『傭兵ボルグと二つの正義』 - 9
忘れられた水路は、閃光弾の残光と、舞い上がった土煙で満ちていた。
体勢を立て直した騎士たちが、怒号と共に、蹴破られた鉄格子の向こうから現れた侵入者へと斬りかかる。
「下がるな! 囲んで叩け!」
ギデオンの冷静な声が響く。
だが、ボルグの動きは彼らの予想を遥かに上回っていた。
彼は迫りくる騎士たちの剣を最小限の動きで受け流すと、その柄で鳩尾を打ち、的確に意識を奪っていく。
あっという間に数人の仲間が昏倒させられ、残る騎士はギデオンを含め三人となった。
ギデオンは静かに剣を抜き、ボルグと対峙した。
「……見事な腕だ。だが、貴様のような男がなぜ国の秩序を乱す」
「秩序だと?」
ボルグが鼻で笑った。
「てめえらが守ってるのは秩序じゃねえ。腐った貴族の利権だけだ」
「黙れ。法を犯す者に正義を語る資格はない」
「その法が罪なき者を罰しているとしたら、どうする」
「……それもまた、法だ」
睨みあう二人。
どこかで鳴いたネズミの声が、静寂を破るきっかけとなった。
キィン!と甲高い音を立てて、二人の剣が鍔迫り合いで停止する。
「その腕前……やはり貴殿、ボルグだな」
「さあな」
「ふん。――お前たち、イズミエールの独房へ向かえ!!」
ギデオンが、背後の部下たちに命じた。
「はっ!」
二人の騎士が、ボルグの脇をすり抜け、地下牢の奥へと駆けていく。
(……ちっ! やられた!)
ボルグの表情に、初めて焦りの色が浮かんだ。
もう時間を稼いでいる場合ではない。一刻も早くこの場を切り抜けねば。
その焦りが、ボルグの剣を握る手にほんのわずか、余分な力を込めてしまった。
常人には決して見抜けぬ、しかし、達人同士の戦いにおいては致命的となりうる力みの差。
ギデオンは、見逃さなかった。
ボルグが、渾身の力で剣を振り下ろす。
ギデオンは、それを左腕の円盾で完璧な角度で受け流そうとした。
ガギィン! という鋼が悲鳴を上げるような、これまでで最も重い衝撃音。
ギデオンの盾は、ボルグの凄まじい一撃の威力を完全には殺しきれなかった。
逸らされた剣の切っ先が、ギデオンの左足の鎧を火花と共に深く切り裂く。
だが、ギデオンは怯まずボルグの肩口へ一閃。
その切っ先が、ボルグの肩を深く抉った。
「ぐっ……!」
ボルグは膝をつく。
長剣が乾いた音を立てて、床に転がった。
ギデオンの冷たい切っ先が、その喉元に突きつけられる。
「……終わりだ、侵入者」
勝敗は決した。
ギデオンがボルグに止めを刺そうと剣を振り上げた、その時だった。
城の真上から。
人々の悲鳴が、地鳴りのように轟いた。
「……何!?」
ギデオンの視線が、一瞬だけ天井へと向けられる。
その一瞬を。
今度はボルグが見逃さなかった。
彼は獣のような速度で動いた。
床に転がっていた自らの長剣を拾い上げ、そのまま斬り上げる。
「なっ……!?」
(この深手で、なぜ動ける!?)
ギデオンの反応が、動揺でコンマ一秒、遅れた。
彼は咄嗟に盾を構えたが、ボルグの猛然とした一撃はその盾を凄まじい力で弾き飛ばす。
がら空きになった胴体へ一閃。
弾き飛ばされたギデオンが壁に激突。
崩れ落ちた壁から這い出ようとした彼の喉元に、ボルグの冷たい切っ先がぴたりと突きつけられた。
「リーナのお節介に感謝だな」
そう呟いたギデオンの足元に、空になった小さな薬瓶が、ことり、と転がっていた。
リーナが、万が一のためとボルグに持たせたものだった。
(……なるほど、目を離した隙にポーションを肩に。やられたな)
「……私の、負けだ」
ギデオンは苦笑し、敗北を認めた。
「イズミエールの独房へ、兵の薄いルートを教えろ」
「……この先を直進しろ。第三警備室の裏手が、手薄になっているはずだ」
素直に道を教えるギデオンに、ボルグは訝しげな目を向けた。
「……どうやら俺が来ることは予想していたようだが。 なら、俺と繋がりがあるエルリック伯爵が、この水路の件を知っていることは理解していたはずだ。……陽動だと分かっていたんじゃないのか?」
その問いに、ギデオンは答えなかった。
「……無駄話している場合か。もう時間が無いはずだ。行け」
ボルグは、その答えに全てを察したようだった。
「……何が正しいのか、その石頭で少しは考えてみろ」
それだけを言い残し、ボルグは部下たちが駆けていった地下牢の奥へと、足早に去っていった。
一人、その場に残されたギデオン。
彼は脇腹と切り裂かれた足の傷の痛みに耐えながら、ボルグの最後の言葉を反芻する。
「……何が、正しいのか――か」
彼は騎士の象徴である、その堅牢な兜を脱いだ。
そして少し逡巡した後、その兜を床に投げ捨てる。
――ガランといういう音が、地下通路内に虚しく響き渡っていった。




