藍色の空 ~第6章~
雪が降り積もる冬の街。
藍が見せた大人びた表情の裏に、誰も知らない現実が隠されていた。
空汰はただ、何もできないまま、胸の奥を締めつけられるような痛みを感じる――。
あの夜から、藍は学校に来なくなった。
教室の空いた席は、まるで時間が止まったみたいに静かだった。
誰も触れようとしない沈黙の中で、空汰だけが、机の上に視線を落としていた。
“俺が何とかする”
――そう言ったのは自分だ。
けれど現実は、どうしようもなく重く、冷たかった。
スマホの画面を見つめても、藍からの返信はない。
送信済みのメッセージの青い吹き出しが、ただの文字の塊に見えてくる。
彼女がどこで、どんな顔をしているのか、何もわからなかった。
けれど、それでも。
「信じたい」と思った。
どんな形でもいい、藍がまだ“藍”でいてくれることを。
⸻
夜の街を歩く足取りが、自然と早くなっていた。
塾の帰り、ふと目に入った“Luna”の看板。
その柔らかなピンクの光に、空汰の心臓が小さく跳ねた。
中から笑い声が漏れる。
――その笑い声が、なぜか痛かった。
扉の隙間から、藍の姿が見えた。
作り笑顔。
白いワンピース。
いつもより少し大人びた仕草。
だけど、空汰にはわかった。
その笑顔の奥に、どれほどの疲れが隠れているかを。
“あの藍は、本当の藍じゃない。”
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
気づけば、足が勝手に動いていた。
⸻
外に出てきた藍と目が合う。
驚いたように目を見開き、彼女は小さく息を呑んだ。
「……空汰くん、なんでここに」
「心配だったから」
その言葉を口にしたとき、自分でも驚いた。
まるで、誰かに突き動かされるように自然に出てきた。
「心配……してくれたの?」
「当たり前だろ」
空汰は息を吸い込んだ。
「無理してる顔、見たくなかったんだ。あの夜から、ずっと気になってた。藍が笑ってても、どこか遠くにいる気がして」
藍は俯き、唇をかすかに噛んだ。
「……見られたくなかったの。こんな私」
「そんなことない」
空汰の声は、震えていなかった。
「俺、藍のことちゃんと見てる。どんな姿でも、ちゃんと見てる」
自分が何を言っているのか、よくわからなかった。
けれど、その瞬間だけは嘘をつけなかった。
藍を守りたい。
この場所から、あの光の中から、連れ出したい。
それがただの“子どもの正義感”でも――本気だった。
藍はしばらく黙っていたが、やがて微笑んだ。
「……ありがと。でもね、もう少しだけ頑張りたいの。自分で」
「頑張ること、やめてもいいんだよ」
「……ううん。私、自分の足で立ちたい」
空汰は何も言えなかった。
だけど、その言葉を否定する気にもなれなかった。
藍の中に、確かな“意志”が見えたから。
⸻
その帰り道。
冷たい風が頬を切るように通り抜けた。
けれど、心の中は少しだけ温かかった。
空汰は手のひらをぎゅっと握りしめる。
「俺、絶対に負けない」
小さく呟いたその言葉は、誰に聞かせるでもない。
それでも、自分への誓いのように響いた。
藍を助けるなんて、簡単に言えることじゃない。
それでも――守りたいと思った。
彼女が笑っていられるように、自分がその“理由”になりたいと思った。
雪が静かに降り始めた。
街灯の光がぼんやりと反射し、白い粒が空に舞う。
その光景の向こうに、藍の笑顔を思い浮かべる。
もう一度、あの笑顔を見られる日まで――。
空汰は歩き出した。
凍てつく夜の中を、まっすぐに。
空汰の心に芽生えた想いは、まだ幼く、不器用なまま。
けれどその優しさが、藍の孤独に小さな灯をともしていく。
それは、ふたりの運命を静かに動かしはじめる冬の夜だった。




