないように。

 自分のために、誰かのために。自分を愛してくれた人たちのために。椎菜は自分と闘い続ける。


「あと、料理の練習。私が美味しい物作れるようになれば、夢の食べ物も美味しくなるかもしれないし」


 椎菜は忘れない。

 思い出が自分を強くしてくれるのだと、自分の気持ちから逃げない力をくれるのだと、椎菜は一生を懸けて証明し続けるため、闘い続けるに違いない。


「紫在も呼んで、街の中も見て回って、面白そうな物探そっか」


 そして、何時か。椎菜が疲れて眠ってしまった時には。

 その時は、ひょっとすると、思い出になってしまった人たちに会えるかもしれない。

 少なくとも、椎菜はそう信じている。誰しもが死んでも、思い出として、他の誰かの心の中に残っているのだと、信じているから。




 だから。





「夢でも現実でも、いろんな所に行って、たくさん遊ぼう?ずっと、一緒に!」




 だから、また――――





「ね?スティープス」






 また、何時の日か、夢の中で会いましょう。



 













SIN-CIA END



まず初めに、「SIN-CIA」を読んで頂いた方にお礼を言わせて下さい。ありがとうございます。

我ながら拙さを感じざるを得ない文章とストーリーでありながら、ここまで読んで頂いたことに多大なる感謝を送りたいと思います。


「SIN-CIA」を書き終えて約半年が経った2014年5月現在、今更あとがきを書くというのもどうなんだろうと思いながらも、やっぱり要るかなと書き始めた次第であります。「SIN-CIA」は私が小説を書くことを友人に勧められ、習作を除き初めて書いた作品となります。元々いくつかあった話の構想の一つを、とりあえず小説として形にしてみようと思った訳です。結果、「SIN-CIA」とは一年近い月日をかけての付き合いとなってしまいました。


主人公の女の子が、夢の中で人を苦しめる幼い少女を叱りに行く。私の頭に浮かんだこの思い付きが「SIN-CIA」の原点となり、やがて、椎菜や紫在として、名前や姿形のイメージを持っていきました。

ぬいぐるみだけど、持ち主の紫在のために頑張るスティープス。紫在の夢に入った椎菜は彼に出会い、「紫在を探す」という目的を得ます。祖母に対して強い後悔を抱く椎菜は、その後悔を振り払おうとするかのように、優しく、思いやりのある人間になりました。それが、「SIN-CIA」の物語で主人公として困難と闘う力となり、最後には、自分自身だけでなく紫在の心すら動かすことができたのです。箕楊椎菜というキャラクターを表現する上で最も重視したのは、彼女の誠実さです。タイトルの「SIN-CIA」は、英語で「誠実な」という意味の「sincere」をもじった物で、罪悪感の元である「罪」の「SIN」と紫在の名前を英語にした「CIA」を組み合わせた物でもあります。「SIN-CIA」は罪悪感と誠実さの物語であって、主人公である椎菜は、誠実さを持って夢の中の出来事に立ち向かっていかなくてはならない。そんな彼女に紫在が影響されていき、己の過ちを理解する。それが「SIN-CIA」の大雑把な全体像になります。


私の夢は、シナリオライターになることです。小説だけじゃなくて、映画とかアニメとか、いろんな媒体で、少しでも早く自分の考えた話を世間に出していきたいと思っています。そのための第一歩として、この「SIN-CIA」を書きました。処女作であるこの作品は、私にとっていつまでも特別な作品になるんじゃないかと思います。


辛い夢を見た時、もしこの物語を思い出したとしても、その夢について深く考えるのは止めてください。夢は夢。このSIN-CIAの夢の世界は、もう一つの現実というべき特別な世界なのであって、普通の夢とは違います。普通の夢というのはもっと支離滅裂な物で、深く考えるだけ無駄な物なのです。「現実でこんなことがないといいなぁ」程度に考えて忘れるのが一番。SIN-CIAが皆さんを苦しめることがないよう願います。


最後に、あとがきまで読んでくれた貴方にもう一度お礼を言います。ありがとうございました。

「SIN-CIA」はこれで終わりです。でも、椎菜と同じように私も信じています。物語が終わっても、きっとみんな、誰かの心の中に残っているのだと。

だから、ひょっとすると、いつか彼女たちに夢の中で会えるかもしれないですね。その日を楽しみにするということで、「SIN-CIA」の閉幕とさせて頂きます。

それではみなさん。


また、いつか、夢の中で会いましょう。



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