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11th tale The missing

・ある少女の回想 七



 私は、取り戻した。

 平和を。友達を。ここだと思える、自分の居場所を。

 今、この教室に私の敵は一人もいない。

 みんな、私の味方。

 これは、いつか私が失くしてしまったものに他ならない。

 一緒に遊ぶ友達。同じように授業を受けて、私と一緒に帰り道を行く。

 どうして失くしてしまったんだっけ?

 いつ、失くしてしまったんだっけ?


「哉沢さん、次の授業音楽室だって。急ごう?」


 崎山さんが、私に楽しそうに話しかける。

 そばかすの濃い女の子。私が一番、よく話すようになった子。

 一時期、仲がこじれてしまったけれど、今ではすっかり仲直りしていて。

 私といつも一緒にいる友達。

 親友、そんな風にも呼ぶのかも。

 そんなことを思っていた。あの時は。

 私は崎山さんと教室を出ると、先に教室を出て廊下で話していた、同じクラスの子たちと合流した。

 私はどの子とも友達だ。

 現にほら、こうして仲良く話をしながら廊下を歩いている。私に向けられていた以前の冷たい視線は何処へやら。今では、学校に来るのが、楽しくて楽しくて仕様がない。

 家には家族がいる。

 私にとって、邪魔なだけの両親と兄。

 それに、そう。あいつも。

 もういないくせに、未だ私の邪魔をするあいつ。

 いないけど、いる。あいつ。

 そんなろくな人がいない場所にいるよりは、学校で大切な友達と過ごす時間の方が、ずっとかけがえのない物であると思うのは、当然のこと。

 集団で歩く私たちの数歩後ろから付いてくる、一人の女の子がいる。

 目立ちたがり屋の証である校則違反の茶髪が不恰好な、陰気な人。

 坂井さん。

 以前の長髪とは打って変わって短い髪は、見るだけで笑いたくなる。まるで、刈り込まれたかのよう。髪の色を変えないのは、彼女なりの意地なのか。

 呼んでもいないのに、私たちの後をよたよた、よたよた。

 音楽室へ行くにはこの廊下を通らなくてはいけないのだから、付いてくるとか付いてこないとかの問題ではないのだけど。

 私は疼くいたずら心に身を委ねて、周りの子たちに内緒の会話よろしく、手を口に添えて提案してみた。

 わざと後ろの坂井さんに聞こえるように、ある程度の声の大きさを意識して。


「ねえねえ、なんか付いてきてる」


 坂井さんは、まるで気にしてないという素振りで窓の外に目を移した。坂井さんが、泣きそうになっている目を私たちから必死に逸らす。

 私たちは坂井さんの顔が真っ赤になっているのがおかしくて、みんなで笑う。


「坂井さんの髪、目立ちすぎ。ゴキブリみたいじゃない?」


 私の話に、崎山さんが乗ってくる。

 こうなれば、もう止まらない。どの子も言いたい放題で、坂井さんを馬鹿にする。

 前は、私があそこにいたんだ。

 坂井さんがここで、私がそこで。


「わぁあ汚い!こっち来た!」


 坂井さんが歩を進めただけで、誰かがそう騒いで。

 坂井さんに近寄られまいと、突然みんな音楽室へと走り出す。何が汚いのか知らないけれど、楽しそうだから私もとにかく走る。多分、ゴキブリみたいと言ったからだろうけど。

 友達たちと笑いながら走るのは、楽しかった。

 辛いこともあったけれど、私はそれを乗り越えた。私がいい子だから、私が正しいから、取り戻すことができた平和なんだろう。

 ここでは家族の影に怯えることもない。兄だって、学校で会うことはほとんどない。

 私の、大切な居場所。

 私は廊下を曲がるとき、置いてけぼりの坂井さんを見た。

 坂井さんは、茶髪を強く掻き毟りながら、私の期待通りに泣いていた。







11th tale The missing






 

 椎菜はベッドの掛布団に包まって、朝の冷えた空気を途絶しようと布団を握る。

 街から五メートルも歩けば、草木が萌える草原が広がっていると言うのに、この街の朝の気温は砂漠地帯のそれのようだ。夜の内に冷やされた砂と空気が、目を覚まそうとする人の体にだるっこさを通り越し、凍死すらもたらすのだが、砂漠というには余りに砂のある面積が狭いこの街で、ここまで寒いのは流石におかしい。

 この夢の世界では、夜の内に空気が冷えるとか、そういった科学的な根拠が一切通用しないことは椎菜も重々承知していた。

 とは言っても、想定と対策を許さないこの夢の特性は、度々彼女を苛立たせる。

 眠る前は大して寒さも感じなかったし、それどころか布団に入れば少し暑いくらいで。今朝も、理不尽な世界の嫌がらせに、椎菜は怒りのままに掛布団を引っ張った。


「あれ……?」


 布団が重い。いくら引いても動かない。

 椎菜が「なんでだろう?」と、手でこすりつつ、目を開けると。

 ホリーが椎菜の布団に掴まり、すやすやと眠っていた。

 気持ちよさそうに、椎菜の横に並んで、寝ころんで。あんまり気持ちよさそうに寝ているものだから、椎菜はすっかり毒気を抜かれ、ホリーの寝顔に心を和ませた。

 ホリーのベッドはすぐ横にあるのに、ホリーはこうして、椎菜のベッドに入ってきたのだ。


「寂しかったのかな……?」


 椎菜とスティープスは、昨日は結局、帰って来るのが夜になってしまったから、何もホリーの相手をしてやれなかった。


 ――――ライオンくんはともかく、ディリージアは遊び相手には向かないだろうし。


 あの無愛想なディリージアが子供の相手をしているところは、椎菜にはとても想像がつかない。


「椎菜さん……」


 眠るホリーに名前を呼ばれて、椎菜は返事をしそうになった。どうやら、ただの寝言らしかった。


 ――――もしかして、心配させちゃったのかな。


 ぎゅっと、椎菜の服を握るホリーの手は小さくて、椎菜は優しい思いが浮かぶのを感じながら、その手を柔らかく握ってあげた。






 身支度を済ませ、朝食も摂って。椎菜は心の準備を決めた。

 スティープスとディリージアがそろそろやってくる頃だ。

 今日、椎菜は彼らから全ての秘密を話してもらう。

 聞きたいことはたくさんあった。今まで、彼らが多くのことを秘密にしてきたことは、椎菜は別段気にしてはいない。

 昨夜、椎菜がスティープスに言った通り。

 ディリージアはともかく、スティープスはあんなにも辛そうに自分の秘密を吐露してくれたのだから。

 椎菜は自分に対して彼らが質問することがあっても、正直に答えることにした。これまで、スティープスたちには幾度となく助けてもらってきた。その彼らの気持ちに応えたいというのが、椎菜の思うところであった。

 椎菜は宿の部屋で、木版の床をつま先で叩いて足の調子を確かめる。もう、問題なく動かせるまで回復したようだった。

 足の傷のことを考えると、椎菜はつい思い出す。その傷を付けた老婆のことを。

 今日、スティープスたちから話を聞けば、魔女の話題もあがるのだろうか。魔女には娘がいたはずだ。

 ホリーという名前の。

 今朝、椎菜の隣で眠っていたあの子と同じ名前の、魔女の子供。

 椎菜はこの奇妙な名前の一致が、偶然によるものとは思えなかった。同一人物だとまでは思わなくても、何かしらの関係はありそうな気がして。

 椎菜が後ろ髪を、当の魔女からもらった髪飾りで束ねていた所へ、部屋のドアが開く音に遅れて、ホリーが椎菜の前にやってきた。


「あの……、ちょっといいですか?」


 遠慮がちに部屋に入ってきたホリーは、椎菜をじっと見上げて、言った。


「今日、ディリージアたちと大事なお話をするって聞きました」


「……、ディリージアから聞いたの?それ」


「はい」


 ――――なんで言うかな。そういうこと。


 何故、ホリーにそのことを話したのか、ディリージアに問い詰めてやろうかと思う椎菜だったが、ホリーのためにぐっとこらえた。

 ホリーは心細く声を揺らせて、続けた。


「だから、その……。椎菜さんたちが、何話すのかなって思って……」


 椎菜は首を傾げた。


「私、最近不安なんです。よく分かんないんですけど、私……」


 言いよどむホリーを、椎菜は急かすことなくじっと待った。


「椎菜さんが……」


 段々と、ホリーは頭の中で言葉を整理して、話し始めた。


「椎菜さんが、何処かに行っちゃうような気がして……。椎菜さんだけじゃなくて、みんな、何処かにいなくなっちゃいそうで……」


 ――――みんな、何処かに、いなくなる。


 その予感を、ホリーは本気で恐れているようだった。椎菜にはそう取れたし、事実、ホリーの表情には陰りが差して。


「私、昔のこととかよく覚えてなくて……。だから、だから……、椎菜さんたちがいなくなったら、私……。独りで……」


 ここ最近、椎菜はホリーの笑う顔をほとんど見ていない気がした。

 いつも明るくて、楽しそうにしていたホリーがずっと悩んで、泣きそうにしている。


「……」


 椎菜には、不安に怯えるしかないこの哀れな少女が可哀想で仕方がない。

 きっと一人で悩んでいたのだろう。誰にも言いだせずに、先の見えない闇の中を、孤独にさ迷っていたに違いない。

 椎菜はしゃがんで、ホリーの頭に手を乗せて、艶のある黒髪をなぞるように頭をなでてあげた。

 ホリーが額に眉をよせ、泣くのをこらえているのが分かる。

 椎菜はホリーの顔を腕で抱き寄せ、胸に押し付けた。

 椎菜は浮かんだ言葉を発しようとして、その言葉を本当に言うべきか少し悩んだ。


 ――――嘘になってしまうかもしれない。もしかしたら、この子が心配していることが、現実になってしまうかもしれない。


 椎菜がホリーと一緒にいたいと思うのは本当だ。

 しかし、これから椎菜が知る事次第では、椎菜の気持ちに関係なく、別れは訪れる。

 椎菜は自分でも、ホリーと似た予感がしていた。


「心配させてごめんね」


 胸に埋まる、ホリーの小さな頭が左右に振られた。椎菜を謝らせてしまったことに負い目を感じた、少女の気持ちの発露だった。


「私にも、まだこれからどうなるか分からないけど……」


 でも、椎菜は何もかもを捨て去るようにホリーたちと別れるつもりはない。例え、別れることになっても、ホリーが笑っていられるように、椎菜は手を尽くすつもりであった。


「あなたを放って何処かになんて行かないよ。私もスティープスも、ホリーのこと大好きだから」


「椎菜さん……」


 ホリーは顔を椎菜の胸から離して、椎菜の肩の上に乗せた。


「……、椎菜さんって、お姉ちゃんみたい」


 大分落ち着いてきたらしく、ホリーの声には力が戻ってきていた。


「お姉ちゃん?」


「優しくて、綺麗で、かっこよくて。私、椎菜さんみたいなお姉ちゃんが欲しかったな……」


 予期せず褒めちぎられて、椎菜は焦った。自分がそんな大それた人間ではないと、誰よりも椎菜自身が思っていたから。

 椎菜の中にあるのは、ただ過去と自分を縛る後悔だけ。他人からどう見えようとも、椎菜にとっては、全てはもう、償いにも満たない足掻きなのだ。

 ホリーの期待に、椎菜は恐れた。

 その期待に自分が応えられるのか、椎菜には自信がなくて。椎菜の全身が強張って、ホリーから目を逸らしそうになった。

 けれど、けれども。

 今、椎菜に抱き付くそのホリーの温かさが、椎菜にほんの少しの勇気をくれた。

 椎菜の中で燻ぶる勇気に、ほんの小さな光を取り戻させた。

 だから椎菜は、自分を信じてくれるホリーのために、強く心の一歩を踏み出して、言った。


「私なんかで良ければ、私がホリーのお姉ちゃんになってあげるよ」


 こんな自分でいいと言ってくれるのなら、姉にでもなんでもなってあげようと。こんなに可愛い妹ができるなら、上等だと。


「駄目?」


 ホリーは椎菜に抱き付いたまま、びっくりした顔で椎菜を見た。

 椎菜にはホリーが驚いたことが、文字通り手に取るように分かる。


「駄目じゃ……、ないです!駄目じゃない!」


「じゃあ、お姉ちゃんって呼んでみて?」


「それは……、ちょっと恥ずかしい……」


 ホリーはぱっと椎菜から離れると、落ち着かなさそうに椎菜に言った。


「お話の邪魔にならないように私、宿の近くで遊んでます。頑張ってくださいね」


 ホリーは速足に部屋から出て、その姿を消す直前に。


「ありがとう。お姉ちゃん」


 照れながらお礼を言って、宿の外へと駆けていった。








「さて、何から話すか」


 宿の部屋にて、椅子に座る椎菜の向かいには、ディリージアとスティープスがいる。

 スティープスは壁に寄りかかり、ディリージアは椎菜の座る椅子の近くに、直立を崩して立っていた。


「初めから。全部知りたいの」


「初めからって……。もう少し具体的に言ったらどうだ」


「まあまあ」


 ディリージアの返答にむっとする椎菜を見て、慌ててスティープスが間に入る。


(なんでこの二人、仲悪いの?)


 スティープスは自分が仲裁に入らなくては、話が進まないのではないかと今から焦心物であった。


「とりあえず、俺とスティープスの持っている力のことを教えておこう。俺達には、特別な力がある。それは、夢の世界を作り、眠った人をその世界に連れてくる力だ」


「これは僕たちに意識が宿った時からある力なんだ。僕が試しに君に夢を見せたのは覚えてる?」


「うん。それで、夢の中ならあなたたちはいろんなことができるんだよね?」


 椎菜はスティープスが見せた夢のことを思い出す。騎士に追われているときに見た、椎菜の見覚えのある景色が広がる夢。あれが、スティープスたちの持つ力なのだ。

 スティープスは続けた。


「そう。火を点けたり、風を起こしたり。何もない所から物を作ったり。自分が作った夢の世界の中なら、僕等はなんでもできるんだ」


 説明をするスティープスと、それを真剣に聞く椎菜を、ディリージアは不思議そうに眺めていた。


「……」


「あれ?ディリージア、どうしたの?」


 ディリージアは椎菜の傍に近寄った。

 ディリージアには一つ、椎菜に対する疑問があった。


「お前は、俺とスティープスの正体を聞いたんだろう?」


「あなたがお城の模型で、スティープスがぬいぐるみなんでしょ?クマの」


「……、お前はそのことについて、どう思っている?」


 ディリージアの質問の意味を椎菜は理解する。スティープスも心配していたことだ。

 それは、つまり。


「お前はそんなことが信じられるのか?」


 正体を聞かされたところで、物が意識を持つことを受け入れられるのか。彼らがまず心配することはそれなのだ。


「信じるよ」


「……」


「信じる。だって、スティープスが真剣に教えてくれたことだから。私は絶対に疑ったりしない」


 椎菜の横で話を聞いていたスティープスは、椎菜の言葉に内心喜んだ。

 スティープスに顔があったなら、微笑みを浮かべていたに違いない。彼が何よりも信頼する椎菜が、自分を信じようとしてくれているのだから。

 スティープスにとっては、こんなに嬉しいことはない。


「そうか。ならいい」


 ディリージアは椎菜から離れ、彼とスティープスの正体を改めて語った。


「長い間、大事にされてきた物には魂が宿るという言い伝えがあるだろう。俺達は正にあれなのさ。俺もスティープスも、色々な人たちの手を渡り、何十年と大事に使われてきた。そしてある時から、模型とぬいぐるみの俺達に意識が宿った」


「じゃあ、あなたたちはいつから生きてるようになったの?」


「生きてるって表現はどうなのかな……。でも、僕の場合は覚えてるよ。あれは……」


 興味深げにスティープスたちの話に耳を傾けていた椎菜は、スティープスの口から思いもよらぬ言葉を聞くことになった。


「あれは、ホリーが死んだ時だったはずだ」








「なら――――」



「なら、初めに。あいつのことから話そうか。これはスティープスもまだろくに知らないことだ」


 ディリージアから語られるのは、昔話。

 かつて現実に生きていた、椎菜の知らない、一人の女の子の話だった。


「お前はこの夢の世界に来てから、ホリーという名の人間を二人、見つけたはずだ」


「二人……」


「今、僕らと一緒にいるあの子と、魔女のお婆さんの娘が、ホリーって名前だった」


 ――――そうだ。


 ホリーという名前を持つ、女の子たち。

 偶然の一致にしては、椎菜も出来すぎているような気がしていた。勘でしかないけれど、二人の口振りからして、やはり何か意味があるのだろうと思われた。


「今、外にいるあのホリーは、今回の夢で作られた存在。そして、魔女の娘は純粋な夢の世界の住人だ。その二人に加え、ホリーはもう一人いた」


 それは、かつて生きていた女の子。


「“ホリー”というのは、現実にいた人間の名前だ。紫在と、紫在の兄、あいつらよりも先に生まれて、既に死んだ」


 今、現実に生きる独りの女の子を苦しめ続ける、初めに在って三人目のホリー。


「哉沢ホリー。紫在の姉だ」


「え……」


「紫在に兄がいるというのは前にも言ったと思うが、紫在には姉もいたのさ」


 言われたかどうか、椎菜にははっきりと思い出せなかったが、椎菜の記憶には、ぼんやりと紫在の兄のことが残っていた。


「ホリーが死んだその数日後に、紫在が生まれた。だから紫在は、実際に姉であるホリーと会ったことがない。だが、紫在以外の家族にとっては……、忘れがたい存在だ。ホリーは誰よりも優しく、しっかりした子供だった。皆がホリーの死を悼み、悲しんだ。誰もあいつを忘れなかった。家族だけじゃない。あいつと関わった者、皆」


「そんなに……、良い人だったの?」


「ああ。人を助け、人を責めない。誰に対しても優しくて、なんでも大事にするやつだった」


 ディリージアの口調が重くなっていき、するりと、スティープスが口を挟んだ。


「どういう訳か、僕はホリーが死んだ時に意識が宿ったんだ。だから僕は、そのホリーのことを殆ど知らない。名前とか、どんな子だったかとか、誰かが話しているのを聞いて知ったことぐらいしか分からない」


 ホリーが死んだ後にスティープスが“生まれた”。スティープスが生まれたことに、どんな理由があるのか、それはスティープス本人にも分からないようだった。


「でも、君は違う。ディリージア、君は――――」


 どうしてディリージアは、ここまでホリーのことを知っているのか。

 又聞きの情報だけではないからだ。ディリージアはホリーに会ったことがあるのだ。

 遠い昔に死んでしまった、その哀れな少女に。


「君は会ったんだろう?僕たちの会ったことがない、“現実のホリー”に」


 スティープスの言わんとすることを、椎菜はすぐに知ることになる。

 すなわち、それは。


「“今回の夢”と同じように、君が“ホリー”に見せた夢の中で」


 この夢の世界の正体に迫ることであった。


「君がホリーと過ごした、“前の夢の世界”のことを、僕たちに教えてくれないか。ディリージア」


 この夢を終わらせる鍵が眠る、“前回”の話であった。








「もし、もしもね」



「今日で、これで最後だったとしたら」



「あなたに、お願いがあるの」









「初めて俺が意識を持った時、俺の目の前にホリーがいた。あいつは俺を使って遊んでいる最中で、俺には何がなんだか分からなくて、焦ったな」


 記憶を手繰りながら、ディリージアは語りだす。


「おもちゃの城には、目なんて当然付いてなかった訳だが、俺には目があるかのように自分の周りが見えていた。まあ、そうは言っても動くことはできないし、喋ることもできない。何故か言葉は分かっていたから、必死にホリーに呼びかけ続けた。声になっていないのに気付かなくて、頭の中でずっとホリーを呼んでたんだ」


 椎菜とスティープスは、ディリージアの話を黙って聞いている。聞き漏らすことないように、真剣に耳を傾けて。


「その日の晩、ホリーが寝付くのを、俺は棚の上から見ていた。あいつが眠って、俺は何も分からないまま、一人で何が起こっているのか、自分が何なのか、考え続けていた」


「すると、突然俺に見えている景色が変わった。薄暗いあいつの部屋から、広くて明るい町中に。その時、初めてこの世界を知った。ここでは俺には不思議な力が宿っていて、俺は夢の中だけの自分の体を手に入れた。そして、この世界を散策することにした。不思議だったよ。何がどうしてそうなったのか、見当もつかなかった。分かっていたのは、ここでなら俺は自由だってこと。人間と同じように生きられるということだけだった。この世界を歩き回って、いろんな物を見つけた。あの頃は、まだ俺も物に触ることができたし、他のやつにも俺の姿が見えていた。いや、それどころじゃない。あの頃の俺は、この世界を自由自在に操ることができた。手足を動かすのと同じように、山や川を作ることもできた。建物だって、食い物だって、生き物だって作れたし……。やろうと思えば、気に入らない物を簡単に壊すこともできただろう」


「だが、俺がそうすることは、結局一度もなかった。あいつが、それは良くないことだと教えてくれたから。世界を歩き回っていた俺は、ウッドサイドという街で休むことにして、それで――――」


「そこで、ホリーと出会った」







「あはは、変な人。ほんとに何も知らないんだ」


「……」


「あ……、怒った?ごめんね。でも、あなたが面白くて」


「俺といると……、面白いのか」


「うん!楽しい!優しくてかっこよくて、王子様みたい!」


「俺の着ている服は、下っ端のやつが着る服なんだろう?」


「そう、召使い……?違う、執事さん!漫画で見たことあるから、私知ってる」


「なら、俺が王子様って言うのはおかしい」


「いいの!あなたは私のお友達。私の王子様」


「……」


「あなたの名前。なんていうの?」


「……、名前?」


「そう。名前。私に教えて?なんて呼べばいいか分かんない」


「名前……、名前か。そうだな――――」



「……、ディリージア。お前が、そう呼んでいた」






「あいつは俺の名前を聞くと、馬鹿みたいに喜んだ。ホリーの持っていた城の玩具、何時だったか、あいつが俺に適当に付けた名前が、ディリージアだった。それがそのまま、ここでの俺の名前になった。そこの窓からも見えるだろう。あのでかい城、今じゃ変な形に変わっているが、前は現実の俺と全く同じ形をしていた。あの城はずっとあそこにあるんだ。前回の夢が始まった時から、あそこに。ホリーが夢の中に来る日は、俺とあいつは夢の中で遊びまわった。あいつが現実に戻りたいと思った時、それに合わせて夢は終わった。だから、俺はあいつの気が済むまで、いつも一緒に遊んでやったんだ。俺はあいつを怒らせたりもしたし、泣かせたりもしてしまった。でも、あいつは楽しいと言ってくれた。そんなあいつと一緒にいるのが、俺も楽しかった。ホリーは、現実であったことをよく話してくれたりもしたな。家族とか友達のことを話す時のあいつは、いつも嬉しそうだった」






「ディリージア。ねえ、ディリージア!」


「ん?」


「今日ね、学校の友達と山に探検しに行ったの!」


「危ない所には行くなと言っただろう」


「ちょっとぐらいいいでしょ?それでね、変な色の蛇を捕まえたの!」


「おいおい……」


「だから今日は蛇を探そう!夢の中にも蛇いるよね?」


「多分いるだろうが……、蛇が好きなのか?よく分からないな」


「えへへ」


「どうした。やけに機嫌が好さそうだ」


「今日ね、お母さんにいいこと教えてもらったの」


「へぇ。何を?」


「もうすぐね――――」



「もうすぐ、私の妹が生まれるんだって!」








「あの時ほどあいつが喜んでいたことはなかった。嬉しそうだった……。本当にな」


 ディリージアは一旦話を止めて、休憩をとった。

 椎菜はその隙に、スティープスに気になっていたことを尋ねてみる。


「でもホリーさんは……、紫在さんが生まれる前に死んじゃったんだよね?」


「そう。ホリーが死んで、その数か月後に紫在が生まれた」


「なんで死んじゃったの?交通事故……、とか?」


 スティープスは顎に手を添えて、少し考えてから答えた。


「病気……、と言っていいのかな。ホリーは生まれつき心臓が弱かったらしくて――――」


 休んでいたディリージアが、横から補足する。


「ホリーは心臓に欠陥があった。現実ではよく倒れたりもしていた。だが、直接の……、本当の死因はそうじゃない」


 ディリージアは再び話し始める。

 過去にあった夢の続き。ディリージアの後悔と、ホリーの抱えていた奥深き不安と悲しみ、夢の中で見る辛い現実。

 そして、ホリーが愛した家族の話である。


「ホリーの病状は悪化していた。家でじっと寝ていることが多くなって、学校へ行くことが少なくなった。ホリーが入院や退院を繰り返し、看病に時間を取られていた家族はどんどん仲が悪くなっていった。それがまた、ホリーを苦しめていた。あいつがどんなに苦しんでいても、俺には何もできなかったよ。夢の中でなら、あいつを本物の姫にだってしてやれた。でも、現実じゃ俺は役立たずの置物だ。ホリーが起きている間、ひたすら俺はホリーを見守り続けた。あいつの体は良くならなかったが、命に別状がある程ではなかった。医者は安静にしていれば、大丈夫だとも言っていた」


 ディリージアは、少し間を置いた。

 ディリージアは椎菜たちにただの昔話をしているのではない。その行為は彼にとって、もはや懺悔にも等しいものである。


「そして、あの日だ。ホリーが死んだ日。死ぬ直前、ホリーは夢の中にいた」


 スティープスが顔を上げた。

 ここからは、スティープスも知らないことだ。

 ディリージアが誰にも話すことができなかった、後悔だ。


「俺はホリーと喧嘩をして、あいつから目を離してしまった。些細なことだったんだ。本当に、俺がもう少し大人だったら、何事もなく済むような」


 ディリージアの声に気持ちが込められていく。深い悲しみが彼の声を、心を、揺らして、揺らして。

 椎菜にとって、ディリージアのこの感情の起伏は意外なことであった。感情を表に出さないだけのディリージアを、椎菜は単に感情の薄い人なのだと思っていた。


「そして、俺が機嫌をなおして、ホリーに謝ろうと思って……、あいつに会いに行った時……。ホリーは、誰かに襲われた後だった。体には白いナイフが突き立っていて、あいつはもう、死にかけで……。それで……、ホリーが死ぬと夢が終わって、現実に戻った時、現実でも、あいつは……」


「ディリージア」


 スティープスがディリージアの話を遮って、深く心を沈めていくディリージアの肩に手を置いた。


「そんなことがあったんだね……。知らなかったよ……」


 スティープスのおかげで、ディリージアは少し落ち着きを取り戻したようだ。

 それを確認して、スティープスは言った。


「ホリーが死んだ時から、僕は意識を持ち始めた。あの時の光景は今も覚えているよ。みんな泣いてた。僕には見えなかったけれど、きっと、ディリージア。君も泣いていたんだね」


 スティープスたちと紫在の家族が、どんな想いでホリーの死を見ていたのか、椎菜には想像するのは難しかった。でも、きっと途方もない悲しみがあったのだろうと椎菜は思う。

 祖母が死んだときの、椎菜と似たように。


「俺達は、ホリーのお蔭で心を手に入れたんだ。あいつが、俺達を大事にしてくれたから」


「ああ。僕もそう思う。死ぬ前に、ホリーは最期に僕にも心をくれたんだ。きっと、ディリージアが一人にならないようにね」


「だからこそ、俺はあいつを守ってやらなくちゃいけなかったんだ……。なのに、俺は………」


「そんなの、あなたのせいじゃない。悪いのは、ホリーさんを殺したやつに決まってる……」


 椎菜の心が悲痛に嘆く。年端もいかぬ少女を殺した誰かに対する怒りが湧き上がる。

 こうして、ディリージアを苦しめ続ける誰かが、椎菜は許せなかった。

 ディリージアは話を続行した。落ち込んで、声を出すのも辛そうに。彼は彼なりに、自分の弱さと闘っているのだ。

 自分の知ることを、辛いことも含め誰かに伝えることで、ディリージアは必死に足掻いている。


「ホリーの看病で悪くなっていた家族の仲は、ホリーが死ぬと次第に元に戻っていった。それも、長くは続かなかったが」


「……。確かに、今思えば、そんな感じだったかもね」


 紫在の家族を知らない椎菜には、彼らの言うことがいまいち掴めない。椎菜の困惑は彼女の顔に出ていたらしく、スティープスが察して、説明してくれた。


「紫在の母親と父親と、お兄さん。今はまた……、みんな、仲が良くないんだ」


「一度は戻ったんでしょ?その……、ホリーさんがいなくなった後に。なんで、またそんなことになったの?」


 長い沈黙があった。

 スティープスもディリージアも、罪の意識に捕らわれていた。

 その事実を椎菜に言ってしまうことが、それを思うことですらも、スティープスたちには、紫在に対する裏切りのように思われた。


「ホリーが死んで、紫在が生まれたから」


 言葉を発したのは、ディリージアだった。

 椎菜には、スティープスとディリージアが辛そうにしているのが分かる。

 それだけ、その言葉には、どす黒い意味が篭っていた。

 “哉沢紫在”という人間を構成する核とも言える、家族の後悔と、紫在の嫉妬の根源。

 この、“今回”の夢の世界の、本質だった。







「私、ちゃんとお姉ちゃんになってあげられるかな?」


「どういう意味だ、それは?」


「もしその子が生まれて、私がお姉ちゃんでがっかりしたら、可哀想……。お箸の使い方とか、部屋のお片付けとか、教えてあげなきゃいけないこと一杯あるのに……」


「……」


「しっかりお話しできるかな。仲良く……、なれるかな」


「それなら、大丈夫だろう」


「?」


「お前のことを嫌いになるやつなんて、いないさ」


「そうかな……?」


「ああ。絶対――――」



「絶対、お前のことを大好きになってくれるに決まってる」








「紫在にとって、ホリーの存在は消すことのできない障害となってしまった。ホリーが死んだ後に生まれた紫在は、ホリーを失った家族にとって希望であり、また、ホリーの代わりでもあった」


「代わりって……!」


 我知らず、椎菜は口を荒げてしまう。紫在というまだ知らぬ少女の苦悩が、椎菜にもその一言だけで察せられてしまうようだった。

 椎菜の怒りに応えて、話を引き継いだのは、スティープスだ。


「……。家族は皆、紫在にホリーのような人間になって欲しいと思ってたんだ。でも、それを紫在に強要するようなことはしなかった。けど、皆、心の何処かで紫在とホリーを比べてた。紫在はそのことに気付いて、家族と距離を置くようになったんだよ。学校でも、最初は上手くやれてたみたいだった……」


 スティープスの口調は悲しそうで、悔しそうでもあって。


「最初は……?」


「紫在は、僕を毎日学校へ連れて行ってくれてたんだ。でも、ある日からはそうじゃなくなった。同じクラスの女の子に僕を取られそうになったから、それで、僕を学校に持っていくのを止めたんだ。虐められてたんだよ、紫在は。紫在は優しい子だった。確かに紫在はホリーとは別人だけど、本当に優しい子だったんだ。虐められてたのだって、元々虐められていた子を助けたから、代わりに紫在が……」


 椎菜は、とても虚しい思いがした。

 聞いていれば、誰かの代わりになってばかりで。その紫在という女の子は、まるで自分が誰にも求められていないかの人生を生きているのではないだろうか。

 それは、余りにも。

 たった独りの少女が抱えるには、余りにも、辛すぎる思いではないだろうか。


「だから僕は……、紫在を助けたいと思うんだ。紫在に会える最初で最後のチャンスになるかもしれない、この夢の中で」


「……、そうだな」


 返事をしたのは、ディリージアだ。


「紫在は、随分変わってしまった。度重なる苦しみに、あいつは誠実さを失くしていった。何時しか紫在は、虐められる側から虐める側へと移り……。遂には、学校へも行かなくなった。そんな中、紫在の唯一の希望になったのが、お前だ」


「そうだよ。椎菜。紫在がこの夢に落ちてしまう前に、最後にあの子が頼ろうとしたのが、君なんだ」


 ここで。ここに来て。

 椎菜は自分の話が出てくるとは思っていなかった。自分からかけ離れた、遠い世界の話を聞いている気がしていたのに。


「なんで、私……?私は現実の紫在さんに会ったこともないのに……」


「紫在の部屋からは、君がよく来ていた公園が見えるんだ」


 なんだか、椎菜には不気味であった。読書ついでに子供たちに会いに行っていただけだったのに、その姿をずっと見られていたとあっては。


「僕は窓辺に置かれていることが多かったから、僕も、君を紫在と一緒に見てたよ」


「はっ!?」


「え?あ、いやいや!仕様がなかったんだよ!ほら、動きたくても自分で動けない訳だし……!」


 椎菜の心中に逆巻く不気味さを弾き飛ばしたのは、スティープスに対する恥ずかしさであった。

 椎菜がいい年をして、子供たち相手に躍起になっているところを、まさかスティープスに見られていたとは。


「だからまあ、僕は一応、君のことを知ってはいたんだ。外見だけね」


 スティープスは気を取り直し、話を戻して。


「それで、紫在も君のことを知ったんだ。家も学校も関係ない君なら、新しい関係を築けるかもって、思ったのかもしれないね」


 スティープスが話し終えると、ディリージアが付け足した。


「紫在はその後、お前に手紙を書いた。お前と会う決意を込めて」


「そうだったんだ……」


 例の手紙の正体がようやく分かった。いきなり椎菜を友達呼ばわりしたあの手紙は、紫在が自分を変えようと踏み出した、大きな一歩だったのである。


「けど……、紫在さんは来なかったよね?」


 けれど、何故。

 なら何故、椎菜が待ち合わせに出向いたあの時、紫在は公園に来なかったのか。

 約束の時間を過ぎても、紫在は現れなくて。気が抜けた椎菜はそのまま眠ってしまった。

 それが、この夢の始まりだった。


「行けなかったんだ」


 スティープスは、残念そうに。


「行かせてもらえなかった」


 ディリージアは、怒りながら。


「家族が、紫在を家から出そうとしなかった。お前の所へ行こうとした、変わろうと決心した紫在に、あいつらは立ち塞がった」


「紫在は体も弱ってたし、あの日は取り分け調子が悪くて。みんな紫在を心配して、部屋から出さなかった」


「そんな……」


 あの日、そんなことが起こっていたとは露知らず。椎菜は何も知らずに、ひたすら紫在が来るのを待っていた。紫在は椎菜が公園で待っているのを部屋から見ていたのだろうか。

 折角の決心を、約束ごと捨てなくてはならなかった紫在の気持ちは、一体どれほど辛い物であっただろう。

 誰にも分かってもらえなかった女の子。変わることすら許されなかった女の子。

 椎菜は事の真相を知り、暫し呆然と、床を眺めた。







「とりあえず、俺たちの話はこれで一旦、終わりにしとこう。何か聞きたいことはあるか?」


 現実でホリーという女の子がいたこと、そのホリーが自分と同じように昔夢の世界に来ていたこと、紫在が辛い現状に置かれていたこと。


 ――――気になったことを、聞いていこう。


 椎菜はここで、知っておきたいことは全て知るつもりだ。この夢の何処かにいる紫在に会うために、出来る限りこの世界のことを理解したかった。


「えーっと……。じゃあ……」


 まずは何から聞いたものだろう。もう既に、椎菜の顔には疲れの色が見えていた。


「今のこの夢の世界は、ディリージアが見せてるってことでいいんだよね?じゃあ、あなたたちのその体は、どっちもディリージアが作ったの?」


「いや、違う。俺の体は昔のまま。俺は前回の夢で自分の体を作ろうとしたら、勝手にこの姿になっただけだ。スティープスの体は、今回の夢が始まった時、紫在が無意識に作ったものだろう」


「僕らにも、はっきりとは分からないんだ」


「俺とスティープスは現実でも意識を持って、紫在を見守っていた。こいつのことを知ったのは、この夢に来て初めて話した時だったが。あと、他にも意識のあるやつがいたのかは俺は知らん」


「流石に怖いかな、そんなにたくさんのおもちゃに見られてると……」


 椎菜はこの二人の手前、表現に気を使ったが、考えてもみると確かに呪いとも思える不気味さがあった。


「でも、紫在さんはどうして私たちを夢に呼んだの?」


 窓の外から楽しそうな声がした。

 ホリーの声だ。

 誰かと遊んでいるようだった。


「俺はこの夢の世界そのものでもある。夢が始まれば、俺はそこに現れる。スティープスは、恐らくお前の道案内として呼ばれただけだろう。夢の力は夢の主のためにある。夢の力が勝手に働いたんだ。紫在が俺達に気付いていたとは思えない」


「無意識の内に、そんなことまでできるの……?」


「できないことは……、ないだろうな。夢は、夢の主の影響を強く受ける。主の意思に関係なく。紫在が望みを叶えるのに手頃だったのが、俺とスティープスだったのかもしれない」


「椎菜とホリーにしか、僕とディリージアが見えないのも、紫在が意識しない所でそう望んだから……、ってことなのかな」


「そういうことかもな。それか、紫在にとって、俺とスティープスは“そういう存在”でしかなかったのか」


「……?」


 どこまでも得体の知れない、正に超常現象と呼ぶに相応しい異様さがこの夢にはある。ディリージアが自身を化物と呼んだのも決して間違いではなかった。

 紫在の願いが、スティープスたちを椎菜の下へと寄越したのだ。哀れな少女の切なる願いが。

 次に、“ホリー”のことを椎菜は尋ねた。


「現実にいたホリーさんは、どんな人だったの?性格だけじゃなくて、外見的には」


「小柄で金色の髪。母親が外国の人間だったからな。名前が日本名じゃないのも、それが理由だ」


 先刻、抱きしめたホリーの髪の色は、金髪ではなく黒髪だった。名前と外見の特徴が一致していないことに、椎菜は気付いた。


「え……。でも、なんで夢の中では、ホリーの髪の毛は黒くなってるの?ホリーさんは金髪のはずでしょ?」


「これは僕の推測だけど……。多分、今、外で遊んでるホリーは、“ホリー”じゃないんじゃないかな」


「どういうこと?」


「ずっとおかしいと思ってたんだ。あの子の名前を聞いた時から、ずっと」


 思えば、スティープスは元々あの子のことを何と呼んでいただろうか。あの子を探して欲しいと椎菜に頼んだ時、スティープスはどのような特徴を述べただろうか。

 黒い髪で。背が低くて。手の甲に深い傷がある。


「きっとあの子は、紫在なんだよ。紫在は現実でも黒い髪をしてるし、それ以前に、あの子の外見は紫在そのものだ。そうだろ?ディリージア」


「あ……」


 スティープスは彼女のことを紫在だと思っていたし、彼女から名前を聞くまでそれを疑わなかった。


「……。俺もそう思う」


 ディリージアの返事は、至極重かった。彼にとっても確証の無いことである表れだ。


「え……、でも、ちょっと待って!それじゃあ……」


 スティープスが椎菜に教えたこの夢の目的は、確か。


「もう、この夢は終わってるはずじゃないの……?」


 紫在を助けだす夢、紫在と椎菜が友達になる夢。この夢は、そういった物だった筈で。


「簡単な話だ」


 ディリージアの声ははっきりと、力強く耳に届いた。


「今、外にいるホリーは、紫在であって紫在ではない。あいつは紫在が捨てた優しさから作られた、ホリーと名付けられた、紫在の偽物でしかない」


 非道な言葉だった。残酷な真実を告げる言葉だった。


「お前はまだ、夢の中にいる“本物の紫在”を見つけていない。お前が本当に仲良くならなくてはならない本物の紫在に、気付けていない」


「……。やっぱり、そういうことなんだね」


 スティープスは理解していた。


「ディリージア、君がどうしてあの人とずっと一緒にいたのか」


 誰が、“本物の紫在”なのか。


「あの人に、どうしてあんな力があるのか」


 椎菜が本当に仲良くなるべきだったのは、誰なのか。



「あのお姫様が、紫在だったんだ。そういうことだろう?」






 どこか遠くで。遥か遠くで。遠い遠い夢の彼方で。

 お姫様が独り、玉座に座ってそぞろ気に、何をするでもなく、そこにいた。

 そこから出て行くと、決めた筈だったのに。姫は誰もいないこの城へと戻ってきていた。自分の手を取ってくれた、姿の見えない誰かもここに戻ってきているのでは。

 そんな淡い期待を抱いて。


「何処に行っちゃったの……?」


 天井に釣り下がるシャンデリアは、その役目を与えられることもなく。部屋は暗闇に堕ちていた。

 手を取ってくれた誰かのことを、姫は想う。

 ずっと一緒にいてくれていた、あの人。

 仕草は見えずとも、言葉は交わさずとも、優しさだけは確かに姫には伝わってきていた。

 王はいない。女王もいない。王子だっていない。

 不気味に歪んだ城の中、ただ一人、姫の手を握ってくれたあの人は――――

 友達、なのではなかったか。

 現実という虚構の世界で、姫には結局、手に入らずじまいだった、本当の友達。


「私じゃ……、駄目なの……?」


 姫はさめざめと玉座にもたれて。暗闇の中、泣き続ける。

 伸ばした手を取る者は、そこにいない。


「会いたい……。会いたいよ……」


 姫が犯してきた罪、その罰を彼女は受け続けている。因果のままに。成るべくして成った結果だけがここにある。

 罰は終わらない。まだ、罪は続くのだから。姫はこれからも、罪を犯し続けるのだから。夢の中であろうとも、心ある限り、因果の巡りは変わらず訪れる。

 無知な姫は、纏わりつく悲しみに耐えきれなくなり、やがて、自らの手を下ろした。







「嘘……」


 二人の出した結論に、椎菜は絶望の色に顔を染める。

 ずっと探していた人が、友達になるために、現実へ帰るために探し続けていた紫在が、あの姫であるという事実。

 ホリーを捕らえ、魔女を殺し、騎士を殺した、あの姫が。


「まさかと思わなかった訳じゃない。でも……」


 椎菜の陰鬱な様子に、スティープスも気落ちした声色を隠しきれない。


「考えたくなかったよ。その可能性だけは……」


「ここは紫在の夢であり、俺が紫在に見せている夢でもある。俺にはこの世界を自在に操る力があるという話をしたな。なら何故、俺にはそこまでの力が無くなってしまったのか」


 姫の不可思議な力。夢の中だからこそできる異業の数々。


「紫在が奪ったからだ。紫在が力を望んだからか、俺の力はほとんどが紫在の物になってしまった」


 それらは全て、ディリージアから奪い取った力の片鱗であった。ありとあらゆる物を生み出し、破壊せしめる支配の力を、あの姫は振るっているのだ。


「俺もスティープスも、紫在には見えていない。ここが夢の世界であることを理解できて、あいつに何かしてやれる人物は、箕楊椎菜。お前以外に存在しない」


 これから自分がしなくてはいけないことに、椎菜は恐れを感じずにはいられない。

 椎菜は現実へと帰るため、最悪の条件を突き付けられた。


「お前が現実へ帰りたいと言うのなら、お前はあの姫となった紫在の心を救ってやらなくてはならない」


 全ての尊厳を否定する、全ての可能性を諦めた、絶対の力を振るう、心を閉ざし堕ちた少女。

 誰であろうと、近寄れるものか。紫在がそれを望まないのだから。

 姫である紫在に歩み寄ろうとした者達の末路を、椎菜はこれまで見せつけられてきたのだ。


「前回の夢でも、“ホリー”の夢でもそうであったように。夢の主が望まない限り、この夢は決して終わらない。そして、紫在は最早、現実へ戻ることを願わない」


 凄惨な処刑の光景が、椎菜の脳裏にちらついて。そのイメージから逃げることも許されなくなってしまったのだと、気が付いて。


「もう既に、それが不可能になってしまったのだとしても」


 遂に椎菜が見つけた夢の出口は、視認できない程に果てしなく、高く険しい道の先であった。


「お前が紫在と友達にならない限り、お前は現実に帰れない」






 皆、黙っていた。

 言うべき言葉は見つからず、三人は沈黙に飲まれ、今後の憂いに頭を回すのが精一杯で。

 全てを知るどころか、分からないことが増えてしまった椎菜は自分のするべき行いをひたすら模索していた。

 椎菜は紫在であるあの姫と、仲良くならずに夢を終わらせる方法を必死で考えた。

 もし、他の道が存在しないのなら、椎菜は姫のこれまでの横暴を許し、忘れ、危険を冒して会いに行かなくてはならない。

 紫在の境遇に同情しない訳ではない。だが、その気持ちを遥かに上回る大きさで椎菜は紫在を憎んでいた。

 たくさんの人の命を弄ぶ残酷な行いを、幾ら相手が子供だからといって無条件に許せる程椎菜はお人好しではない。

 椎菜は正直な気持ちを言えば、今すぐにでも紫在に罪を償わせたかったし、また、もう二度と会いたくもなかった。

 感情はごちゃ混ぜになって、椎菜の中に見え隠れする答えへの道を隠してしまう。

 感情の渦の中、椎菜は何故か、祖母の顔を思い出した。

 優しく微笑む、祖母の顔。

 理由は、椎菜にも分からなかった。

 スティープスもディリージアも内心で溜息を吐き、部屋の窓は砂を舞わせる風に揺らされ、がたがたと音を鳴らす。

 結局、答えは出ないまま、時刻は正午を回り、ホリーが宿へと帰ってきてしまった。

 驚いたことに、ライオンも一緒であった。







 ホリーは並ならぬ椎菜の様子にいたく気を揉んだ。

 昼食を摂りにレストランへ行った際、椎菜が食欲は普段通りあるようだったので、ホリーの不安は和らいだが、心配なことには変わりない。

 何故ライオンが街中にいるのかと言えば、椎菜も気になっていた所で。昼食の最中、椎菜は本人に尋ねた。


「ライオン君、ここに入って大丈夫なの?」


 街中どころか、そこはレストランである。

 椎菜は葉菜の入った緑色のスープをかき混ぜながら、机の下に座るライオンの背中に、靴を脱いだ足を乗せて。自分の向かいに座るホリーの食事の仕草に心を和ませた。

 ホリーがコップを両手で持ったり、箸でなんとか豆を掴もうと頑張る姿は、なんとも可愛らしい。


「この街は、言葉を話せる動物は入っていいんだと」


 机の下から聞こえた返事の出所へ、給仕が料理を運んできた。ただの生肉だった。


「そう言えば、通りに動物が結構いたかも。そういう街もあるんだ」


「ほうはは」


 皿にどかっと乗せられた肉にかぶり付いているせいで、ライオンの返事は意味不明な音の波に変貌して。

 それに比べて、ホリーのなんと礼儀正しいことか。今も取れずじまいだった豆をスプーンに乗せて、静かに口へと運んでいる。

 ふと、椎菜はディリージアが言っていたことを思い出す。


「外にいるホリーは紫在であって紫在ではない。あいつは夢の中で作られた、ホリーと名付けられた紫在の分身でしかない」


 このホリーが、あの姫の分身だと彼らは言った。

 まさか。こんな物腰柔らかくて心優しい少女が、あの暴虐の限りを尽くす姫と同一人物だと言うのか。

 まるで真逆。共通点なんて一つとして見当たらない。性格は勿論、容姿だって。

 ホリーの綺麗な黒髪と、整った顔立ち。

 だが、姫の顔を椎菜は知らなかった。

 姫の纏うあの黒い瘴気は、彼女の顔を何時だって覆い隠していた。スティープスたちの仮面のように隠されているのではなく、乱暴に黒く塗り潰したかのように。

 何故、姫は顔を隠すのだろう。

 頑なに隠し続けるからには、見られたくない理由があるに違いない。それが何かということにまでは、椎菜の考えは及ばなかった。

 スティープスとディリージアは、姫が、紫在が、まだ優しかった頃の彼女に戻れると信じている。

 椎菜も彼らの考えに賛同したい。けれど、椎菜はまだ迷っていた。

 本当に紫在と分かり合えるのか。もしできなければ、どうなってしまうのか。

 そして何よりも、紫在を助けたいと思う自分の気持ちを、椎菜は信じきれない。自信のなさが、椎菜の決断を鈍らせていた。


「ねえ、ホリー?」


「?」


 料理を食べる手を止めて、ホリーが椎菜と目を合わせる。ホリーは机に用意された紙ナプキンで、自分の口の周りを拭った。


「なんですか?」


「もしもの話なんだけど……」


 椎菜は少しだけ、ホリーに聞いて欲しくなった。

 これからどうすればいいのか、椎菜の中に大体の答えは像を結び始めていたけれど。

 ホリーを見ていたらなんとなく、椎菜の胸に訪れた気まぐれである。


「もし、誰かがあなたの友達を虐めていて、あなたがそれを偶然見つけちゃったら、どうする?」


「えぇ……。どうしよう……」


 ホリーは小さな頭を捻って捻って、困っている。


「なんとかして助けようって……、思います。でも、実際には思うだけかもしれません……」


 自信はないようだけれど、それは優しさを感じる答えだ。

 ディリージアは、ホリーが紫在の捨てた優しさから作られたと言っていた。

 ということは、あの姫にもこの子のように優しかった頃があったということなのだろうか。

 まるで信じられない。

 でも、椎菜には彼らの言うことが間違っているとも思えない。ずっと紫在を見てきた彼ら。

 あの二人は、あの姫が優しさを取り戻してくれると信じている。

 今、椎菜の視線に顔を赤らめるこの少女が、紫在の昔の姿だと言うのなら、そういうこともあるのかもしれない。

 なら。

 ならば椎菜は、どうするか。


「じゃあ、その虐めてる子も、実は他の誰かに虐められてるとしたら、どう思う?」


 椎菜にも、意地の悪いことを聞いているという自覚はある。

 でも、それでも椎菜は聞いてみたくなってしまった。

 ホリーは何と答えるのだろう。優しさに溢れる彼女。人の心を想うことのできる、ホリーは。


「えぇー……。そんな……」


 案の定、ホリーは深く考え込んでしまった。

 机の下では、ライオンがまだ肉を貪っている音が鳴っている。

 考えて考えて、その末に。ホリーはなんとか答えを見つけ出した。


「その子のことも、助けてあげたいって思います。けど、自信ないです。その子がどんな子かにもよりますけど、やっぱり私、怒ってそんな風に思えないかも……」


 その答えを聞いて、椎菜は心の中にあった重さが和らいだ心地がした。

 ホリーなら、そう言ってくれると思っていた。

 椎菜は心の中で、優しきホリーにお礼を言う。真っ直ぐな心を持つ、正直なホリーに。


「ありがとう。ホリー。いきなり変なこと聞いて、ごめんね」


「い、いえ。ちゃんと答えられなくて、ごめんなさい」


「ううん。それで十分」


 椎菜にとっては、ホリーが答えを出してくれただけでも、真剣に考えてくれただけでも、嬉しかった。

 椎菜は、自分が紫在を助けてあげたいと思うのも、変なことではないと思えた。

 また、椎菜が紫在を許せないと思うのも、変なことではないのだ。

 だから、椎菜は。

 スティープスたちの想いを信じることに決めた。

 必ず、紫在の心に彼らの想いが届くと信じると、そう決めた。

 椎菜は自分の見つけた歩むべき道を進む覚悟を決めた。

 椎菜が正しいと思える唯一の、そして、どの道よりも困難であろう、悪路であった。







「椎菜は分かっている。そもそも、紫在に誰かと仲良くなろうとする気がないことを」


「……」


「紫在からそんな想いはとうに失われ、この世界が再び現れたことにも、意味は無くなった」


 空にかかる霧は、黒く白く。


「紫在は家族を憎み、夢の中で家族の分身をいたぶっている。それも、楽しみながら」


「そんな世界に、椎菜は入ってきてしまった……」


「呼ばれたのさ。紫在の心に。偶然にも、あいつは紫在と同じ時間に眠りについた。そこに、紫在に移った俺の夢の力が働いたのさ。紫在だけじゃなく、椎菜もこの夢の中に引き込んだんだ。もしも、紫在が約束通りに椎菜に会えていれば、こうはならなかったのかもしれない」


 宿の屋根に座り、スティープスはディリージアの話を聞きながら、黒と白の空を眺めていた。

 “そんな想いは、とうに失われた”

 スティープスには、ディリージアの言うことは最もだと思ったし、そう考えるのが当然だとも理解していた。


「家族に、学校の奴らに、大事な想いを紫在は奪われてきた。そして、あいつは全てを失った」


 けれど、スティープスは待っている。

 スティープスが誰よりも信じる、強く優しい一人の少女を。


「君の言う通り、紫在は失くしてしまったのかもね」


 大切な物だったに違いない。そうでもなければ、紫在があんなに苦しむこともなかっただろう。


「僕にはまだまだ、知らないことがたくさんあるけれど」


 スティープスが目を下ろせば、砂漠の街に人が行き交い作られる流れは絶え間なく、大きく街並みに沿って蠢いて。


 ――――あの流れに逆らおうと思ったら、一体どうなってしまうんだろう。押しつぶされてしまうかもしれない。何もできず、無力感に苛まれながら、ただ流されてしまうだけかもしれない。


 風に吹かれて、建物を彩る民族文様の掛け布が浮き上がる。

 その向こうに、スティープスは待ちわびた人影を見た。


「でも。失くしてしまっても、取り戻せる物だってあるんじゃないのかな」


 スティープスは立ち上がり、ホリーとライオンと共にこちらへやって来る椎菜に手を振った。






「紫在さんに会いに行く」


 真っ直ぐな瞳を向けて、そう言い放った椎菜に、スティープスは喜んでその言葉を受け入れた。

 一方のディリージアは、椎菜の答えに無い目が回りそうになっていた。

 ディリージアは椎菜が諦めて、この世界で姫から逃げ続けるものだとばかり思っていたのだった。


「これは、ただの夢じゃない。私だって、普通の夢なら深く考えずにすぐに忘れちゃうけど、でも、ここはそうじゃないでしょ?私たちは自分で考えて、行動してる。だから、紫在さんにもそれを分かって欲しい」


「僕も一緒に行くよ。いいかな?」


「うん。一緒に来てくれなきゃ、嫌」


 スティープスが賛同してくれたことが椎菜はたまらなく嬉しくて、落ち着き払った顔を崩して小さく笑う。

 スティープスと一緒なら、きっといくらでも椎菜は頑張れる。先の見えない道も、勇気を持って進むことができる。


「待て、ちょっと待て。本気で言っているのか?会ってどうする。紫在が話を聞くとは限らない。夢の中とは言っても、殺されてしまったら、ホリーのように現実のお前も死ぬんだぞ?」


「いいの。私はそれでも会いに行く。会って話して、紫在さんのことをもっと知るの」


 椎菜の決意は固まっていた。


「まだ私には、紫在さんに何をしてあげればいいのかも分からないから」


 椎菜は想う。

 紫在は、魔女を殺した。騎士を殺した。

 でも、あの二人は、姫にどうなって欲しかったのだろうか。

 きっと、願っていたに違いない。魔女たちにとって、大事な姫の幸せを。

 なら。


「もう一度自分で確かめたい。紫在さんがどんな人なのか。友達になるにしても、まずはそれからだと思うから」


 ディリージアは椎菜の決意を聞いた。

 無謀であるとしか思えないことであった。どれほど危険なことか分かっていてそう言える椎菜を、ディリージアは在り得ないとすら感じた。

 しかし、椎菜がもし、本当に紫在を救ってくれる人間であったとしたなら。

 ディリージアにそんな風にも思わせる力強さも、椎菜からは感じられて。


「確かめて……、紫在と友達になれそうもないと判断した時は、どうする?」


 椎菜は目を逸らさずに、答えた。

 椎菜の中の何かが、椎菜の決意を後押ししているのを、ディリージアは知らない。

 椎菜が真相を知って途方に暮れた時、まず頭に浮かんできたのは、椎菜がかつて愛した祖母との思い出であった。


「紫在さんに教えてあげる。自分がいけないことをしているって。紫在さんなら、皆が信じている紫在さんなら、分かってくれるって、信じてる」


 それは、随分乱暴な解答であるようにも聞こえた。

 しかし、椎菜は本気だった。

 幼い頃、自分がしてもらったことを紫在にもしてあげようというつもりであった。

 沈黙の末、ディリージアもついに、椎菜が本気であることを認めた。


「……。分かった。お前の勇気に感謝する」


「ありがとう。信じてくれて」


 柔らかく笑う椎菜には、見ているだけで優しくなれそうな魅力があった。

 ディリージアは、椎菜のその笑顔をじっと見つめて。

 見知らぬ誰かの夢の中へと落とされた目の前の女性に、ディリージアはかつて、夢の中で自分のことを友達と呼んでくれたホリーの面影を重ねていた。


「このこと、ホリーとライオン君にも話しておきたいの」


「それは……、全部話すってこと?君が現実から来たってことも」


「そう。それから、みんなでこれからのこと、決めよう?紫在さんに会いに行くのも、みんなで行くのは危ないかもしれないから」


「構わんが、せめて明日にしろ。今日はもう疲れた」


「ライオン君にはどうやって教えたらいいかな。彼には僕らの声が聞こえない訳だし」


「あ、そっか。じゃあ、ちょっと書くもの買ってくる。前に言ってたでしょ?筆談できたらいいなって」


 そう言って腰を上げ、椎菜は部屋を出て行った。

 取り残された二人には、なんとなく、胸が軽くなるような、清々しい気分があった。


「お前が期待するのが、少し分かったよ。見た目の割に気の強い奴だ」


「気が強いって訳じゃないさ。ただ、優しいんだ」


 ディリージアはやれやれと、溜息を一つ。スティープスが椎菜に随分入れ込んでいるものだと呆れて。


「スティープス。お前は紫在が俺たちをどう思ってると思う?」


「どうって?」


「……。俺は、紫在は俺たちのことを、何とも思ってないんだと思うよ」


 ディリージアの質問が、スティープスにも不安を一つもたらした。


「姫に、紫在に俺たちの姿が見えないってのは、そういうことなんだろう」


「……」


「それに、俺よりも、お前の方が紫在にとっては身近な存在だったんだろう。だから、俺達は同じようでも、俺は物に触れないし、お前には触れたりするんだ」


「そんなこと……」


「いいんだ。仕様のないことさ。俺は城の模型で、お前はクマのぬいぐるみ。そりゃあ、紫在にとっちゃ、お前の方が身近に思える」


 スティープスは、ディリージアが自分より遥かに物事に対して深く考えをこらしていることに驚いた。

 同時に、スティープスは己が情けないとも思った。

 ディリージアは様々な場面で、見習うべき一面をスティープスに垣間見せる。スティープスはディリージアの言う通り、自分はまだまだ子供なのだと思い直した。


「でも……。なんで紫在には見えなくて、椎菜やホリーには僕らが見えるんだろうね……」


 夢の外から来たという立場は同じなのに、どうして。

 どうして紫在には見えなくて、椎菜たちには見えるのか。


「多分…、俺の予想でしかないけどな。椎菜たちは、俺たちを友達だと思ってくれている。きっと、俺たちが何も言わない、何もできない人形だったとしても、そう思ってくれるだろう。ただ傍にいるだけでも、大切に思ってくれるだろう」


 けれど、椎菜たちと違って、紫在は。


「今の紫在は、昔とは違う。俺たちを物としか見ていない。いや、見れなくなってしまったんじゃないか。俺はそう思うんだ」


「そっか……」


 外から椎菜とライオンが話している声がした。

 椎菜が大声で、ライオンに何やら怒鳴っているように聞こえた。ホリーの笑う声も、聞こえてきた。


「紫在も……、あんな風に俺たちを見てくれるだろうか」


 諦めていたことが思い出されて、ディリージアは不意に口に出してしまった。

 内心、「しまった」と思い、ディリージアは居心地悪そうに佇む体勢を変える。


「……。大丈夫さ」


 スティープスは笑わなかった。代わりに、落ち着いた優しい口調で言った。


「あのホリーが紫在の捨てた優しさだって言うんなら、優しいのは、紫在も同じだ。優しい気持ちを思い出してくれたら、僕らとだって、紫在も友達になってくれるよ。絶対に」


「……、そうだな」


 スティープスとディリージアは、椎菜を紫在の下へ連れて行く覚悟を決めた。

 ずっと見守ってきた独りの少女に、彼女が捨ててしまった物がまだ残っていると、二人は信じて。

















「もし、もしもね」


「今日で、これで最後だったとしたら。あなたに、お願いがあるの」


「私は、きっとあの子に会えないと思うから」


「だからディリージア。私のお願い、聞いてくれる?」



「聞くよ。聞くさ。俺がお前の頼みを、断る訳がないじゃないか……」



「もしも私の妹が、こんな風に夢であなたと出会ったら。妹と仲良くしてあげて。世界中の人たちと仲良くなれるように、迷子になって、寂しくならないように、守ってあげて」



「ああ……。約束する」



「ディリージア。これからあなたにも、きっと友達が一杯できるよ。すぐに、寂しくなんてなくなるから」


「だから、お願い。もう……」







「もう……、泣かないで……?」

















11th tale End



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