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書籍化:門番の俺、スキル【見送る】でいつの間にか国を救っていた件  作者: 堀籠遼ノ助(ほりこめりょうのすけ)
第二部 第三章

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『剣聖リアムと呪縛の呼び声』- 8

 世界が、赤く滲んでいた。


 それは僕の目から流れた血なのか、それとも目の前で繰り広げられている惨劇の色なのか、もう判別がつかなかった。

 ただ、音だけが鮮明だった。

 肉が裂ける湿った音。重い金属がぶつかり合う鈍い音。そして、僕のすぐ隣で聞こえる、荒い呼吸音。


「……逃げろ、リアム……!」


 カインの声は、泡立つ血の音混じりだった。


 彼が僕を庇って負った傷は、致命傷に近い。肩口から脇腹にかけて走るその裂傷は、本来なら僕が受けるはずのものだった。


 僕の足元には、ジャレッドたちが転がっている。つい数分前まで言葉を交わしていた仲間たちが、今はただの肉塊として沈黙している。


 目の前には、一人の男が立っていた。

 いや、人の形をした「何か」だ。


 闇色の肌に、長い耳。整いすぎた顔立ちには、感情というものが欠落している。

 下級魔族。

 そう分類される存在だが、その強さは僕たちの常識を遥かに超えていた。


「ほう」


 魔族は、興味なさそうにカインを見下ろした。その手には、血濡れた短剣が握られている。


「まだ動けますか。人間の生命力というのは、効率が悪いですね。死ぬべき時に死なない」


 淡々とした口調だった。


 殺意や悪意といった熱量すら感じさせない。ただ、作業をこなす職人のような手つきで、彼は短剣についた血を振るい落とした。

 僕の足が震える。

 剣を握る指が白く強張る。

 ああ、まただ。

 あの時と同じ。故郷が焼かれたあの日と同じ。僕はただ、守られるだけで、何もできない。

 カインが崩れ落ちそうになるのを、剣を杖にして辛うじて耐えている。その背中が、ひどく小さく見えた。


「さて」


 魔族の視線が、ゆっくりと僕にスライドする。

 蛇に見入られた蛙のように、身体が硬直する。


「虫けら。君には、まだ楽しませてもらえそうですね」


 一歩。

 魔族が距離を詰める。

 その足取りには、警戒心など欠片もない。散歩でもするかのような気軽さで、死が近づいてくる。


(動け)


(動け、動け、動け)


 心の中で叫んでも、身体は鉛のように重い。

 僕は、ここで死ぬんだ。

 仲間を死なせ、カインを傷つけ、何も成し遂げられないまま。

 その時だった。

 脳裏に、声が響いた。


(―――君はまだ、自分の才能を出し切っていない)


 いつか、焚き火を囲んだ夜に、カインが言った言葉。


 彼はいつもそうだった。士官学校を首席で卒業しながら、実戦で足がすくむ僕を、決して見捨てなかった。

 僕にあるのは、剣の腕でも、強大な魔力でもない。

 ただ、盤面を見る目だけだ。

 恐怖で塗りつぶされそうになる視界の端で、何かが引っかかった。


 違和感。


 戦術家としての僕の脳が、無意識に情報を拾い上げていた。

 僕は呼吸を整え、無理やり視線を魔族に向けた。

 感情を殺す。恐怖を棚上げする。

 今、目の前で起きている事象だけを、冷徹に分解する。


(なぜだ……?)


 問いを立てる。


 今の戦闘の流れを、逆再生する。


 カインは剣士だ。彼の剣技は王国でも指折りの重さと速さを誇る。


 先ほどの攻防。カインは魔族の懐に飛び込み、袈裟懸けに斬り下ろした。


 魔族はそれを、左腕で受けた。


 回避が間に合わなかったわけではない。最小限の動きで「受け止めた」のだ。


 結果、魔族の腕は肉が裂け、骨で刃が止まった。浅くはない傷だ。


 だが、魔族は顔色一つ変えなかった。痛みを感じていないのか、あるいは再生能力があるのか。


 とにかく、彼は「肉体を盾にすること」を躊躇わなかった。


 では、僕はどうだった?


 思考が、線で繋がる。


 それはあまりにも単純で、だからこそ見落としていた事実。

 魔族の生態に関する、古い文献の一節。

 心臓の鼓動が、早鐘を打つ。

 もし、この仮説が正しいなら。

 あの余裕綽々の怪物の防御に、たった一つ、致命的な穴が空いていることになる。


 だが、確かめる術はない。


 僕に残された魔力は、もう残り僅かだ。


 先ほどのような大規模な放出は不可能だし、警戒されている技が二度も通じる相手ではない。


 失敗すれば、死ぬ。

 カインも、僕も。

 魔族が、僕の目の前まで迫っていた

 その冷たい瞳が、僕を見下ろしている。


「終わりですか。期待外れでしたね」


 短剣が振り上げられる。

 僕は、震える膝に力を込め、ゆっくりと立ち上がった。

 剣を構えるのではない。

 だらりと切っ先を下げ、無防備な胴体を晒す。


「……ほう?」


 魔族の動きが、ピクリと止まった。

 命乞いか、あるいは絶望による放棄か。そう判断したのだろう。

 口元に、嗜虐的な笑みが浮かぶ。

 僕は、その笑みを見て、静かに息を吐いた。


 恐怖はある。

 だが、それ以上に頭の中は冴え渡っていた。

 計算式は組み上がった。

 変数は一つ。

 僕の仮説が、真実かどうか。

 それだけだ。


 僕は魔族の目を真っ直ぐに見つめ返した。

 絶望した少年のふりをして、その瞳の奥で、冷徹に勝利への道筋を描きながら。

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