第226話・どこでトリップしようか?
夜の公園でホームレスの男を痛め付けたわたし。
相手が無抵抗に近い状態だったから、つい調子に乗ってかなりやり過ぎちゃった。
でもあの男の「女のくせに」という言葉が無性にわたしを暴力へと搔き立てた。
でも、今さらコワくなり始めていた。
最近はたちの悪いイタズラでも警察が防犯カメラなんかを解析して犯人を特定するらしい。
ジーパンにブーツイン姿のアラサー女なんてちょっと特徴があるからヤバいかも。
わたしは少しびくびくしながら数日間は必死になってローカルニュースなんかを検索しまくっていた。
でもあの公園でのホームレスへの暴行事件なんていうニュースは全く出てこなかった。
それに近所の人達のウワサ話すらも無かったみたいでわたしは内心ホッとしていた。
“絡んできたのは向こうだけど、ツバくらいで止めとけばよかった。”
見たところ65歳位の初老の男だった。
痩せていて、背が低くて頬がこけていて、余程空腹だったのかもしれない。
ただでさえ自分の生活だけでカツカツなのに、あんな輩に恵んでやるお金なんて1円も無い。
あのまま無視して立ち去ればよかった。
そんな風に自己嫌悪に陥りながら一週間が過ぎた。
昨日は近所のスーパーでこの間公園で会った女性を見かけた。
「こんにちは!」(わたし)
「この間公園で会いましたよね?」
わたしは何の気なしに声を掛けてみた。
「あらっ!この間はどうも!」(女性)
「今日はワンちゃんはお留守番なんですか?」(わたし)
「そうなんです、でも散歩は欠かさずですよ。」(女性)
「そういえば、あの公園のホームレス、」(わたし)
「まだ居座ってるんですかね?」
「ええ、まだいるみたいです。」(女性)
「時々消えるんですけど、昨日はいましたよ。」
「ちょっと気持ち悪い感じですよね。」(わたし)
「確かに、汚い格好だし。」(女性)
「それに昨日見た時は、手を怪我したのか布を巻いてました。」
「それに、顔がひどく腫れていて・・。」
「誰かに殴られたみたいでした。」
「物騒ですよね。」(わたし)
「なんか、コワいな。」
わたしの仕業だなんて、とても言えなかった。
でも警察沙汰になることもなくてとりあえずは良かった。
あの公園が使えないからどうしたものかと思案する。
いっそのことわたしの部屋からトリップしようかと思った。
その日の夜、わたしは普段の格好のまま手鏡を取り出した。
そして呪文を唱える。
うっすらとグリーンの光がさし始めるのと同時に部屋の壁やタンスが揺れ始めた。
“カタカタカタカタッ!”
“ゴトゴトゴトゴトッ!”
玄関でジーパンにブーツイン姿で立っていたわたしだったが、だんだん不安になってきた。
“このままあの扉が出現したらこの部屋、壊れちゃうんじゃないか?”“
“マジでヤバいかも!”
不安感が最高潮に達したわたしは思わず「ストップ!」と叫んで手鏡をパチンと閉じた。
こんな事をするのは初体験だったが、緑色の薄明りが差し込んできた部屋が一瞬で真っ暗になった。
呪文を唱えても途中で止める事って出来るんだと思った。
そう言えば今までトリップした場所は屋内でも地下駐車場とか大きな建物の中とか、比較的スペースのある場所だった。
わたしのアパートの部屋はさすがに狭すぎたのかもしれない。
さて、どうしたものか。
意外とひと気の無い場所って難しい。
街中ならいつ何時人が現れるかもしれない。
“そうだ、やっぱり職場にしよう。”
自分の職場なら人の動きはある程度把握できるし、ひと気の無い場所もありそうだ。
あれこれ考えて仕事が終わった後を狙って、倉庫でトリップしようと心に決めた。
あの誰も行きたがらない作業倉庫がいい。
それに17時過ぎてみんなが帰った後なら、絶対に安全だ。
ウチの会社は大半の従業員がパートだから定時になるとみんな一斉に帰宅する。
社員達は別棟のビルで仕事をしているが、一番離れた所にある作業倉庫には絶対に誰も来ない。
“よし、今夜仕事の後でトリップしてさっさと済ませよう。”
でないとそろそろ先生から催促のメールが来そうだった。
17時のベルが鳴るとみんな一斉に帰り支度を始めた。
「お疲れ様でした!」(律代)
新人の律代ちゃんがわたしに挨拶して帰ろうとしていた。
「お疲れ様!」(わたし)
「また、明日ね。」
「それじゃあ。」
「は~い!」(律代)
元気いっぱいで小走りに出ていく彼女。
そんな彼女を見送ったわたしは一旦長靴からブーツに履き替えて帰り支度をする。
一時期休職中だったわたしには仲良しの友達もあまりいないし、それがかえって好都合だった。
閑散としたロッカールームで1人残って準備をするわたし。
作業倉庫に行くのにこの格好だとちょっと、と思った。
誰も来ないはずなのに、もし誰かと鉢合わせになったら言い訳できる格好の方がよい。
そんな風に変な心配をし始めるわたし。
わたしはブーツからゴム長靴に履き替えてゴム手袋をポケットに入れたまま倉庫に向かう。
案の定誰もいない。
薄暗がりの中で倉庫の前にやって来た。
ここは扉に鍵も掛かっていないのだ。
中に入ると油の臭いがしてきた。
それにホコリっぽい空気で充満している。
やっぱりこの貰ったワークマスターで来てよかったと思った。
自分のブーツだと絶対に汚れてしまう。
そして、おもむろに手鏡を取り出すと倉庫の一番奥の広めのスペースで呪文を唱えるわたし。
いつものグリーンの閃光が走り、扉が出現し始めた。
その時である。
「キレイな光!」(女の声)
聞き覚えのある黄色い声がした。
わたしは一瞬で凍り付き、振り返る事さえできなかった。
声の主はあの新人の律代だった。
次回の更新は6月30日(0:00)になります。