ナノマシンについて(上級編) その三
・ナノマシンは自己分裂するか?
ナノマシンの危険性を考えるときに出される論の一つとして「グレイ・グー」というものがあります。もしナノマシンが自己複製する機能を持っていたとして、これが人間の制御を離れてしまったとしたら、自己複製するナノマシンは際限なく増え続け、やがて地球はナノマシンの塊に覆われてしまうだろうという論です。
まあしかし、一種類の機械であるナノマシンが地球を覆うというのは度台無理な話です。地球全体を覆うほどに増えるために、覆う地域に存在するほとんど全ての元素を利用しなければなりませんし、また天敵となる他の微生物が現れたりしたらひとたまりもありません。ナノマシンの世界征服は、どうやら儚い夢のようです。
そもそも、分子機械であるナノマシンが自己分裂するというのは、結構難しい話なのです。ICである「無機分子型ナノマシン」はいわずもがな、有機分子のナノマシンでさえも人間の生命活動に依存したほうが効率はよさそうです。
ナノマシンが自己分裂するためには、当然ながら自分で自分の複製を作る機能がなければなりません。ここで、ウイルスと同じように人間の細胞に入り込むものの、自己分裂をすることができる細菌を習ってみたいと思います。
ご存じの方も多いと思いますが、私たちが「風邪」と呼んでいるものの症状の多くは細菌本体の影響ではなく、免疫によるものです。高熱が出るのは熱で菌を死滅させるためですし、咳が出たり吐いたりするのは菌を体から追い出すためです。
純粋に菌類が原因となる症状としては、細胞を破壊されたり、タンパク質製造のシステムに介入されたり、肺炎になったりするものです。これらの症状が一般的な風邪で見られないのは、菌類が本格的に人体を侵略するまえに、免疫によって撃退しているからだそうです。(HIVがやばいのは、症状が進行すると菌類を撃退できなくなってしまうからです)
菌類自体の症状の原因には、大きく分けて二つの種類があります。一つは菌自体が人間の器官に作用し、悪影響を与えるもの。もう一つは、菌が製造した化学物質が人体に悪影響を与えるものです。
自己分裂するナノマシンでは、ウイルスの機構を利用するものと同じように、菌が人間に害する機構を利用することになりそうです。
医療で利用するのならば、内分泌系に作用する化学物質を作り出すようにしたり、患部にナノマシンを送り込んで抗生物質を生成させたりできそうです。それだけでなく、細菌同士も化学物質によって相互通信できるので、ウイルスを模倣した分子機械と同じように活動することは可能でしょう。
つまり、自己分裂するナノマシンも、(理論的には)十分に可能というわけです。
ウイルスを模倣したナノマシンと、細菌を模倣したナノマシンの違いは、分裂や化学物質の生成を自分でやるか、人間の機能を利用するかです。ここで、それぞれ長所と短所が存在します。
ウイルスを模倣したタイプのナノマシンは、制御が比較的簡単です。働きかけるのはナノマシンですが、実際に化学物質を作るのは人間本体なので、過剰に化学物質を作ることはあまりありません。もしここで異常が発生した場合、異常のある場所が特定しやすいため、ちょっとした投薬で調整することが可能でしょう。その代わり、人体の機能が低下している場合にはその機能も低下してしまいます。
一方、細菌を模倣したタイプのナノマシンは、化学物質を作るのも分裂するのも自分たちだけでやるため、人体の機能が低下してもある程度は普通に活動することができます。しかし、このタイプのナノマシンが異常を起こすと、ちょっと厄介です。異常を起こしたナノマシンは抗生物質などで殺処分しなければなりませんが、ウイルスを模倣したものなら内分泌系など、人間のほうに投薬すればその活動を抑えることができます(もっとも、現在の技術では人間の細胞分裂を止めることはリスクなしには難しいので、未来の医療に期待したいところです)。しかし、細菌を模倣したものは自己分裂するなかで抗生物質を与えなければならないため、異常を起こした個体を逃しやすいです。そのため、制御のしやすさはウイルスを模倣したものよりも劣るでしょう。