『傭兵ボルグと二つの正義』 - 12
あの日から、数日が過ぎた。
エルリック邸の客室では、リーナが、ベッドの上で静かに体を起こしている師イズミエールの看病をしていた。救出には成功したものの、地下牢での拘束は、彼女の体力を深く奪っていた。
「……姉さん、薬の交換の時間だよ」
「ありがとう、クレア」
姉妹は張り詰めた時間の中にいた。
その穏やかな静寂を破るように、邸の重い門が、ごつん、と叩かれた。
応対に出たボルグは、門の外に立つ人物の姿を見て、その目を険しく歪ませた。
「……てめえ、何の用だ」
そこに立っていたのは、騎士の鎧を脱ぎ、質素な服をまとったギデオンだった。
「何をしに来た?」
「見ての通りだ。貴殿のせいで、勤め先が無くなった」
ギデオンは、その石像のような顔を少しも変えずに言った。
「ここで雇ってくれるよう、エルリック伯爵に口添えを願いたい」
「……なんで俺が、そんなことをしなくちゃならねえ」
ボルグは、自身の肩をわざとらしく叩いた。
「お前に斬られたこの肩が、まだ痛むんだがな!」
「おや」
その二人の間に、穏やかな声が割って入った。エルリック伯爵だった。
「リーナ殿が調合したポーションで、その傷は完治したと聞いていたが?」
「……ちっ」
ボルグは、バツが悪そうに顔をそむけた。
「―――待っていたよ、ギデオン殿」
エルリック伯爵は、ギデオンを温かい眼差しで屋敷の中へと招き入れた。
そしてその夜。書斎に、エルリック伯爵、ボルグ、ギデオン、リーナ、クレア、そして娘のアリサの六人が集まっていた。
「さて、と」
エルリック伯爵は、重い口を開いた。
「……皆、揃ったな。まず、現状を共有しよう」
伯爵は、ボルグへと視線を移す。ボルグは腕を組んだまま、低い声で言った。
「情報屋から裏が取れた。イズミエールの拉致は、ヴァレリウスが国王陛下の裁可を待たずに強行したものだ。そして奴の資金源は、やはりアイオン教会に繋がっていた」
ギデオンが息をのむ。
「教会、ですか……。あの聖女セラフィナの独断ではなく……?」
「ああ」と伯爵が頷く。
「もはや、これは単なる政争ではない。ヴァレリウスは、教会の狂信者たちと結託し、この国を内側から食い破ろうとしている。……イズミエール殿の拉致は、その手始めに過ぎん」
「……だが、伯爵。それだけじゃ、まだ腑に落ちねえ」
ボルグの言葉に、エルリック伯爵が視線を向ける。
「どういうことかな?」
「いくら教会がバックにいたって、あの大貴族のヴァレリウスが、国王の裁可も待たずに賢者を引っ立てるなんて、無謀すぎる。まるで、何かに急かされているみてえだ。教会がケツを持ってるだけじゃ、あの暴走の説明がつかねえ」
「……ああ、私も同じ意見だ。何かもっと大きな存在……我々の知り得ない、巨大な闇に動かされていると見て、間違いないだろう」
伯爵の言葉に、書斎はより一層重い沈黙に包まれた。
「……では、我々はどうすれば」と、リーナが不安げに尋ねる。
「だからこそ、だ」
伯爵はそこで初めて、机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。それは、国王の印璽が押された正式な勅許状だった。
「ヴァレリウスの暴走を止める。そのためには公式な組織が必要だ。国王陛下からの勅許は、すでに取り付けてある」
「……勅許状? あんた、一体何を企んでやがる」
ボルグが、怪訝な顔で伯爵を睨む。 伯爵はその視線を真っ直ぐに受け止め、力強く言った。
「今ここに王の勅許のもと、『白銀のグリフォン』騎士団の再結成を宣言する!」
その言葉を聞いた瞬間、ボルグの表情が凍りついた。
「……伯爵には悪いが」
ボルグは、怒りの滲み出る声で言った。
「断る。あんたが、俺の汚名をそそぐために、長年動いてくれていたことは感謝している。だが、俺にとっての騎士団はあいつらだけだ。今さら再結成したところで意味がない」
「――それを、『白銀のグリフォン』の仲間たちが、本当に望むとでも?」
エルリック伯爵の、静かな問い。
その言葉に、ボルグは息をのんだ。
伯爵は、畳み掛ける。
「白銀のグリフォンの汚名を雪ぐ(そそぐ)のだ。それが、あいつらに対する、最大の供養になろう」
その一言が、ボルグの心の最後の砦を、打ち砕いた。
脳裏に蘇る。
酒を酌み交わした、仲間たちの屈託のない笑顔。
血にまみれた、最後の顔。
(……あいつらの、ためか)
ボルグの目に、光が宿る。それはかつての、伝説の騎士団長の目であった。
「……ちっ。あんたは人が悪いぜ、伯爵」
「私も異議があります、伯爵閣下!」
ボルグの言葉に、ギデオンが強い口調で割って入った。
「このような無法者を騎士団の長に据えるなど、前代未聞です! 兵の士気に関わります!」
「おい、空気読めよ石頭」
「なんだと!」
「――ギデオン殿」
「はっ! 何でありましょうか伯爵殿!」
ギデオンはエルリック伯爵に即座に向き直り、敬礼した。
「今、我々に必要なのは、教本通りの戦い方ではない。ヴァレリウスの法の裏をかくような汚い手に、対抗できるだけの『牙』だ。そして、君にはボルグの補佐として副騎士団長をお願いしたい」
「私が……副長? ――不肖ギデオン!! 誠心誠意努めさせて頂います!!」
エルリック伯爵は、満足そうに頷くと、書斎にいる全員に聞こえるよう、その場に立ち、厳かに語り始めた。
「―――かつて、今は亡き我が盟友、アークライト公爵のもとに、清貧なる騎士団があった」
その声は静かだが、書斎の空気を震わせた。
「しかし、彼らはヴァレリウスの謀略により、あらぬ汚名を着させられ、国賊として惨殺され、壊滅させられた。かの騎士団は、このまま歴史の闇に葬り去られる運命にあった」
伯爵はそこで一度言葉を切り、ボルグとギデオンの顔をゆっくりと見渡した。
「だが今ここに、志を共にする同士が集まった。数は少なくとも、その思いは遥かに高い!」
そして彼は、国王の印璽が押された勅許状を高々と掲げた。
「今ここに王の勅許のもと、『白銀のグリフォン』騎士団の再結成を宣言する!」
ボルグは、何も言わず、ただ固く拳を握りしめる。その表情は、重い覚悟の色に染まっていた。
隣でギデオンが、力強く胸に拳を当てて敬礼した。
リーナとクレアはただ息をのみ、歴史が動くその瞬間を見守るしかなかった。
エルリック伯爵は、そんな彼らの顔を一人一人見渡すと、棚から年代物のワインを取り出した。
「……今宵は、祝杯をあげようではないか」
彼は、それぞれのグラスに、赤い液体を注いでいく。
「新生『白銀のグリフォン』の、門出の夜だ」
伯爵は、自らのグラスを静かに掲げた。
「―――我々の、そして、王国の夜明けのために」
ボルグは、無言でグラスを掲げた。
ギデオンもまた、無言でそれに続いた。
それは、これから始まる過酷な戦いの、静かな始まりの儀式だった。




