苦手 ①
動物が苦手な裕が、兎に懐かれている。
それは一目、見て分かる事で…けれど何がどうして、こうなったのかまでは分からない事だった。
「おっ落ち着いて!すぐ捕まえるから」
慌てながらも桃花が良いように対処している。
裕は焦って、どんどん部屋の角へと後ずさりしていた。
「すぐってどれくらい?!」
「ええっ?!っと…すぐは、すぐ!」
何この裕と桃花のやり取り。
それにしても、どうやって入って来たんだろう…あの兎。
逃げ惑う兎に手こずっているのか桃花は、なかなか捕まえられない。
「えっ何?なんで、こんな事に?どうやって、あの兎は入ってきたの」
図書室から戻って来た瑞希が、この状況を見て私と同じ疑問を述べた。
そんな瑞希に近づき、並んで桃花と裕を見る。
「それが私にも、よく分からないんだよ。購買部から戻ってきたら、この有り様で…」
瑞希と二人で途方に暮れながら桃花達見守っていると、話を聞きつけたらしい澪と龍まで来てくれた。
早速、澪が青ざめている裕に駆け寄る。
「大丈夫か、裕」
「全然大丈夫じゃ……ない……!」
「だろうな」
「話してないで澪も、どうにかしてよ!」
呑気に話をしている澪に痺れを切らした桃花が、必死に言った。
裕が本当に困っているのだから、そうなるのは当然だろう。
で、それを冷静に見ている私って、なんだろな。
瑞希に至っては幼馴染がピンチなのに、始めに驚いただけで、後は腕組んで見てるだけ。
「なあ、兎って可愛いよな」
隣でなんか龍がポツリと言った。
正気だろうか、こいつは。
「何?飼う?龍、この兎を飼うつもりなの?まさか寮で?」
「そのまさかだ、ダメかよ」
「ダメだよ、むしろ何で良いの!?」
龍には前に動物を自分の部屋に連れ込んだという前科がある。
一人部屋ならまだしも、動物が苦手な裕と相部屋なのにだ。
全く油断ならない人だ。
そりゃあ兎が可愛くて飼いたくなっちゃうのは分からなくもない。
「裕と相部屋なんだよ?兎一匹でこの有り様なのに飼う気?」
「そうともさ!」
「そうともさ!じゃないよ!それじゃあ、何の解決もしてないよ!」
「それに、誰かが飼ってたかもしれないしね…」
悠然と兎の下まで歩いた瑞希が易々と兎を抱き上げた。
今まで、手こずっていた桃花は簡単にやられて顔を引き攣らせている。
そして、兎を抱き上げた瑞希は私の所まで来て兎を押し付けて来た。
見ると、兎の首にネームプレート付きの首輪が付けられている。
「住所は、その首輪に書いてあったから。後は返すの、よろしく」
「自分で行かないの!?」
「そろそろ授業始まるし、効率の悪い事はしない主義だから」
ちょっとカッコイイ台詞を残して、瑞希が自分の席に座った。
昼休みが終わるまで、まだ少し時間があるのでネームプレートに書かれた住所を確かめる。
それから瞬間移動して兎を届けた。
「結構近かったから、それもあって入って来ちゃったんだね」
教室に戻り、自分の席に座りながら私は瑞希に言った。
「ここに入るために長旅までする動物なんて、いないと思うけど」
「いやー分からないよ?もしかしたら、いるかも」
「どうだか…」
いつも通りのクールさで何だか、いると言っている自分がバカみたいに思えてくる。
「何?人の顔、じろじろ見て」
「ううん、なんでもない。そろそろ美雪先生来るんじゃない?」
「松宮が喜びそうなことだ」
「たまに龍が否定したり誤魔化す時、あるけど。ちょっとしたツンデレになるんだよね。この間だって…」
私が龍と歩いていると偶然、美雪先生と会った。
しかし、美雪先生は私とばかり話して龍には別れの挨拶だけして行ってしまった事があった。
強がりなのか何なのか、その時に龍が言った言葉がある。
『べっ別に気にしてなんか!勘違い、すんなよ!傷ついてなんかないんだからな!』
典型的なツンデレの台詞に、ちょっとした本当にちょっとしたアレンジを加えながら言っていた。
そこに瑞希がいたら、ツンデレツンデレと面白がっていただろうが…。
あまりに必死な、その姿に私は苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。
「誤魔化し切れてると思ってるのかな?」
話を聞いていたらしい桃花が私達の会話に参加した。
「あ…桃花」
「そんなにショックだったのかなー?」
フフフフフと不気味に笑いながら、桃花は教科書をパラパラと、めくり始めた。
「どうしよう、桃花が怖い」
仮にもマドンナである桃花が、そんな不気味な笑い方をするのは如何なものだろうか。
「…澪って苦手な物あるのかな?」
不意に教科書をめくっていた手を止めて、桃花が聞いてきた。
「さあ?分からないけど、あるんじゃない?」
「だとしたら、何かな?」
「何って……あれ?」
改めて考えてみると、苦手な物があったとしても、それが何なのかは想像がつかない。
「裕は動物でしょ?龍は…ある意味、美雪先生に弱いし…桃花も龍と同じ意味で龍に弱いし…」
「由梨は勉強でしょ?」
「うん、確かにそうだけど。桃花は言い方が直球だ」
「瑞希は……瑞希も苦手な物が見えないなー」
チラッと横にいる瑞希の様子を窺ってみても、ピクリとも動かない。
…無反応か…。
「私、ちょーっと二人の苦手な物に興味あるなー」
桃花に聞いているように見せて、本命は瑞希に聞かせる事だ。
もし、これを聞いて苦手な物を隠そうとすれば、いつかボロが出るかもしれない。
「じゃあ、授業終わったら三人で聞きに行こうよ」
「三人?」
今まで黙っていた瑞希が言った。
話を聞いていたかは分からないけど…。
「私も行くの?」
「うん、だって"どうせ"本を読んでるんでしょ?だったら行こうよ」
これまた無意識なのか意図的なのか、桃花がグサリと来る一言を発した。
「まあ…そうだけど」
「よしっ!決まりね」
少々強引に、決定した桃花は機嫌よく鼻歌なんかを歌っていた。
それから少しして美雪先生が入ってきて授業が始められた。
「れーい君!」
にっこりスマイルで桃花は澪の行く手を阻んだ。
澪が桃花のスマイルにやられちゃったら、どうする…。
一瞬だけ驚いた表情を浮かべ、澪は次に眉をひそめて、しかめ面をする。
「なんだ?」
「ちょっと聞きたい事があって…いいかな?」
「良くない」
「えー?なんで?」
「こっちにだって都合があるんだ」
そうキッパリを言い放って、澪は桃花を押し退けて足早に行ってしまった。
澪が曲がり角を曲がったのを確認して、私は桃花を見た。
「どうするの?行っちゃったけど」
「まさか本題の質問まで辿り着けないとは思わなかった…。仕方ない、次は最初っから質問する!」
「うん!なら、澪を早く追いかけないとね」
私と桃花は駆け足で、瑞希は溜め息を何回か吐きながら追いかけた。
後ろから澪の肩を叩くと、驚いた顔をされた。
「何なんだ、一体?」
「澪の苦手な物って何?!」
発言通り、桃花は最初から質問をした。
面食らった様子の澪に桃花が詰め寄る。
何か、桃花の中の変なスイッチが入ってしまったのだろうか。
「苦手な物…って何で急に?」
「良いから言って!」
「言うか!」
「なっ…」
桃花が、たじろいだ隙に澪が全力疾走で廊下を走り抜けた。
「しまった!由梨、追って!」
「もちろん!」
「瑞希と私は二手に別れて澪を追い詰める」
「はぁ…はいはい」
完全に瑞希は、やる気が無くなっている。
あっ、始めからやる気なんて無かったか。
桃花と瑞希が二手に別れて行くのを確認する。
そして、澪の行き先と走る速度を予想して、私は瞬間移動を使った。
「見ーつけた」
「無駄な事に能力、使うなよ…」
私の予想通りだったようで、ちょうど真ん前に移動する事が出来た。
あと、澪が座って休憩していてくれたお陰かな。
「さあさあ、白状してもらおうか」
「悪人みたいだぞ、人の弱みを握ろうとして」
「…言い方が…。そんな言い方しちゃったら断然悪い事になっちゃうでしょ」
「悪い事だ」
「くっ…」
自分自身、心の隅の方で思っていた事でもあるから断言されてしまうと何も言えない。
「ごめん…」
「全くだ、もう止めろよ」
そう言って立ち上がり、私の頭にポンッと手を乗せてから去っていった。
キュンッ
ときめきの音がした瞬間。
なんてね。
苦手…end。