たぶん2017年の秋
私の日常は変わらなくなった。
空って確か青だっけ?
─もう何も考えたくない。
風もたしか気持ちいいものだっけ?
─もう何もしたくない。
ここからはみんなのいる学校が見える。たぶん。
─わたしにはもうなにもわからない。
その中にわたしはいない。自分で自分の居場所を消した。
─冷静に考えて消えるべき。
私がわたしを信じられなくなったから?
─論理的に考えて死ぬべき。
わが県の中央部には渓谷にかかるきれいな橋があるらしい。
─死ぬなら苦しまないほうがいい。
今年の紅葉は格別だという。
でも、それでももう一度きれいな景色を見てみたくて。
それならきっと、
─飛び降り自殺がいい。
そうと決まればあとは計画を立て、実行に移すだけ。
家にいる権利と引き換えに課せられた労働である犬の散歩を終え、人間として文化的な最低限度の生活ルーティーンをこなし床について時間をつぶす。でも今日だけは2chじゃなくて調べ物で。
ここから件の雪刻橋までは距離にして約80㎞らしい。自家用車で一時間半ってとこだけど、あいにく普通車免許を持てる歳じゃない。そうなると公共交通機関を使う必要がある。まあ雪割橋は観光地だから路線バスも止まるみたいだし問題はなさそう。お金も一万円は手元にあるし、充分だろう。明日にでも決行しよう。ここから公共交通機関の範囲内まで歩かなきゃいけない事が面倒ではあるけど、最後の旅路ぐらいはゆっくり行くことにする。
聞こえない。生きていればいいことがあるなんて声は。いいことなんかもういらない。
聞きたくない。死んだら悲しむ人がいるって?俺が生きているほうが悲しむよ。
それでいい。自殺をする奴はクズで逃げ癖があって弱くてこれからの困難に耐えられなくて─。私もそう思う。
意見が一致したところでふと気づく。塗りなおされた橋脚と燃える紅葉の織りなすコントラスト。あの雪刻橋の上に私は立っていた。
─ここまで来たのならあとは飛び降りるだけ。私は欄干から身を乗り出す。谷底にまで私の視界が通る。自殺防止用ネットがあると聞いていたけれど見当たらない。これならば何の問題もなく。死ぬだけ。
けれどもう少しだけ眺めているつもりだった。風は強くないし足も滑らせてはいない。ただ、私の体が私を宙に放り出していた。私の意思に反するほど、死にたかった、だろう、か。見物人は誰もいない。私だけが谷底の礫原へ吸い込まれていく。視界が速度に負けて狭まる。この橋は谷底から測って高さ50mほどらしいけど、もうない。走馬灯ってやつは見れなかった。最後の景色は──ただの、白い、石。
そうしてすべてが終わる。死後の世界なんてない。なにもない。本当の最後の景色は黒。ただの黒。奥行きがある闇ではない。ただの、瞼を閉じたときの黒。それが永遠に続く。それだけ。
気がつくと私は泣いていた。朝まで泣いた。死ねなかったから、死ななかったから、死んだから、泣いた。
結局、虎の子の一万円は新作ゲームに使った。死ぬことすらできなかった自分には怠惰な使い道こそ相応しい、そうだよね?でも私の両親はそれを許さなかった。また家族としての義務を果たす日々を過ごしていると、20歳までに何もしないなら家を出ていけと、両親から突然言われた。とりあえずの足掛かりとして高卒認定試験を受けたらどうだ、とも。
高卒認定ってのは合格した者を高等学校を卒業した者と同等以上の学力があると認める資格。もちろんそう認められただけじゃあ何の意味もないから、私のような身分の人間でも進学や就職の権利を得るための資格ってとこ。言っておくと、私はここに至るまでに中学生の時点で不登校になり高校を二度辞めた男だ。今更そんな資格を得たところで何の意味がある?それにさっきも言ったように、高卒認定資格をとれという言葉は就職か進学をしろという意味を持つ。私には無理だ。何もできない。無能な私を産んだのだから死ぬまで面倒を見てくれよ。それが親の義務だろう?
─でも、だとしても、本当に死ぬまでの、退屈しのぎにはなる、かなあ。




