『剣聖リアムと呪縛の呼び声』 - 1
新生『白銀のグリフォン』騎士団が結成され、王都が陰謀に揺れたあの騒動から、季節は一つ巡っていた。城壁の蔦も夏の勢いを失い、葉の縁が黄色く染まる。ヨハンは、変わらぬ持ち場で、ただその様を眺めていた。
行き交う人々の顔ぶれが、どこか変わった。貴族の紋章を掲げた馬車が心なしか減り、代わりに、鞘に収めた剣の柄に手をかけたまま、鋭い目つきで周囲を窺う傭兵たちの姿が、日に日に増えているような気がした。
誰も口には出さないが、あの騒動が残した見えない亀裂が、王都の空気を少しずつ変えている。ヨハンの日常は、そんな王都の変化を映す水面のように、ただ静かに続いていた。
その日の昼下がりだった。
旅人たちの列が途切れ、門の前がしばしの静寂に包まれた時、一人の青年が、まるで影から滲み出るかのように、ヨハンの前に姿を現した。
その立ち姿は、奇妙なほどに美しかった。まるで教本から抜け出てきたかのように、一本の隙もない。尋常ではない訓練を積んだ者であると、ヨハンは一目で見て取った。
だが、その完璧な佇まいとは裏腹に、青年の魂は、ひどく損なわれているように見えた。
その目は常に伏せられ、誰とも視線を合わせようとしない。その類稀なる才能が、ちぐはぐにねじれてしまっているかのようだった。
青年はヨハンの前で立ち止まると、消え入りそうな声で尋ねた。
「あの……すみません。この先に、剣士を求めるような場所は、ないでしょうか……。どんな仕事でも、構いませんので」
その声は、彼の佇まいとはあまりにも不釣り合いなほど、弱々しい。
ヨハンは、その問いにすぐには答えなかった。ただ、青年の瞳の奥底に揺らめく、凍てついた炎の残滓を見つめていた。そして彼の脳裏に、数年前に見送った一人の少年の姿が蘇っていた。
憎しみを糧に剣を振るっていた少年、カイン 。彼はあの旅の果てに、守るべきものを見つけ北の開拓地で、仲間たちと共に新しい村を築いている 。今は、この青年よりも立派に成長しているだろう。
「……北の開拓地に、若い連中だけで村を築いている者たちがいる」
ヨハンは、静かに言った。
「リーダーは、カインという、お前さんより少し年上の若者だ。……最近は、魔物の動きが活発で、腕利きの助けを探していると、風の噂で聞いた。腕に覚えがあるのなら訪ねてみるといい」
青年――リアムは、その言葉にわずかに顔を上げた。
「……そうですか。……ありがとうございます」
彼はそれだけを言うと、力なく踵を返し門をくぐろうとした。
ヨハンはその背中に、静かに声をかける。
「旅の方」
リアムの足が、ぴたりと止まる。
「あんたの剣が、本当に守るべきものを見つけ、あんた自身の魂を守る盾となることを祈っている」「……!」
リアムの肩が、びくりと震えた。
「いってらっしゃい」
リアムは、何も答えられなかった。ただ逃げるように、北へと続く道を歩き始めた。
その震える背中を見送りながら、ヨハンの脳裏にいつもの声が、二重に響き渡った。
《スキル【見送る者】が発動しました。対象者リアムに、祝福『握る剣の重心が、ほんの少しだけ安定する』を付与しました》
《スキル能力【遠き旅人への祝福】が発動。遠隔地の対象者カインに、祝福『村を守る柵が、ほんの少しだけ軋みにくくなる』を付与しました》
ヨハンはリアムの姿が見えなくなるまで、その場を動かなかった。
一つの壊れた剣と、一つの守るための剣。
二つの魂が北の大地で交わる時、何が生まれるのか。
彼はその旅の結末を、ただ、静かに見守ることしかできなかった。




