『剣聖リアムと呪縛の呼び声』- 3
王都を出てから、十日が過ぎた。
リアムの旅は、ただ北を目指すだけの単調なものだった。
夜は洞穴で火を焚き、昼は険しい山道を踏みしめる。何度も引き返そうと思ったが、王都にはもう居場所がない。あの老門番に示された道を進むしかなかった。
やがて森を抜けた先に、それはあった。
北の開拓地に築かれた、小さな村。
砦のような柵もなければ、石造りの家並みもない。ただ素朴な木の家々が並び、煙が静かに空へ上がっていた。厳しい自然の中で、それでも人々が懸命に生きていることを示す、ささやかな営みだった。
村の入口で、一人の青年が声をかけてきた。
「旅の方か? 何か用かな」
年の頃は自分より四、五歳上ほど。若さに似合わぬ落ち着きと覚悟を感じる男だった。彼が、この村のリーダー――カインだ。
「……東門の門番に、ここへ行けと」
おずおずと答えると、カインの表情が少しだけ和らいだ。
「ヨハンさんか。そうか……。長旅で疲れただろう、中へ入ってくれ」
村での生活が始まり、数日が過ぎた。
僕は誰ともほとんど話さなかった。村の隅で、子どもたちが走り回る姿や、大人たちが畑を耕す様子を、ただ眺めていた。
その日、カインは村の若者たち――オークに託された子どもたちのうち、年長組を集めて、対ゴブリン戦を想定した訓練を行っていた。
僕も「参考になるだろう」と半ば強引に見学させられていた。
「そこだ! 連携が遅い!」
カインの声が飛ぶ。若者たちは木の槍を構え、汗だくで陣形を組もうとしていたが、動きはまだぎこちない。
僕は黙って見ていた。だが、頭の中では士官学校で叩き込まれた戦術理論が自然と浮かんでいた。
(……違う。その陣形では側面の奇襲に弱い。弓兵も位置が悪い。あれじゃ的だ)
その時、カインが僕の表情を見逃さなかった。
訓練が終わると、彼はまっすぐこちらへ歩いてきた。
「あんた、さっきから見てただろ。何か気づいたことがあるんじゃないか?」
「えっ……? い、いえ、そんな……」
「隠さなくていい。あんたの目を見ればわかる。教えてくれ。俺たちは我流だ。あんたの知識が欲しい」
真っ直ぐな瞳に押され、僕はおずおずと口を開いた。
「……今の陣形ですが、もし敵が森の岩陰から出てきたら、弓兵の位置では対応が遅れます。それに槍兵の連携も……」
僕は、訓練の欠点をいくつも指摘した。
カインは驚いたように目を見開き、やがて深く頷いた。
その夜。
カインは、一人で食事を取っていた僕を焚き火の輪へと誘った。
「……どうして」
思わず尋ねていた。
「どうして、こんな危険な場所で村を? 安全を考えるなら、王都へ行くという手もあったはずだ」
カインは炎を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「……ここが、俺たちの故郷だからだ。俺も、こいつらのほとんども、ここで生まれた。魔物に滅ぼされ、跡地だけが残った場所だけどな」
声は淡々としていた。
「王都に行くことも考えた。だが、あそこじゃ金がなければ生きていけない。これだけの子どもを、俺一人で食わせるなんて無理だ」
「……」
「それに、ここも悪い場所じゃない。魔物の危険はあるが土地は肥えてる。川も近い。ゴブリンくらいなら自分たちで対処できる。それ以上が来たら、稼いだ金でギルドに頼めばいい。……そうやって生きてきた」
僕は息をのんだ。
目の前の青年が、ただ感傷でここにいるわけではないと気づいた。
その瞳の奥には、リーダーとしての現実と覚悟が宿っていた。
「……昔は俺も、復讐だけを考えて旅をしてた。片腕のオーク――そいつが家族を殺した首謀者だと信じてな」
だが、とカインは続ける。
「違った。そいつは、村を襲った敵であると同時に、生き残った子どもたち――こいつらを命懸けで守っていた。本当の敵は『赤牙』のゴブリンどもだった。オークは、俺と共闘し、自分の命と引き換えにゴブリンの群れを道連れにした。……そして、こいつらを俺に託したんだ」
カインの視線が、焚き火の明かりの中で笑う子どもたちに向く。
「だから俺はここにいる。あいつらを守るために。……それだけだ」
そう言って、彼は静かに笑った。
僕は何も言えなかった。
自分とは違う形で過去と向き合い、守るという目的を見つけた彼の姿に、ただ圧倒されていた。




