表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天環ノ誓  作者: 環崎 漣
第一章 星ノ誓
2/4

灯ノ少女

 ○早朝・星ノ里


 朝霧の中、鐘の音が響く。

 星ノ里の一日は、祈りと共に始まる。

 璉夜は、村の外れの畑で鍬を振るっていた。

 手にした剣を畑の道具に持ち替えたのは、人生で初めてのことだった。

 傍では、リナが桶を抱えながら笑っている。

「ねぇ、璉夜、畑仕事似合うじゃん!」

「……剣を振るよりは、疲れないな」

「ふふ、顔は怖いけど優しいんだね」

 その無邪気な言葉に、璉夜は言葉を返せずに視線を逸らす。

 黒戌くろこが足元で眠たげに伸びをした。

『璉夜よ、悪くない日々だな』

「……そうだな。悪くはない」

 穏やかな風が吹き、花の匂いが過ぎる。

 いつの間にか心の中の“迷い“が少しずつ薄れていることに気づいた。


 ⸻


 ○夜・トワ爺の灯屋


 囲炉裏の炎が壁にゆらゆらと影を映す。

 トワ爺が星図を広げながら、呟くように言った。

「星は巡る。生きとし生けるものもまた、星の巡りの中にある。消えた星も、いつか形を変えて光を取り戻す……璉夜も、そう思うじゃろう?」

 璉夜は黙って茶を啜る。

 火の粉が舞い上がり、天井に小さな星のように光を描いた。

『……璉夜よ、それでも闇はお前の中に生きている』

「わかってる。だが、今はそれでもいい」

 リナは障子の陰から覗き込み、笑って言う。

「ねぇ璉夜!明日、星ノ丘に行こうよ!」

「……星ノ丘か、よかろう」

「やったぁ!くろこも一緒に行こうね!」

 リナの透き通った笑い声が灯屋内に響いた。


 ⸻


 ○翌朝・灯屋の前


 夜明けの光が、霧を淡く染めていた。

 灯屋の屋根が白く霞み、鳥の声が遠くで震えている。

「ほら、璉夜!今日は星ノ丘、行くって言ったでしょ!」

 リナが勢いよく戸を開ける。

 まだ眠気の残る瞳とは裏腹に、声は朝の風よりも元気だった。

 璉夜は腰の刀に手を添え、わずかに息を吐く。

「……そんなに急がなくても丘は逃げん」

「逃げちゃうかもしれないよ?怖い顔の人から!」

 悪戯っぽく笑うリナに、黒戌が尻尾を揺らした。

『願いとは、追うものより、追われる方が厄介だな』

「難しいねぇ、くろこ」

 リナは笑い、先に石畳を駆け出した。

 璉夜は小さく首を振り、後を追う。

 その足取りは、六年の旅路とは違う。

 気づかぬうちに、肩の力がわずかに抜けていた。


 ⸻


 ○早朝・道中

 里の外れにある古い階段は、朝露で濡れ光っていた。

 踏むたびに靴底が、星の欠片を散らすようにきらりと光る。

「ここから先は静かなんだよ。みんな夜に来るから」

「あえて朝に行くのが、リナのやり方か」

「だってね——夜だと、星が綺麗すぎて泣いちゃうの」

 リナは笑いながら言うが、その言葉にはどこか真実めいた響きがあった。

『星は涙を吸う。そうして人はまた、次の願いを生む』

「くろこの言葉は難しいから嫌い」

『嫌われるとは光栄だ』

 黒戌くろこは鼻を鳴らす。

 二人の笑い声を璉夜は無言のまま、そのやり取りに耳を傾けていた。


 ⸻


 ○星ノ丘・頂


 丘に辿り着いた瞬間、風の色が変わった。

 花々が揺れ、白い花弁がふわりと舞い上がる。

 地面に散るそのひとひらは、朝陽を浴びて淡く光り、

 まるで星が落ちてきたかのようだった。

「ここが星ノ丘!」

 リナは息が弾むまま、両手を広げて駆け回る。

「綺麗でしょ?夜になるともっと光るんだよ。

 星が地面に降りてきたみたいに!」

 少女の声は、丘に溶けていった。

 それは、この場所が子供たちにとって特別である証のようだった。

 璉夜は風に靡く花を見つめる。

 踏み締める土は柔らかく、どこか温かい。

 六年間、忘れていた感覚——

 “彼女が祈った場所”に似た匂いがした。

『……悪くない場所だな』

 黒戌くろこが欠伸をし、花の匂いを鼻先で吸い込む。

「そうでしょ?ここね、あたしのお母さんが好きだった場所なんだ」

 リナの声色が少しだけ変わる。

 笑っているのに、瞳の奥だけが寂しげだった。

「お母さんね、星を見ると泣いてたの。

 “願いは届くのに、届かない”って言ってた」

「……届くのに、届かないか」

「うん。でもね——」

 リナは丘の端、森の方角へ視線を向けた。

「あっちの森に、願いを追いかけて行く人がいたんだって。

 戻ってきた人はいないけど……あたし、いつか行ってみたいなって思ってた」

 森は薄暗く、風さえ届かず、ただ影を孕んでいた。

 丘の明るさとは対照的に、まるで別の世界の境界線のようだった。

「……不気味なところだな」

 璉夜の声は低く、無意識に荒さを帯びていた。

 リナは瞬きをし、ふっと微笑む。

「璉夜、怖いの?」

「どうだろうな……ただ、嫌な気配がする」

『闇とは違うな、これは“空いた場所”だな。

 何かが足りぬまま、取り残された気配』

 黒戌くろこの言葉に、リナは少しだけ首を傾げる。

「でもね、星ノ丘は願いを置く場所なんだって。

 森は、その願いの行き先なんだよ」

 その言葉は、丘に刻まれた石碑の文字と重なる。

 《丘は願いを拾い、森は願いを問う》

 璉夜の胸が、ひとつ脈打った。

 心臓が、忘れた痛みを思い出すように。

「……リナは、願いがあるのか」

 問いかけると、リナは空を見上げた。

 暗朝の空に、消えそうに薄い星がひとつ残っている。

「あるよ。“誰も迷わない世界になればいいな”って」

 璉夜は言葉を失った。

 闇に迷い続けた者が聞けば、

 あまりにも無謀で、あまりにも眩しい願いだった。

『迷わぬ者などおらぬ。迷えるから、生は続く』

「でも、その迷いが優しいならいいよね?」

 リナは笑い、花の上に座り込む。

「だから、あたしは“灯り“になりたいの」

 真っ暗な夜道で、誰かの迷いが泣かないように」

 その言葉は、闇の底から這い上がってきた璉夜にとって——

 あまりにも残酷で、あまりにも救われる響きだった。

 風が吹き、花が揺れ、丘が静かに息づく。

 


○夕刻・星ノ里へ戻る道

 丘を後にすると、空の色はゆっくりと紫へと移り変わっていった。

 風は冷たく、昼に揺れていた花の匂いは、もう里の空気へと溶けていく。

 リナは花を一輪抱え、跳ねるように歩いていた。

 対照的に、璉夜の足取りは静かだった。

 森の影が、心のどこかを掴んで離さない。

『気にしておるな、あの森のことを』

「……否定はせん。何かが眠っている。あれはただの森ではない」

『闇ではない。からの匂いだ。埋まらぬ何かがある』

 黒戌くろこの言葉が、胸の奥に沈んでいく。



○夜・灯屋


 囲炉裏の火が、昼よりも赤々と揺れていた。

 トワ爺は湯飲みを手に、星図の上を指でなぞっている。

「戻ったか。星ノ丘はどうじゃった?」

「悪くはない。……ただ、丘の先に森があった。

 リナは願いが向かう森だと言っていた」

 トワ爺はふっと笑みを浮かべる。

「ほほ、それはおとぎ話よ。

 星ノ里には昔から言い伝えが多くてな。

 願いが丘に残り、森へ流れ込む。子どもは好きじゃろう?」

「真実ではないと?」

「真実など、誰が決めるものでもないさ。

 信じる者がいれば、物語は息をする」

 笑いながら言うトワ爺の声には、怖さも重みもなく、ただ柔らかさだけがあった。

 璉夜はそれ以上追及せず、黙って湯飲みを受け取る。

 ふと、トワ爺が思い出したように指を鳴らした。

「そうじゃ、璉夜。ひとつ頼みがあるんじゃ」

「頼み?」

「あの森の奥に星返草ほしかえりぐさという薬草がある。

 この里の者では、深くまで入ることができん。

 道を誤りやすく、迷う者も多いゆえな」

「……俺に行けと言うのか」

「うむ。お主の足なら森も拒むまい。

 剣を携えた旅人ほど、帰る道を間違えぬものじゃ

 それにあの森が気になるんじゃろ?」

 黒戌くろこが鼻を鳴らす。

『理屈めいておるが、悪い話ではない』

「明日の朝、森へ向かってくれればよい。

 薬草は今、どうしても必要でな。頼むぞ」

 その眼差しは真っ直ぐで、余計な思惑は見えなかった。

 璉夜は静かに頷く。

「よかろう。明日森へ行こう」

「感謝するぞ。星の巡りが、お主を導かんことを」

 その言葉は祈りのようで、しかし押し付けがましさはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ