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1st tale  Evening star


「今から、お前の見る夢は」


「おそらく、残酷なものであるはずだ」


「何故お前が呼ばれてしまったのか」


「お前が来たことに、どんな意味があるのか」


「もう、知ることはできないだろう」


「なぜなら声は、届かない」


「もう……」


「尊き想いは、もう全て」



「失われてしまったのだから」





SIN-CIA - Falling down, falling down -



1st tale Evening star







「ここ……、どこ……?」


 声を聞いた気がした。知らない誰かの、声。

 何かを諦めてしまったように、遥か遠くで呟く誰かの。

 いや、それよりも。

 それよりも気になるのは、今自分が見ているこの景色。

 異常な世界。

 公園にいたはずの自分。

 なら、この目に映る景色は、何?

 どこまでも続く灰黒色の空は、滅茶苦茶にかき混ぜた絵の具の様。

 遠くに見えるお城は不気味に聳え立って、低木の生い茂る丘の上から見える世界は、紫色の実を房にして携えた植物で華やかに眼前に広がっていた。

 あまりに突然の出来事に椎菜は、「ああ、これは夢なんだ」。

 そう思って、現実離れした世界を見渡した。

 見える範囲だと、右手にはそう遠くない距離に小さな町が。左手にはより遠くに大きな町が。そして正面には、大きなお城が遥か遠くに見えていた。

 余りに遠いからか、お城は真っ黒にシルエットだけ空に浮かんでいるようにも見えて。

 二つの町はここから歩いて行けない距離ではない。

 行こうかどうしようか、椎菜は迷う。このまま目を覚ますのを待つのもいいだろう。でも、夢の中で“これが夢だ”なんて感じたのは初めてのことだったから。

 どうせなら夢の世界を見てみようと、椎菜は歩き出す。

 きっとめちゃくちゃな世界なんだろうな。それぐらいの気持ちで、進みだす。






 椎菜が向かったのは、右手の方角に見えた小さな町。

 どうしてこちらを選んだかといえば、ただこっちの方が近かったから。それだけ。

 町へと続く道を歩いて行く。所々に生える樹や花に付いた葉はやけに大きく。木々は道に影を作り、灰色の空のどこを探しても見当たらない太陽から注ぐ光を遮って。

 近いとはいえ、距離はそれなりにある道のりと周りの平原を、見たことも無い三角形の葉っぱや渦巻き状の花弁の花が彩っていた。


 ――――小さいけれど、綺麗な町。


 町に着いた時、まず浮かんだ感想はそんな感じだった。

 門をくぐって中に入ると、煉瓦でできた薄く赤い建物がいくつもいくつも並んでいて。

 門で見張っていた番兵は何も言わず、門をくぐる椎菜を見ていた。

 建物の隙間を真っ直ぐに伸びる、煉瓦で舗装された赤茶色の道路を歩いていく。まばらに並ぶ街灯は昼間なのにぼんやりと光っていた。

 街に引かれた水路は深い色の水に乗せて、赤い木の葉を何処かへ流していく。

 街を歩く人の装いは様々で、ボロボロの服を来たストリートチルドレンから、煌びやかなドレスを纏った裕福そうな貴婦人まで。裏路地には怪しげな雰囲気のお店を開く、これまた怪しげなボロ布を被ったおじいさんもいたりして。

 街路に沿って並ぶ屋台には見たこともない果物や野菜が揃っていて、おもちゃを売る屋台では、店主のおじさんが小ぶりの水晶玉を転がすコースを作る小さなアスレチックを組みなおしていた。

 椎菜はその様子をじっと見つめる。

 組み終わったコースを店主が店先の子供たちに見せながら、水晶玉をそこに転がした。

 音を立てながらコースを転がる水晶玉は回る度に色を変えて、覗く子供たちが面白がって伸ばす手を店主が跳ね除ける。見ているだけでもなんとなく面白くて、椎菜も屋台に近づいた。


「これ、どうして色が変わるんですか?」


 何も言わず見ているだけでは気まずいと店主に話しかけてみる。


「どうしてかって言われてもねぇ。この玉は見る角度で違う色が見えるようになってるんだよ」


 「そうなんだ」、と椎菜が返事をして水晶玉を見ると、子供たちの魔の手を逃れ無事にコースを転がり切って、ゴール代わりの値札が張られた缶の中にからん、と転がり落ちた。

 その拍子に、値札がぱたりと倒れて、椎菜の目に値段を見せる。

 百九十八円。


「で、買う?」


 にこやかに手を差し出す店主に、椎菜は答えた。


「いらないです」


 赤茶色が作る煉瓦の道を、軽い足取りで歩んで行く。椎菜の履いたブーツの底が、煉瓦を叩いてコツコツとリズムを刻む。

 通りすがる人たちは、皆見慣れない服装の方々で。

 男性は主に麻地のシャツとズボン姿。時折、ベストのような物を上に羽織ったりもしている。

 女性はドレスを着ている人もいるけれど、やはりシンプルなデザインの服を着ている人の方が多い印象。ワンピースが基本のようで、スカートを履いている人はあまり見かけない。

 全く趣の違う服を着た椎菜は不思議に思う。

 彼女もカーディガンを羽織ったワンピース姿ではあるが、細かな装飾が与える大きな印象の違いは、明らかに周りと浮いている。

 なのに、誰も椎菜を気に留めない。皆、他の人にするのと同じように声をかけるし、服装の違いを指摘することもなかった。

 椎菜は細く長い道を歩いている内に、水の流れる小さな公園がある広場に出た。

 水が流れるように煉瓦で舗装された浅い水路が、爽やかに水を流す。そこでは子供たちが遊んでいたり、女性が何人か野菜を洗っていたりと、賑やかで。

 気分の良い情景に椎菜もあやかろうと、ベンチに座って一息ついた。

 地上はこんなにも美しい物に溢れているのに、空は曇っているように陰鬱な色を変えることなく広がっている。

 なんとなく見上げた空がどうにも不気味で、椎菜は広場に目を戻すことにした。

 そして、広場から見える通路の向こう、別の広場に、大勢の人が集まっているのが見えた。

 椎菜は行ってみようと思って立ち上がり、美しい広場を後にして。

 広場から短めの通路に入り、影の中を一歩一歩、何の不安も持たずに進んだ。通路は瞬く間に終わり、人だかりのできた広場に椎菜はやって来たのだった。

 そこでは、何かの催し物が行われているらしかった。

 人の隙間から、木でできたステージらしき物が見えた。けれど、立ち並ぶ人たちの背中が邪魔して、椎菜には何をしているのか見ることができない。

 随分、大きな騒ぎだ。さぞかし盛大な催しが行われていることだろう。大道芸なり、パレードなりを期待して覗き込もうとするけれど、どうにも視界に入れられない。


「あの、すみません。これ、みんな何を見てるんですか?」


 なかなか群衆に入り込めない椎菜は仕方なく、離れた所で話し込む女性たちに尋ねた。

 しかしその答えは、夢の中といえども聞きたい言葉ではないもので。


「処刑ですって」


「え……?」


 ――――処刑?


 体に寒気が走る。不意を突かれた椎菜の視界が揺らいだ。


「なんだか分からないけど、そこで子供と遊んでた女の人が突然兵隊さんに捕まってね」


「今からここで公開処刑をするっていいだしたの」


 ――――処刑、何処で?


 ―――― ……、ここで。じゃあ、あのステージは。


 椎菜の背後で悲鳴と歓声が上がった。ステージのほうへ振り返ると、そこから運ばれる何かが見えた。

 真っ赤に染まった、何かが。

 椎菜の頭の中で警鐘が鳴り響いて、痛みを伴うそれは、やがて彼女をその場から駆け出させた。







 我ながら、なんと美しい夢なのだろう。そんな風に思っていたのに。

 直接目にしなかったとはいえ、広場で行われていたことは残酷すぎて。

 椎菜が頭にこびりついたイメージを払拭しようと散歩を続けていると、辺りは現実と同じように、徐々に暗くなっていってしまった。

 どうやら、夢の中でも夜はあるらしい。こう暗くては、もう景色を見て回ることもできない。

 悪くなっていく視界に、意識は頭に残るイメージへと向けられて、椎菜はさらに不安を煽られた。


 ――――暗くなったら、私は何処にいればいいんだろう。


 心もとない街灯の灯りを頼りに、椎菜は街路を歩きだす。

 どこかに宿はないだろうか。お金は持っていないが、そこは夢の中。案外どうとでもなりそうな気がして。

 けれど、椎菜の体中から嫌な汗が止まらない。


 ――――忘れたい、忘れたい。


 広場で行われていたことが何度も頭に浮かんで。例え夢の中でも、恐くて怖くて、仕様がない。

 椎菜が探し始めて数分、呆気なく宿は見つかった。

 木で作られた看板にはおよそ文字とは思えない、記号もどきが並んでいる。しかし、椎菜には落書きとしか思えないようなその文字が何故か読めてしまう。

 “宿 ガレキア五番街”

 これも夢の成せる技なのか。不思議に思いつつ、椎菜は宿の扉を開けた。

 宿の内装は、その煉瓦造りの外見とは打って変わって木造建築の様相で椎菜を出迎えた。

 床も壁も柱も宿全体が木造に変わっていて、現実離れした現象に椎菜は驚かされた。


「お一人様でしょうか?」


 入口に立ったまま宿の中をきょろきょろと見回していた椎菜に、受付の男が声をかけた。古びた服を着た、深く歳を重ねた外見の丁寧な物腰の老人だ。


「は、はい。一部屋お願いします。一晩だけ……」


「立派な部屋と、貧相な部屋と御座いますが」


「あの、お値段どうなりますか?」


「立派な部屋が五百円、貧相な部屋が二百円になります」


 夢の中とはいえいくらなんでも安すぎではないだろうか。そもそも立派やら貧相やら表現が大雑把に過ぎる。普通の部屋はないのか。彼女の疑問は尽きない。

 だがそれ以前に、椎菜は一文無しである。二百円だろうが一円だろうが、払うお金は持ち合わせていないわけで。

 明るい場所で人に会えた安心から、椎菜の緊張が少々緩んで。


「あの、一晩だけでも泊めてくれませんか……?その、持ち合わせがなくて……」


 どうせ夢の中、恥も外聞もないことでも言ったもん勝ちと録でもないことを口にした。


「お金を持っていない人ならそれでも構いませんが、お金を持ってる人には支払ってもらいませんと」


 ならいいだろう、こっちは素寒貧の無一文。無料でいいじゃないか早く泊めてくださいお願いします、そう言わんばかりに手をひらつかせて見せる。


「そのポケットに入っているのは、お財布とお見受けいたしますが……」


「へ?」


 椎菜がカーディガンのポケットを見やると、そこにはいつのまにか長い財布が突き出ていた。

 なんと、財布の中には万札が詰め込まれているではないか。

 一体誰がこんなことを、と見渡したが、受付の人以外ロビーには誰も見当たらず、夢の中だからさもありなんと、その降って湧いたお金で宿代を支払った。


「お部屋は二階になります。レストランは向かって左の廊下を真っ直ぐ。浴場はレストランの手前の扉に御座います」


 数字の五が書かれた部屋のキーを受け取って、疲れを感じていたのでとりあえずは部屋で休むことにした。

 キーに書かれた番号の部屋に入ると、少し広めの部屋にベッドと机が置かれていて。ベッドの枕元には何冊かの本が並べられており、しっかり清掃され清潔な部屋であるように感じた。

 窓が一つ設けられていて、受付の人が言うにはそこから町の広場を一望することができるらしい。

 けれど、今は暗闇の中に景色は落ち込んで、街灯が照らしてぽつぽつと明るく認識できる所がいくつかあるだけだ。

 汗もかいたし、疲れてもいたけれど、椎菜は浴場に行くのを億劫に感じてしまう。

 夢の中とはいえ、女子としてここは入っておくべきか。浴場がどんなものか気になりはする。

 だが、これは夢なわけで、夢の中でわざわざ体裁を気にする必要もないのでは。


「めんどくさいから、いいや……」


 椎菜が悩みに悩んだ末、出した結論は、人として怠惰極まりないものであった。







 結局、部屋で過ごすことにした椎菜は枕元の黄色の表紙の本を手に取った。

 何冊かあったが、どれも表紙には何も書かれていない。色は違えど全て無地とは味気ない。

 ぱらぱらとページをめくるとそこに書かれているのは宿の看板と同じ落書きのような、文字ですらない何か。

 一応改行されて文章としての形は保っているがこれでは読めたものではない。

 はずなのだが。


「“ともだちのできるくすりのつくりかた”……?」


 読めた。

 宿の看板と同じくこの記号どころか気の向くままに引かれた線が表すその意味を。

 しかし、そこに書かれているのは荒唐無稽な効果の薬のレシピ。効果もアレなら作り方も大分アレ。


「“まず、ヴァン・ヴァラックの舌とおやしらずの葉をつぶしてしっかりまぜます”……」


 長々と綴られた謎の薬の作り方。

 理解しがたい文章に添えられた挿絵もほぼ落書きと言っても過言ではない。

 実在するとは思えないような羊の角の怪物の絵と自然の摂理を真っ向から否定する正三角形の葉っぱをボールのような容器に入れた絵が載っていた。

 折角読めてもこれでは興味も湧きはしないと本を戻す。

 どうせ朝まですることもない。このまま寝てしまおうと枕元に置かれた燭台の蝋燭の火を鉄製のキャップを被せて消して、部屋を暗くした。

 暗くなった部屋は窓から入る光を際立たせる。月なんて出ていなかったはずなのだが。世界が暗くなっても空は暗く灰色のまま、太陽もでないなら月もでない。

 布団に潜って椎菜は思う。この夢はいつまで続くのか。自分はまだベンチで眠ったままの筈。目が覚めたらもうきっと夜中だろう。夕飯を作って待っている母に怒られてしまう。

 取り留めのない思いを巡らせながら椎菜は眠りに落ちていく。

 ゆっくり、ゆっくりと。

 きっと、眠ったら目を覚ますのだろう。綺麗ではあるけれど、恐ろしいことが平然と行われるこの世界からようやくお別れできるのだと安堵した。






 しかし、その時。

 コンコンと、ドアが軽くノックされる音を聞いた。

 眠りに落ちかけていた椎菜は、不安気に布団から顔を出してドアを見る。

 こんな時間に誰が来たのだろう。宿の人が夜遅くに客の部屋を訪ねたりするだろうか。なんだか怪しくて、ドアを開けようか椎菜は迷う。

 そんな椎菜を急かす様にドアはまたコンコンと音を鳴らした。

 開けていいのだろうか。夢の中でも、やっぱり怖いことは嫌だから。

 このドアの向こうにいる人が、どうかいい人でありますよう。そう願ってドアを、開けた。

 そこにいたのは、背の高い執事の恰好をした、男性?多分、男性。

 わからない。顔には真っ白で花の装飾が施された仮面をつけていた。その仮面は凹凸がなく、額から顎まですっぽり顔を覆っていて。目も口も、鼻も塞がれている。

 物を見ることや喋ることはおろか、息すらもできないのではと椎菜に思わせた。

 黒い髪は艶があり、男性としては少しだけ長めの髪だ。目を引く華美なデザインの執事服は長めの手足を際立たせて、その人はすらっとした体型を携え立っていた。

 とにかく、怪しかった。

 椎菜はドアを開けたことを後悔する。


「ごめんね。もう寝ていたのかな」


 その人は紳士然とした態度で椎菜に接する。


「君に話があるんだ。中に入ってもいいかな?」


 正直、入ってきて欲しくはない。むしろ、今すぐどこかに行って欲しい。自分の前ではないどこかへ。得体の知れないその紳士に椎菜は怯えていた。


「この夢のこと、知りたくないかい?」


 紳士は椎菜が怯えているのを感じとって、彼女より下の目線になるようにしゃがみこむ。


「これはただの夢じゃない。僕は、君が現実に戻る助けになれるかもしれないんだ」


 怖いけれど、でも彼の言うことが椎菜には気になって。勇気を出して、椎菜は彼を部屋に入れた。


「初めまして。僕はスティープス」


 名乗った彼。紳士のスティープスは椎菜と向かい合うように机の席に着いた。


「……、箕楊椎菜です」


 椎菜も彼に名乗る。礼儀正しいスティープスは害意があるようには見えなかったから。


「椎菜。初めに君に聞いておきたいことがあるんだ」


「何……?」


「やっぱり君は早く元の世界に戻りたいのかい?」


 この夢のことを教えてくれるといったスティープス。どうしてそんなことを聞くの。そんなの帰りたいに決まってる。こんな場所に一人でいつまでもいるなんて、絶対に嫌。

 椎菜は怪しみ、尋ねる。


「この夢のこと教えてくれるんじゃないの……?」


「あ、そうか。ごめんごめん」


 うっかりしてたと笑って見せる。

 笑って…、いるのだろう。仮面で隠れた口元は見えないけれど。


「僕もまだ調べ始めたばかりだから、確かなことは言えないんだけど。この夢はね、多分このまま待っているだけじゃ終わらない」


 終わらない。それはつまり、ずっとこのおかしな世界で……。


「じゃあ、どうしたら私は目を覚ますの?」


 彼の言い方はまるで、椎菜が何かを成さなくてはならないかのように聞こえて、また不安になった。まさかこのままずっと目が覚めないで、この夢に閉じ込められてしまうのでは。


「……、それはまだ、はっきりとは言えないな……」


「なにそれ。ずるい」


 教えてくれるって言ったのに。大事なことは教えてくれないなんて。

 この男を部屋に入れたことを、再度椎菜は後悔した。


「でも、そのためにできることなら、僕にも教えてあげることができる」


「僕の友達を探して欲しいんだ。それがきっと、君が帰るための助けになる」


「友達?」


「そう。女の子なんだ。君よりもずっと幼くて、ええと、なんて言うんだっけ、しょう…、しょうだく…」


「小学生?」


「ああ、そう、それだね。多分」


 小学生くらいの女の子が友達?

 スティープスと名乗る彼は、背丈だけならどう見ても二十代の男性程度。椎菜には彼の言うことがいまいち信用できなかった。


「あの子を見つけてほしいんだ。これは、おそらく君にしかできないことだから」


 おそらくとか、多分とかきっととか。そんなのばっかりだ。

 椎菜は辟易した。


「……、なんで私なの?」


 スティープスの友達だというのなら、何故、どうして自分なのか。


「もちろん僕も探すよ。でも、僕よりも君のほうが彼女を見つけられそうな気がするんだ」


 何を言っているのか、わからない。

 どうして自分なら見つけられるのか。何故、どうして。でも、現実に帰れるとしたら。家に帰って、父と母に会えるなら。友達と学校に行けるなら。


「その子を見つければ……、私は現実に帰れる?」


「うん。僕はそう思っている」


 なら、なら。

 信用できないけれど、納得できないけれど。


「わかった。その子のこと探してあげる」


 そうするしかないような気がして、椎菜はスティープスの頼みを聞くことにした。


「ありがとう!君はやっぱり優しい人だ!」


 飛び跳ねそうな程喜んで椎菜の手を握るスティープスが椎菜にはおかしく思えて、彼女は少しだけ笑った。

 スティープスは話し終えると、まだ調べることがあると言ってそのままどこかへ行ってしまった。

 今度こそベッドで眠ろうとする椎菜。今何時だろうと時計を探したが、どうやらこの部屋に時計は置いていないようで。スティープスは寝なくてもいのかな、と少しだけあの紳士の心配をしながら布団をかぶった。






 翌朝目を覚ますと、そこは現実ではなく。

 やっぱりまだ帰れないんだな、と諦めて。スティープスとの約束を果たすため街へ繰り出した。

 スティープスの友達を見つけるためには何をしたらいいだろう。

 スティープスから聞いた友達の特徴。それは、彼女は黒い短髪であること。背が低いこと。そして、彼女の左手の甲には深い傷があること。

 それ以外は何も教えてくれなかった。

 それだけで探せるはずがないと彼に苦言を返したが、彼は笑いながら。


「ごめんね、外見だけで説明すると他に言い様がなくて。でも大丈夫。君が探せば、あの子はきっと見つかるはずだ」


 と、あっけらかんと言って見せた。

 せめて名前だけでも教えてくれればいいのに。彼は本当にその友達を見つけて欲しいのだろうか。ひょっとして自分はスティープスにからかわれているだけではないのか。そんな気さえしてくる。

 椎菜はとにかく、街を行く人に片っ端から聞き込みをした。スティープスに教えてもらった特徴を話して、そんな子をどこかで見なかったかと。

 街の時計が十二時を指すまで続けたが、成果はなかった。

 そう簡単に見つかるわけはないと思っていたが、この調子で果たして本当に友達を見つけることができるのか。これからの苦労を予想して、椎菜の心持ちは重くなるばかり。少し休憩でもしようと近くの喫茶店らしき店に入ることにした。

 お店の中に入ると普通の小奇麗な喫茶店。

 よかったまともだ、と席に案内され開いたメニューに椎菜は面食らうことになる。蝙蝠花の尾草茶、ダンエイの煎じ茶、からし種のアイスコーヒー、等々。


「なんにもまともじゃない……」


 一つとして安牌なしと、夢だというのに乾いた喉と空いた腹が悲痛に嘆く。


「ダンエイって何……?」


 蝙蝠花って何。からし種って何。

 うなだれる椎菜の下にウェイトレスがやってくる。注文はお決まりですかと聞いてくる。

 決まっているわけがない。


「じゃあこの……、からし種のアイスコーヒーを……」


 せめて知っている単語で構成されたメニューを選んだ。おかしな名前の花やら草の出汁を飲まされるよりはマシだろう、と。

 運ばれてきたアイスコーヒーの見た目は、ごく普通のコーヒー。

 油断してストローを吸った椎菜は目を見開いた。からしといえばからしであって。

 当然辛い。そしてこのコーヒーは異常に辛い。辛すぎる。

 悶絶する椎菜にウェイトレスが水を持ってきた。どうしてそれを先に出さなかったのかと怨めしく、しかし救われた思いで一心不乱に水を飲み干すのであった。

 その後、おすすめのメニューを聞いて椎菜はようやくまともな紅茶と料理にありついた。

 ひどい目に会ったと、アンマロという謎の樹木から採れるらしいエキスを入れたという紅茶をすする。苦さと甘さが程よく混ざっていて実に美味しい。

 友達を探すという目的をすっかり忘れて椎菜は優雅に過ごす。

 そんなのんびりと羽を伸ばす椎菜の耳に、隣の席で話すお客たちの声が入り込んだ。

 曰く、隣の町のそのまた向こうにある森でヴァン・ヴァラックなる怪物が見つかったとか。御伽話に出てくる怪物だとも言っていた。

 多分、この夢の中でだけの御伽話だけれど。

 その怪物は人にも動物にも襲いかかってくるから、決して刺激してはいけないとか。封印されていたはずなのに、ずっと昔に何故かその封印が解けてしまったのだとか。他人事のように聞いていた椎菜だが、一応気を付けようと思って。

 その次に。

 お城のある町では、お姫様が市民を苦しめているのだとか。町にあるものを兵士に無理やり持ってこさせたり、逆らった人は消されてしまうらしい。

 街一つを一瞬にして壊滅させてしまったことすらあるという。

 夢の中とはいえ、そんな恐ろしい人がいることに驚いた。もし、自分が消されてしまったらどうなるのだろう。眠っているはずの自分は。

 考えると怖くて、椎菜はお客の話を盗み聞きするのを止めようとして。

 その次に。

 お客たちは、衛兵に追われている女の子の話を始めた。椎菜はまさかと思って、盗み聞きを続ける。庶民らしく簡素なシャツ姿の男性たちだった。盗み聞きされているとも知らず、いよいよ会話にも熱が入り始めた御様子だ。


「お城の兵隊たちがこの町に来てるらしい。兵隊たちは小さな女の子を探しているんだってさ」


「その女の子も今、この町にいるんだってよ」


「なんか物騒だなぁ。城のやつらはおっかないぞ」


「子供が隠れるなら、きっと西の裏路地だ。あそこには親のいない子供が一杯集まっているから。すぐに調べが入るだろうな」


 焦りに押され、椎菜は急いで席を立つ。


「お客さんお会計!」


 財布から一枚お札を取り出して、お願いしますとカウンターに叩きつけ、釣り銭ももらわず店を飛び出した。









 道を聞きながらたどり着いた件の裏路地。

 ここに来るまでに何人か兵士のような人を見かけた。あのお客たちが話していた女の子がもしスティープスの友達だとしたら、急がなくてはいけない。

 確証は無くても、椎菜の頭には嫌な予感があった。追われている、小さな、女の子。

 裏路地には、たくさんの子供たちが座り込んでいた。

 ボロボロの服を着て、拾ったパンを食べている彼等。そこにいる子供たちに一人一人尋ねていく。手の甲に深い傷がある女の子。彼女のことを知っていないかと。


「知らない」


「知らないよ」


「わかんない」


「そこにいるよ」


 見つけた。

 そこにいたのは、黒い短髪で、背の低い女の子。

 この子が、スティープスが言っていた――――


「ねえ!そこのあなた!」


 女の子が振り向いて、椎菜を見る。綺麗な顔をしていた。幼いながらも気品があって、思わず見とれてしまうほど。

 警戒したのか椎菜から距離を取ろうとしたが、椎菜の様子にすぐ兵隊の仲間ではないと気付いたようで。


「私に何か御用ですか?」


 丁寧な口調で返事をして、椎菜から見てもその佇まいには育ちの良さが窺がえた。


「あなた、スティープスって人のこと知ってる?」


「スティープス?!どうしてあの子のことを知ってるんですか?!」


 どうやら、この子が友達であるらしい。


「見つけた……」


 気が抜けた椎菜は胸を撫で下ろし、屈みこんだ。

 思っていたよりもずっと早く見つけることができた。これで、現実に戻れるのだ。


「あ、あの」


「え?」


「手、怪我してます」


 女の子は、椎菜の左腕が擦り剥けて、血を垂らしているのに気が付いて。


「綺麗な布を探してきますから、待っていてください!」


 女の子は、ぱたぱたと汚れた靴を鳴らしてどこかへ駆け出した。

 ここに来る途中、焦って転んだときに怪我したのだろう。椎菜は滲む痛みを感じながら、女の子が戻ってくるのを待った。


「お待たせしました!」


 戻ってきた女の子は息も絶え絶えに椎菜の傷の手当を始めた。


「いいよいいよ!このくらい、自分でやるから!」


「でも、痛いでしょう?私にやらせてください」


 患部を、一体どこから持ってきたのか、消毒液できちんと消毒して。包帯をしっかりと腕に巻きつけていく。


「……、ありがとう」


「痛みませんか?」


「うん。もう大丈夫」


 優しい子だ。笑顔は明るくて、人当たりもいい。


「あの、スティープスのこと……」


 そうだった。

 彼女を見つけたことをスティープスに教えなければ。

 スティープスはどこにいるのだろう。また様子を見に来るとは言っていたが、それまで待たなくてはいけないのだろうか。


「私はね、スティープスにあなたを探してってお願いされたの」


「スティープスが……?」


 女の子は何やら訝しんだ様子。スティープスのことで何か思うことでもあるのか。


「あなた、今兵隊に追われてるんでしょ?」


「……、はい……」


 女の子は辛そうに顔を伏せてしまった。

 その表情があまりにも痛々しくて、優しいこの子をこのままにしておくのはどうにも心苦しかったから。


「私の泊まってる宿に来る?あ、でもあそこに泊まるのは流石にまずいかもしれないけど、その近くに隠れられる場所があれば、そこに」


「で、でも、もし見つかったら迷惑かけちゃう……」


「いいよ。そんなこと」


 どうにかして、スティープスが来るまでこの子を匿ってあげられないだろうかと考える。宿なら浴場もレストランもある。生活には困らないはずだ。それでも、見つからないように気をつけなくてはいけないのは確かだが。


「ね?一緒に行こう。お風呂だって入りたいでしょ?」


 椎菜は女の子の左手を取って、提案した。その手には、深く抉られたような傷があって。


「あ、ありがとうございます……!お願いします!」


 女の子がそう言ってくれたから。椎菜は嬉しくなって、可哀想で、女の子を抱きしめた。

 けれどその時、他の子供たちが騒ぎ出すのが聞こえた。


「衛兵が来た!早く隠れて!」


 この子の事情を知っているらしい子供たちが危機を伝えに来た。

 椎菜の背筋に悪寒が走る。

 町の人たちが言っていた、恐ろしい衛兵たちが来る。処刑されたという女性の話を思い出す。あの、赤い血みどろが目に浮かぶ。

 見つかるわけにはいかない。どうしてこの子が追われているのかは分からないけれど。とにかく、今は。

 手を繋いだ女の子は小さく震えていた。怯えているのだ。自分のことを追っている兵隊に。


「隠れて。大丈夫。絶対に私がスティープスに会わせてあげるから」


 不安気に見上げる女の子を子供たちに託して、椎菜は路地裏に入ってくる兵士と対峙する。


「ここに指名手配の子供がいるはずだ」


「……、どんな子ですか?」


「手に傷がある奴だ。ここにいる奴ら全員調べさせてもらうぞ」


 椎菜の脚が震える。奥歯は音を鳴らして、声が揺れていた。どうしてこんなに自分は怖がりなんだろう。椎菜は自分が嫌になる。

 恐がってる場合ではないのに。危ないのは自分じゃなくて、あの子なのに。

 もう女の子は隠れただろうか。まだ、時間を稼ぐ必要があるかもしれなかった。


「そんな子はここにはいません。止めてください!みんな怯えてるじゃないですか!」


 子供たちを捕まえようとする兵士の前に椎菜が立ちはだかる。そうしている間にも、路地裏に集まる兵士の数は増していっていく。

 遠くのほうで、物陰から一人の男の子が椎菜に目配せをした。女の子が隠れたという合図だろう。

 兵隊は椎菜を強引に突き飛ばして子供たちを捕らえていく。怖がって逃げる子供も、逃げることすらできない子供も、みんな縄で縛りつけて。


「ひどい……」


 椎菜はどうしても怒りを感じずにはいられない。

 例え夢の中だとしても、現実に起こっているのではないことなのだとしても。


「いい加減にして!どうしてここまでする必要があるの!?手を調べればそれで済む話でしょう!?」


 子供に縄を付けていく兵士の手を掴んで、叫ぶ。

 だが、兵士は動じない。椎菜の腕を掴み返し、彼女を投げ飛ばした。壁にぶつけられ、全身が痛む。

 泣いて怯える子供たちが兵隊に連れられていくのを、ただ見ていることしかできない。

 何もできない自分が、椎菜は悔しくて、悔しくて。体の痛みに意識を揺らす。


 ――――お願い。どうか、あの子が見つかりませんように。


 もう、椎菜には願うことしかできなくて。


「やだ、やだ!放して!誰か助けて!!」


 子供たちが泣いている。助けて欲しいと叫んでいる。

 だから、椎菜は。何もできないと分かっていながらも、痛む体を軋ませながら、立ち上がった。

 許せなかった。

 子供たちをこんなに脅かす大人たちが信じられなかった。

 けれど、彼女にできることなんて何もない。

 怒りを瞳に宿らせ、立ち上がった椎菜に突き付けられたのは、数人の兵士が構える槍だった。

 鋭利な先端が、椎菜の視界に広がって。


「え……」


「邪魔だ。殺せ」


 そして。

 そして、隠れたはずの女の子がそこへ。兵隊の前に現れた。その目は強く、兵隊を見つめながら涙を堪えて。


「駄目!逃げて!」


 椎菜は叫ぶ。


 ――――駄目。そこにいては、駄目。


 駆け寄ろうとした椎菜を兵士が抑え込む。

 女の子は手の傷を兵隊に見せた。自分こそが、兵士たちの探している人物だと言うように。


「みんなを放して。私が行けば、それでいいんでしょう?」


 兵隊が乱暴に子供たちを解放する。代わりに、女の子を縄で縛って。

 ちらりと見えた女の子の顔は、とても悲しそうに見えた。

 女の子を連れて。スティープスの友達を連れて。優しいあの子を連れて。

 兵隊と女の子が、動けない椎菜の前から消えていく。


 


 どこか遠くへ。遥か遠くへ。遠い遠い夢の彼方へ、消えていく。













1st tale End












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