『傭兵ボルグと二つの正義』 - 4
「アイオン教会の高位神官であらせられるセラフィナ様が、この国のために、わざわざお越しくださったのだ」
(これが、あの聖女セラフィナ……!)
そのあまりにも美しい佇まいと、噂に聞く血のように赤い瞳。
そして、彼女が放つ異様なほどの威圧感。ギデオンは息をのんだ。
「お初にお目にかかります、ギデオン卿」
「これは、ご丁寧に」
ギデオンが頭を下げると、セラフィナはにっこりと天使のように微笑んだ。
「さて、では準備をしましょう」
「準備……ですか?」
「ええ、神の信徒が愛を受け入れるための準備です」
セラフィナはそう言うと、てきぱきと道具を並べていく。
大小さまざまな小刀、ペンチ、針……。どうみても、拷問道具である。
だが、セラフィナの表情は、まるで料理の準備をしているかのようだった。そのギャップが、ギデオンの背中を寒からしめた。
「……伯爵閣下。これはいったい?」
ヴァレリウスは、顔面蒼白となったギデオンの肩にそっと手を置く。
「なに、ちょっと聞きたいことがあってね。月光草を使ったポーションの製造方法だ。彼女がどうしても口を割らないものだから、こうしてセラフィナ殿にお越しいただいたのだよ」
「ですが、伯爵閣下! このような非人道的なやり方は如何なものかと」
「非人道的? 彼女は罪人だ。罪人に人権はない」
ギデオンの声に、鋼のような硬さが混じる。
「……罪人であったとしても、このようなやり方は同意しかねます」
その、あまりにも実直な抗議。それを聞いたセラフィナは、小刀の刃先を指でそっと撫でながら、ギデオンに向き直った。
「――騎士様は、神の御業に疑念を挟むのですか?」
セラフィナに見据えられたギデオンは、押し付けられるような威圧感を感じた。
表情は笑顔だが、笑ってはいない。セラフィナの赤い瞳の奥には、底知れない何かがあった。
「罪深き魂が嘘で塗り固めた『錠前』をこじ開け、真実という光を当てる。これは尋問ではありません。救済ですよ」
「……私には、救済とは思えません」
ギデオンはその重圧に耐えながら、絞り出すように言った。
「やめておきなさい、騎士殿」
静かな声が、牢の奥から響いた。イズミエールだった。
ギデオンは殺気の重圧から解放され、どっと汗が全身から噴き出す。
「私に用があるのでしょう? であれば、無駄なおしゃべりは止めてこちらにいらして下さい」
その、あまりにも堂々とした言葉。セラフィナの天使のような笑みが、より一層、恍惚としたより深い笑みへと変わった。
「ええ、ええ。その気概、素晴らしいですわ。その美しい喉から、どんな鳴き声が聞こえるのか……実に、楽しみ」
セラフィナは楽しげに小刀を手に取ると、牢の扉へと向かう。
ギデオンは反射的にその前に立ちはだかった。
「お待ちください、セラフィナ様。法の名の下に、これ以上の蛮行は許可できん」
「法、ですか」
セラフィナは、心底おかしそうに首を傾げた。
「これは困りましたね」
セラフィナの姿がかすめた――と思った刹那、小刀の刃先がギデオンの耳朶に触れていた。
一滴の赤が、ゆっくりと首筋を伝う。
「選びなさい、ギデオン卿」
耳元で囁くセラフィナの声は、先ほどと同じ天使のような響きを保っている。
「そこを退くか、このままゆっくりと切り刻まれるか?」
その恍惚とした囁きに、ギデオンは眉一つ動かさなかった。ただ、毅然とした態度で静かに告げる。
「許可、出来ません」
その、あまりにも変わらぬ答え。
ふい、と。
セラフィナの顔から恍惚とした笑みが、まるで仮面が剥がれ落ちるように消えた。彼女は興味を失った子供のようにすっと小刀を収めると、ギデオンから身を離した。
「セ、セラフィナ様!」
ヴァレリウスが、慌てて声を上げる。
「気が削がれましたわ」
セラフィナは心底つまらなそうに言うと、ヴァレリウスに冷たい視線を向けた。
「明日までに、この女の口を割らせることができたなら、貴方の意向を尊重してあげましょう。ですが、それができなければ――」
シュッ、という微かな風切り音。
ギデオンの頬に、一本の赤い線が走る。
彼の背後の石壁に、カン!という硬い音を立てて小刀が深々と突き刺さる。
「それでは、ごきげんよう」
セラフィナはそれだけを言うと、牢屋を後にした。
ヴァレリウスは忌々しげに舌打ちをすると、ギデオンを一度だけ鋭く睨みつけ、慌ててセラフィナの後を追う。
後に残されたのは、絶対的な静寂と壁に突き刺さった小刀、そして、頬から血を流すギデオンだけだった。
「……よろしかったのですか、騎士殿?」
牢の奥から、イズミエールの静かな声がした。
ギデオンは、何も答えられずに佇んでいた。




