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天環ノ誓  作者: 環崎 漣
第一章 星ノ誓
1/4

星ノ里の出会い

 ○夕暮れ 星ノ丘のふもと


 夕陽が傾き、通りに橙の光が滲むころ。

 古びた木枠の紙芝居台が、軒先に立てられていた。

 その側面には、薄れかけた金文字で《萬慶堂ばんけいどう》と刻まれている。

「さあさ、今日もお話の時間じゃ。

 星が出る前に、続きを語ろうかの」

 穏やかな声が、子供たちの笑い声に溶けた。

 語り部の男は、静かに木の板を開く。


 ⸻


 《萬慶堂》


 大きな光がひとつ、静かに消えた。

 深き闇が生まれ、新たな光を求め動き出した。

 それは、星々が沈黙のまま見下ろし、

 光の終わりをも“運命”と呼んだ時代。

 終わりを恐れたのは、わずかに真を知る者のみ。

 山里に住まう者たちと、星を見守る者、そして遠き獣を従える者たち——。

 世界は何も知らぬまま廻っていた。

 誰も想像していなかった。

 ——闇の奥でこそ、正しき光が生まれるということを。

 人々は空を仰ぎ、星に願いを込めた。

 生まれも死も、出会いも別れも——

 すべては天が描いた道に過ぎぬと知りながらも。

 星は語らず、人は抗わず。

 そして、願い続けることが“運命”という名の鎖となった。

 それを平和と呼ぶ者、宿命と呼ぶ者もいた。

 だが——その鎖を見つめ、問いかけた者がいた。

 『なぜ、定められた道を、すべて受け止めねばならないのか』

 その声は、静寂の闇の底に、ひとすじの光を落とした。


 ⸻


 ○深夜 神里ノ丘


 夜風が静かに草を揺らす。

 一人の青年が丘の上で空を見上げていた。

 雲の切れ間に、淡く霞む月。

 冷たい光が頬を撫でて過ぎる。

 指先には、かすかに焦げた匂いが残っていた。

 あの時、彼が掴みそこねた“光”の温もり。

 この丘で“彼女“はよく笑っていた。

 その声だけが、今も風の中に残っている気がした。

 胸の奥で、今も消えぬ痛みがゆっくりと脈打つ。

 傍らでは黒戌が伏せたまま、低く息を吐いた。

『眠れぬか、璉夜れんや

「……光が、遠すぎる気がして」

 声は乾いて、夜の風に溶けていった。

 月明かりがその瞳に反射し、微かに揺れる。

『ならば、探せばいい。闇の奥でも——正しき光は、きっとまだ在る』

 璉夜はゆっくりと目を閉じた。

 風が草を撫で、遠くの森が小さく鳴る。

 掌を胸にあて、沈むように息を吐いた。

「……天の光を、取り戻す」

 その呟きは祈りにも似て、静かに夜気へと溶けていった。

 その瞬間、ひとひらの星が流れ、

 丘を照らすように闇を裂いた。


 星は沈黙のまま、

 けれど誰かが、その声を聞いた。


 それが——すべての始まり。


 ⸻


 ○薄明 荒野ノ道


 十八歳の頃、璉夜は神里を去り、

 日が昇るたびに、またどこかの街を離れた。

 名を問う者も、名を答える相手も、もういない。

 荒れた道に、靴音だけが続く。

 振り返れば、足跡はすぐ風に消えた。

 ある時は、流民の少年を助けた。

 またある時は、夜盗の群れを斬った。

 救った命も、奪った命も、もう顔を覚えてはいない。

 “漆闇“の力を宿した自分を、人は忌み、恐れた。

 だがそれでいいと、心のどこかで思っていた。

 誰かの隣に立てるような光ではないと、もう分かっていたからだ。

 ただ一匹の黒戌だけが、沈黙を分け合っていた。

 焚き火の明かりの向こうで、黒い瞳がゆらりと光る。

『お前の闇は、誰のためのものだ』

「……もう分からない」

 それでも夜が明ければ、彼は歩き出す。

 風が吹けば、過去の匂いが遠ざかっていく。

 空には星が見えず、世界はどこまでも灰色だった。

 ⸻


 ○黎明前 霧ノ渓道


 旅を始め六年——

 夜の名残を纏った霧が、山肌を流れていた。

 黒戌の足跡が、湿った土に沈むたび、微かな音が続く。

 その背を追いながら、青年——今は二十四となった璉夜は無言で歩いていた。

 髪に夜露が降り、外套の裾が重くなる。

 闇と共に生きる日々は、もはや日常となっていた。

 剣を抜く理由も、守るものも、次第に霞んでいく。

 それでも彼は歩く。止まれば、闇が心を喰らうことを知っているからだ。

 道の両脇に並ぶ木々は、まるで息を潜めているように静かだった。

 鳥の声はない。

 小川の流れも途絶え、世界そのものが息を止めている。

 世界は、どこかがおかしかった。

 人々は夜を恐れ、光を奪い合い、

「定めに従うことこそ救い」と囁く声が、街道を漂っていた。

 まるで、見えぬ何かがこの世の理を塗り替えているかのように。

 璉夜は目を伏せる。

 その“何か”の正体を、彼は薄々感じていた。

 だが、それを言葉にすれば、きっと戻れなくなる気がした。

『……歩みが鈍っているな、璉夜』

 黒戌が、低く唸るように呟いた。

 その声音には、相棒としての焦りよりも、

 主を想う静かな憂いが滲んでいた。

「疲れたわけじゃない。ただ……」

 璉夜は立ち止まり、霧の向こうを見つめた。

 遠くで、風に鳴る音がした。

 それは、何かの笛のようにも聞こえた。

「……妙だな。この辺り、誰も住んでいないはずだ」

 黒戌が鼻を鳴らし、周囲の気配を探る。

 冷たい風が頬を掠め、霧の隙間に淡い光が覗いた。

 小さな焔のようなそれは、丘の先でちらついている。

 闇に紛れて、確かに“生の匂い”を放っていた。

『どうする?』

「……行くさ」

 黒戌の問いに璉夜は即答し霧の中を進む。

 長い夜を歩いてきた彼の瞳に、

 その小さな光が、まるで——懐かしいもののように映った。


 ———


 ○夕刻 星ノ里の外れ


 山脈を超えた風が、丘の花を揺らす。

 長い旅の果てに、ひとつの里が見えた。

 燈がともり始めた里。

 黒衣の剣士——璉夜は足と止めた。

 背後を振り返れば、黒戌が静かに鼻を鳴らしている。

「……ここまでか」

 璉夜は呟く。

 六年の放浪。

 血まみれ、幾度も剣を振るった日々。

 だが、この里の空気には、どこか懐かしい匂いがあった。

 『璉夜……ここで休むのか?』

 黒戌の声が脳裏に響く。

「少しな。……もう、刀を振るう力が残っていない」

 璉夜は腰の刀を押さえ、崩れ落ちそうな足を無理に進めた。


 ———


 ○宵 星ノ里・外門前


 木柵の門の前に、一人の老人が立っていた。

 灯を掲げ、穏やかな目で旅人を見つめる。

「ほう……珍しいな。この時期に、外から来る者など」

 その声は、まるで星のきらめきのように柔らかかった。

「……道を、間違えた」

「ふむ。ならばその“間違い“は、星が導いたのやもしれんのう」

 老人は笑い、背を向ける。

「名はトワという。ここは星ノ里、疲れたなら休んでいきなさい」

 その背を見送りながら、璉夜は一瞬だけ立ち止まる。

 黒戌が低く唸った。

 『……妙な気配。だが、悪意はない』

「あぁ、わかってる」

 璉夜は歩みを進め、木柵をくぐった。


 ———


 ○夜 星ノ里・灯屋の縁側


 囲炉裏の火がぱちぱちと弾ける。

 トワ爺が茶を注ぎ、璉夜に差し出した。

「名はなんという?」

「……名は璉夜。こいつは黒戌くろこ

「良き名だな」

 老人はまた笑った。

 その時、障子の向こうから、小さな足音が近づいてくる。

「おじいちゃん、お客さん?」

 顔を覗かせたのは、髪に星飾りをつけた少女だった。

 大きな瞳が、興味深そうに黒戌くろこを見つめている。

「この子は“リナ“だ。この里で一番星が好きな子じゃ」

「あなた、旅人さん?……その子、犬?」

「……いや、眷獣だ」

「けんじゅう?」

「……まぁ、犬でいい」

 少女の笑い声が響いた。

 それは、六年ぶりに聞く“無垢な笑い“だった。

 『璉夜、この里は穏やかだな』

「あぁ……しばらく、ここに居よう」

 璉夜は茶を飲み干し、窓の外の星空を見上げた。

 夜空には、星々がひとすじの環を描いている。

 その瞬間、微な光が流れ落ちた。


 それは、これから始まる“新たな誓い“の始まりだった。


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