『剣聖リアムと呪縛の呼び声』- 9
剣を下げた僕を見て、魔族は露骨に落胆の色を見せた。
「命乞いの次は、降伏ですか。つまらない男だ」
嘲笑が降ってくる。
だが、それは僕にとって好都合だった。彼が僕を「つまらない男」と認識すればするほど、その警戒心は薄れていく。
僕は、震える声を作って呟いた。
「……どうせ、何をしたって無駄だ。あんたには敵わない……」
嘘ではない。
力でも、速さでも、魔力量でも、僕はこの魔族に遠く及ばない。
まともに戦えば、十回やって十回負ける。
だから、まともに戦わない。
「ええ、その通り。賢明な判断です。ようやく、自分の立場というものを理解しましたか」
魔族は満足そうに頷いた。
彼にとって、人間は対等な敵ではない。蹂躙する対象でしかない。その傲慢さが、今の僕にとって唯一の武器だった。
魔族が、一歩踏み込んでくる。
僕との距離は、一メートルを切った。
その手に握られた短剣が、僕の喉元を抉るために緩慢な動作で持ち上げられる。
死の感触が肌を粟立たせる。
(まだだ)
僕は待った。
魔族の筋肉が収縮し、刃が振り下ろされる、その瞬間を。
その意識が「攻撃」に完全に切り替わり、「防御」への意識がゼロになるその一点を。
視界の端で、カインが動こうとするのが見えた。
だめだ、魔族の注意が逸れる。
僕という無力な獲物に、意識を集中させなければならない。
「ところでお前、女みたいになよなよした顔してるよな。……魔族ってみんなソッチなのか?」
魔族は一瞬あっけにとられ――直後、怒りの表情に染まった。
「虫けらごときが、この私を侮るか!」
魔族の刃が、空を切る音がした。
―――今。
僕の身体が、思考より速く弾けた。
それは、戦士としての本能ではない。
脳内で組み立てたシミュレーションを、肉体でトレースする作業だ。
予備動作を極限まで消した。
振りかぶらない。体重も乗せない。
ただ最短距離を、最速で突き出す。
狙うは一点。
鎧に覆われていない、無防備な首筋。
そして、その切っ先に、僕は残った全ての魔力を凝縮させた。
大きく派手な光ではない。
針の先のような、極小の、しかし純度を高めた一点の光。
僕が仮定した「弱点」。
それは―――聖属性。
魔族は、僕の剣技など恐れていない。
だから、反応が遅れた。
魔族の爪が僕の肩を抉ると同時に。
僕の剣先が、魔族の喉元に触れていた。
「なっ……!?」
浅い。
物理的なダメージとしては、かすり傷にもならない。
だが、僕の狙いはそこじゃない。
傷口に、聖なる魔力を直接流し込むこと。
ジュッ、と肉が焼けるような音がした。
「―――ぎ、あああああああああああっ!!」
絶叫。
それは、これまでの冷徹な彼からは想像もできない、獣のような悲鳴だった。
傷口から、白い煙が噴き出す。
まるで強酸を浴びたかのように、傷が沸騰し、腐食していく。
やはり、そうだった。
魔族は短剣を取り落とし、両手で首を押さえて後ずさった。
その整った顔は、苦痛と怒りで醜く歪んでいる。
「……き、貴様……! ただの虫けらが……!」
殺意。
純粋で、膨大な殺気が僕に降り注ぐ。
魔族が体勢を立て直し、怒号と共に突進してくる。
速い。
今の僕には、もう避ける力も、受ける魔力も残っていない。
死ぬ。
そう思った。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
僕は証明したのだ。
僕の計算は、正しかったと。
(あとは、頼みます、カインさん)
僕の視界を、一つの影が遮った。
「よくやった、リアム」
キィン! という硬質な金属音が森に響き渡る。
僕の胸を貫くはずだった魔族の爪を、横から割り込んだ剣が弾き上げていた。
カインだった。
血まみれの身体で、しかし、その剣筋は一切のブレがない。
彼は魔族の突進の勢いを利用し、流れるように身体を回転させた。
遠心力を乗せた刃が、銀色の軌跡を描く。
魔族の首筋へ。
聖なる毒に焼かれ、防御が手薄になったその一点へ。
「……無駄だ! 貴様の剣など!」
魔族が叫ぶ。
まだ、物理攻撃なら耐えられると思っている。
だが、カインの剣が魔族の首に触れた瞬間、彼は悟ったようだった。
そこに込められた、リアムの「狙い」を。
「や、やめろ―――」
初めての、命乞い。
「断る」
カインは短く告げた。
そこに慈悲も、躊躇いもなかった。
一閃。
風が鳴るような音と共に、魔族の視界が反転する。
宙を舞った首は、信じられないという表情のまま、地面に転がった。
少し遅れて、胴体が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
静寂が、戻ってきた。
僕は、へたり込むように地面に座り込んだ。
カインが血を払い、剣を鞘に納める音が聞こえる。
「……計算通り、だったか?」
カインが、背中を向けたまま尋ねた。
僕は深く息を吐き出し、震える手を見つめた。
「……半分はね。僕が生き残るのは、計算外でした」
カインは振り返り、いつものように笑った。
「それは嬉しい誤算だったな」
森の木々の間から、朝日が差し込んでくる。
僕たちの長い夜が、ようやく明けた。




