『傭兵ボルグと二つの正義』 - 10
錆びついた昇降機が、軋む音を立てて最下層へとたどり着いた。
リーナは息を殺して、闇の中へと一歩踏み出す。
ひやりと冷たい、湿った空気。遥か上から聞こえていた夜会の喧騒はもう届かない。ここにあるのは、石と鉄と絶望の匂いだけだった。
(……師匠は、どこに)
アリサから渡された見取り図を頼りに、壁を伝って、独房が並ぶ通路を進んでいく。松明の明かりが、彼女の不安げな顔を頼りなく照らしていた。
やがて見つける。通路の最も奥、ひときわ頑丈な鉄格子がはめられた一つの独房。
その中に師はいた。
汚れた囚人服を着て、壁に静かにもたれかかっている。だがその姿は、少しも衰えてはいなかった。ただ、深く目を閉じているだけ。
「師匠……!」
リーナが駆け寄ろうとした、その時だった。
「―――見つけたぞ! 曲者め!」
通路の反対側から二人の騎士が、剣を抜きながら現れた。ギデオンがボルグに足止めされている間に、独房へと向かった者たちだ。
「小娘一人か。舐められたものだな」
「だが、これで手柄は俺たちのものだ。ヴァレリウス伯爵閣下も、お喜びになるだろう」
騎士たちは下卑た笑みを浮かべると、リーナには目もくれず独房の鍵を開け始めた。
「師匠に、何を……!」
「黙っていろ、小娘。こいつには、これから聖女様による、特別尋問が待っているんでな。少し手荒になる前に、別の場所に移すだけだ」
鉄格子が軋みながら開かれる。騎士の一人が乱暴にイズミエールの腕を掴んだ。
その、瞬間だった。
「―――離しなさい、下郎」
それまで微動だにしなかったイズミエールが、その切れ長の瞳をカッと見開いた。そして騎士の腕に、獣のように鋭く噛みついた。
「ぐわっ! この、アマ!」
あまりの痛みに、騎士が腕を振り払う。
「リーナ! 逃げなさい!」
師の絶叫。
逆上した騎士は痛みと怒りに顔を歪め、腰の剣を抜き放った。
「……てめえ、ただで済むと思うなよ……!」
その切っ先が、無防備なイズミエールへと振り下ろされる。
「―――やめて!」
リーナは考えるより先に動いていた。
師の前に、自らの体を投げ出すようにして割り込む。
迫りくる鋼の刃。
死を覚悟した。
だがその刃がリーナに届くことは、なかった。
ゴッ! という鈍い音。
騎士の身体がくの字に折れ曲がり、壁に叩きつけられて意識を失った。
「……ふぅ、間に合ったか」
背後から聞こえたのは、聞き慣れたぶっきらぼうな声。
もう一人の騎士が驚愕に目を見開くその顔面に、ボルグの鉄槌のような拳がめり込んでいた。
「さて、と。長話は後だ。ずらかるぞ」
ボルグは肩の傷を押さえながらも、不敵に笑った。
リーナはその逞しい背中を見つめ、こらえていた涙が一筋頬を伝うのを止めることができなかった。




