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『少年カインと錆びぬ剣』 - 2

 カインの旅は、闘いそのものだった。


 南へ向かい、竜のあぎと山脈の麓に近づくにつれて、彼が遭遇する魔物の種類は、明らかに変化していった。


 その日、彼は森の中で、五体からなるゴブリンの斥候部隊に遭遇した。物陰に潜み、やり過ごすか、あるいは先に仕留めるかを見定めていた、その時だった。

 一体のゴブリンが、こちらを向いた。

 その牙が、まるで血に濡れたかのように、不気味なほど赤いことに、カインは気づいた。


(……『赤牙』……! 厄介なのに当たったな)


 カインは、舌打ちを一つした。

 数十年ほど前から、目撃報告が急増している特殊個体。通常のゴブリンとは比較にならないほど、残忍で、狡猾。傭兵たちの間では常識だ。たとえ相手がゴブリンだろうと、『赤牙』を見たら、オーガの群れと相対するくらいの覚悟で挑め、と。


 だが、彼の心を占めたのは、傭兵としての警戒心だけではなかった。

 カインは、その動きに見覚えがあった。村を襲った、あの忌まわしい魔物たちと、全く同じだ。憎しみが、彼の身体を駆け巡る。彼の剣は、復讐の炎を纏い、ゴブリンたちを的確に切り裂いていった。


 斥候を仕留めた後、カインは、その足跡が、一つの方向へと向かっていることに気づく。それは、彼が追う、片腕のオークの痕跡と、奇妙に一致していた。


(……やはり、あのオークが、こいつらの頭目か)


 カインは、確信を深めた。あの片腕のオークを討てば、この憎むべきゴブリン共も、統率を失うはずだ。彼は、固く剣を握りしめ、痕跡の先にある、廃鉱山の洞窟へと、その足を進めた。


 洞窟の奥、僅かな焚火の光に照らされて、その姿はあった。

 屈強な体躯。緑色の肌。そして、左肩から先が失われた、片腕のオーク。


「……見つけたぞ、ゴブリンの王め」


 カインの声は、憎しみで震えていた。


「貴様が……貴様が、俺の村をッ!」


 カインは雄叫びと共に、オークへと斬りかかった。

 キィン!と甲高い金属音が響き、火花が散る。オークは、右腕に握った巨大な鉈で、カインの刃をたやすく受け止めていた。だが、その目は、カインを見ていなかった。ただ、何かを悔いるように、固く閉じられている。


 何度打ち合っても、オークは防戦一方で、一切攻撃を仕掛けてこない。


「なぜ……なぜ、攻撃してこない!俺を、侮辱する気か!」


 息を切らしながら叫ぶカインに、オークは、力なくつぶやいた。


「……もう、戦う資格は、ない」


 彼が、その刃を振り下ろそうとした、その瞬間だった。


「やめて!」


 洞窟の奥から、数人の子供たちが駆け寄ってきた。そして、あろうことか、その小さな身体で、オークを庇うように、カインの前に立ちはだかったのだ。


「緑のおじさんを、いじめないで!」


 カインは、振り上げた剣を、その場で止めた。


「……どけ。そいつは、お前たちの……俺たちの、仇なんだぞ!」


「違う!」と、一番年上の少年が叫んだ。「この人は、私たちを守ってくれたんだ!」


「何を……言っている……?」


 カインの頭は、完全に混乱していた。彼は、子供たちを傷つけないよう、剣を降ろすと、その切っ先を、再びオークに向けた。


「貴様……この子たちに、一体何をした!どういうことだ、説明しろ!」


 カインの問いに、オークは、長い沈黙の後、絞り出すように言った。


「……守ってなど、いない。俺は……お前たちの村を……滅ぼすために、来たのだから」


「なに……?」


「この身と引き換えに、村ごと、全てを……それが、俺の一族の『正義』だった」


 オークは、自らの胸に刻まれた、禍々しい文様の痣を、悔恨の念で鷲掴みにした。


「だったらなぜ、やらなかった!なぜ、村は、ゴブリンなんかに……!」


「……見てしまったからだ」オークは、うなだれた。「……この子たちを。俺の故郷に残してきた、息子と同じ顔で笑う、罪なき無垢な存在を……」


 その一瞬の迷いが、全ての悲劇の始まりだった、とオークは言った。彼がためらった、まさにその時、赤牙ゴブリンの群れが、村を襲撃したのだと。


 カインは、その場で立ち尽くした。

 頭の中で、全てがぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。こいつは、村を滅ぼしに来た。だが、子供を見て、ためらった。そのせいで、村はゴブリンに滅ぼされた。そして、こいつは、生き残った子供たちを、守っていた……?

 怒りと、混乱と、そして、理解できない感情が、彼の内側で渦巻いていた。


「……だからと言って!」


 カインは、叫んだ。もはや、それがどんな感情から来る叫びなのか、彼自身にも分からなかった。

「お前が、俺たちの村を滅ぼしに来たことに、変わりはない!」


 彼は、再び、剣を大きく振りかぶった。

 オークは、今度こそ、全てを受け入れるように、静かに目を閉じた。


「……くそ! なぜ抵抗しない! 反省すれば、許されるとでも思っているのか!?」


「いや……違う。許しなど、求めてはいない」


 オークは、閉じていた目を開けると、その視線を、カインの背後、岩陰で震える子供たちに向けた。


「だが、一つだけ……。俺の代わりにこの子たちを守ってやってくれ……頼む」


 その言葉が、カインの張り詰めていた憎しみの糸を、ぷつりと断ち切った。

 彼は、雄叫びと共に、剣を振り下ろした。

 ザシュッ、という生々しい音。

 だが、剣は、オークの首の皮を一枚、薄く切り裂いただけで、その肩先で、ぴたりと止まっていた。

 カインの腕は、わなわなと震えている。

 ここで、この男を殺してしまったら、俺は、村を滅ぼした、あの忌まわしい魔物たちと、同じになってしまうのではないか。


 カラン、と乾いた音がして、カインの手から、長剣が滑り落ちた。

 彼は、その場に、膝から崩れ落ちた。


 その、あまりにも静かな決着を破ったのは、洞窟の外から響き渡る、甲高い、あの忌まわしい奇声だった。

 洞窟の外で待ち構えていた、赤牙せきがゴブリンの本隊が、この機を逃さず、雪崩れ込んできたのだ。

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