第275話・こっちの世界は・・。
わたし達はとにかく由美のアパートに向かう事にした。
それにしてもわたし達がさっきまでいた世界とは大分様子が違う。
時代は同じでも雰囲気というか、とにかく完全に別の街にいるみたいだった。
「由美ちゃん!」(わたし)
「何か変よねぇ?」
「はい、確かに。」(由美)
「警察国家っていう感じじゃないですよね。」
「検問とかも一切ないし。」
「兵士の姿も見えないし。」
「それよ、それ!」(わたし)
「わたしが言いたかったのは、」
「そうなのよ。」
さっきいた場所と同じなら帝国中枢の親衛隊本部のビルや、官庁の建物が林立しているはずなのに。
古い総統官邸の建物は確かにある。
でも警備兵のような人達は全くいなかった。
道路を走る車のデザインや人々の服装はさっきの世界とあまり変わらない。
でも不思議とこちらの世界の人々の方がいきいきとしているように思える。
総統官邸のエリアから歩いて約1時間で由美のアパート前に到着した。
「え~っと、わたしの部屋番号は、」(由美)
「あった!、よかった!」
ちょっと自信がなかったのかもしれない。
わたしは彼女の後に続いて階段を上って3階の彼女の部屋に着いた。
「開きますように。」(由美)
“カチャッ”
「やったね!」(由美)
「開いた!」
彼女が喜ぶ意味はちゃんと分かっている。
そもそもここは別の世界なのだから。
中に入ると綺麗に整頓されたキッチンと寝室の2間の狭いアパートだった。
「なんだかわたし、ここに入った瞬間に・・。」(由美)
暫く黙り込む彼女。
10分程完全に固まったままの彼女。
すると、
「ごめんなさい。」(由美)
「今、この世界での状況というか、わたしの記憶というか、」
「一気にわたしの脳内に刷り込まれたっていうか、」
どうやらこっちの世界のこの部屋に入った瞬間に、この世界での彼女の記憶が上書きされたようだった。
やはりこの世界には由美は1人しかいなくて、巨大女が存在しない世界でのこれまでの由美の記憶が一気に脳内にダウンロードされたというのだ。
「こんなことってあるんだ。」(わたし)
「やっぱりわたし達って特別なんだよね?」
「そうみたいです。」(由美)
「でも消滅したはずの巨大女世界の記憶は残ったままみたいです。」
本来有り得ないはずの2つの世界の記憶の共有。
それにわたしがここに存在している事自体が有り得ない。
「わたし、いきなり消えたりしないわよねぇ?」(わたし)
不安になるわたし。
この部屋に入った瞬間に起こった記憶の上書き。
わたしだって何かのきっかけで消えてしまうのかも。
いきなり恐怖心でいっぱいになる。
「大丈夫ですよ。」(由美)
「今、ちゃんと説明しますから。」
「安心して下さい。」
由美が落ち着いた口調で話し始めた。
この世界はナチスドイツが戦争に勝利した世界である事は間違いないという。
でも、ヒトラー総統が1960年に逝去した後は、ドイツは急速に民主化していったというのだ。
この1960年以降の30年の間にナチズムはすっかり消え失せ、今はドイツ連邦という民主主義国家になっているとのこと。
西側諸国がアメリカやイギリス、フランスを中心とした国々で構成されているのはわたしの世界と変わらず。
アメリカに負けた日本はそのまま西側陣営で民主主義国家として平和な状態だそうだ。
「なんだ、わたしの世界と変わらないじゃん。」(わたし)
「で、あなたは?」
「わたしは巨大な律子さんが存在しないので、ドイツに留学することもなく、」(由美)
「どうして、この部屋の鍵を持っているのかというと、」
「就職した会社からドイツに出向を命じられたらしく、」
「Webデザイナーとしてこっちの会社の仕事を請け負っているみたいです。」
「今、どんな仕事を請け負っているかっていう事もちゃんと上書きされていますよ。」
「あらっ、凄いじゃない!」(わたし)
「なんかキャリアウーマンみたいでカッコいいかも。」
「でっ、律子さんなんですけど、」(由美)
「こっちの世界で知り合った日本からの旅行者って事になってます。」
「えっ、わたしが?」(わたし)
「旅行者?」
「ええ、たまたまベルリンのレストランで隣り合わせになって、」(由美)
「なんだか、会話が弾んじゃって、」
「意気投合して、・・みたいな。」
「そういう記憶ないですか?」
「ダウンロードされてません?」
「え~、マジで?」(わたし)
「こっちの世界でわたしナニやってるのよ?」
「日本でパート勤めみたいです。」(由美)
思わず苦笑いするしかなかった。
どっちの世界でもショボい人生を送っているわたし。
すると、いきなり頭がキーンとし始めた。
由美の説明を聞き終わった瞬間にである。
脳内に液体が充満するような変な感覚に支配され気持ちが悪い。
そんな状況が10分程継続したかと思ったら、いきなりふわっとしたような心地よい感覚になった。
そんな事を由美に説明すると大きくうなずく彼女。
「わたしと全く同じです。」(由美)
「それで、何か思い出しました?」
今まで全く知らなかった情報がいきなり刷り込まれたように沸き上がる。
実は日本での同僚の事や仕事の事は元の世界と殆どか変わらなかった。
その事を伝えると由美はそれほど意外そうな表情にはならなかった。
さてどうするわたし。
次回の更新は6月8日(0:00)になります。