第238話・あなたに話すべきなの?
「律子さん!」(律代)
「大丈夫ですか?」
「どうしたんです?」
彼女に抱き抱えられるようになってしまったわたし。
やっとのことで我に返って立ち上がる事ができた。
「あっ、ごめんごめん。」(わたし)
「ちょっと立ち眩みしちゃったみたい。」
「あんな不思議体験しちゃったからかも・・。」
「やっぱり律子さんもリアル体験的な?」(律代)
「本当に夢だったんですかね?」
「わたし、何か踏み潰した感覚とか・・。」
「マジで残ってるんですけど、」
「なんか、コワいかも。」
「調子に乗って大暴れしちゃったけど・・。」
そう言いながら彼女は何気に自分の履いているゴム長靴をまじまじと見つめている。
「あっ、やっぱり!」(律代)
「これ、マジでヤバいかも・・。」
「ほらァ、これって。」
彼女が指差したのはゴム長靴のふくらはぎの辺りの筒の部分だった。
「この汚れ、」(律代)
「これ、違いますよね?」
「えっ、汚れって?」(わたし)
「なになに?」
「あなたのゴム長、元々すっごく汚れてたじゃん!」
「油汚れとかベットリ付着しちゃってさ、」
「気のせいじゃないの?」
「わたしのも汚れてるけどさ。」
「違うんですって、これ。」(律代)
「これ、油汚れとかじゃなくて、」
「燃えた跡ですってばァ。」
そういえば彼女が調子に乗ってナチスの戦車を踏み潰した時に爆発が起こってたっけ。
その炎で彼女のゴム長にうっすらと焦げ跡のような黒い汚れが付着していた。
「これ、絶対リアルな痕跡ですよ。」(律代)
「どうしよう、わたし・・。」
自分のしでかした事に怖くなって震え始めた彼女。
「ちょっと待って!」(わたし)
「落ち着きなさいってば。」
「こんな指先程の人間が本当にいる?」
「あんなちっちゃな町が本当にあると思ってる?」
わたしは彼女に本当の事を言う気にはとてもなれなかった。
普段の彼女はとても生真面目で優しい性格の女の子だから。
あの暴れっぷりは夢の中だからとか、そんな状況で垣間見えた彼女の隠れた本性かもしれないけど。
それでも、この動揺ぶりは尋常ではない。
とにかくなだめなければと、それしか頭にないわたし。
エリッシュの鏡の事はひとまず置いておいて。
この子をどうするか。
わたし達の世界に引っ張り込むか?
それとも鏡だけを何とか譲り受けて彼女には一切関わらせないようにした方が良いのか。
とても悩ましい状況だと思い始めていた。
“待てよ、でもさっきの経緯はなんだ?”
彼女が鏡を手に入れたいきさつが何とも不可解だ。
外国人の女の露天商?
なんだそれ?
もしかして、この子も一蓮托生な存在なんだろうか?
サブマスター?
そんな事を自問自答しながらわたしは律代を落ち着かせようとするので精一杯だった。
「とりあえず、お茶でも飲みに行かない?」(わたし)
「ジュースの方がいいかしら。」
「おごってあげるわよ。」
優しい口調で話しかけるわたしに少しづつ反応し始める彼女。
それでもまだすすけたゴム長の筒の部分を指でさすっている。
わたしの言葉にやっと立ち上がった彼女。
まだ考え込んだ表情は変わらないがゆっくりと歩き出した。
とりあえずこの場を離れた方が良いと思った。
バッグを持って少し足早に作業倉庫の出口までやってくると、ドアを閉めてロッカールームへと急ぐわたし達。
「早く行こう。」(わたし)
「靴、履き替えてファミレスにでも行こうよ。」
そう言いながらも、早くこのゴム長を脱がせたいわたし。
ロッカールームでしょんぼりしながらワクマスを脱いでパンプスに履き替える彼女。
わたしは彼女がゴム長の靴の裏側を覗き込まないかヒヤヒヤしていた。
でもよく思い起こせば、あちらの世界の人の遺体や戦車の破片などは途中で消滅してしまうんだったっけ。でも汚れだけはなぜかリアルに残ってしまうんだったわ。
でも彼女の中に残っているリアルな踏みごたえ感のような感覚は消えないのかもしれない。
こちらに戻ってくるとそれがやけにリアルに思い起こされるものだと言う事を思い出した。
何を言っても無駄かな、と思ったわたし。
「で、何だっけ?」(わたし)
「あんまり気にしない方がいいわよ。」
「どうせリアルじゃないんだから。」
「ホントにそうでしょうか?」(律代)
「リアルじゃないにしても、」
「わたし随分たくさんの人を踏み潰しちゃったんですよ。」
「あの時は無我夢中でしたけど・・。」
「なんだか、今になってすごく怖くなってきちゃってます。」
「どうしよう・・。」
「どうしようって、どうすることもできないでしょ。」(わたし)
「今、わたし達はリアルな世界にいるんだから。」
そう言いながら彼女の手を引いてファミレスに入って適当にデザートを注文するわたし。
「甘いものでも食べようよ。」(わたし)
「そうすれば、落ち着くわよ。」
「そういえば、律子さんて、」(律代)
「随分落ち着いてるんですね。」
「なんだか、あの世界に行き慣れてる、みたいな。」
「わたしに何か、隠してません?」
「あれって、夢じゃないんですよね?」
「だっておかしいですよやっぱり。」
「律子さん、最初から全然慌ててなかったし、」
「あそこで暴れたりもしなかったし。」
「絶対になんかありますよね?」
そう勘繰りながらわたしの顔をマジマジと見つめる彼女。
もう誤魔化せないか、と思った。
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