『傭兵ボルグと二つの正義』 - 3
ボルグに導かれリーナとクレアがたどり着いたのは、王都西区画に静かに佇む壮麗な貴族の邸宅だった。
門には、盾とグリフォンをあしらった気高い紋章が掲げられている。
「……ここは?」
リーナの問いにボルグは答えなかった。
ただ、重い扉を叩く。
やがて現れたのは、凛とした雰囲気の少女――アリサだった。
「ボルグさん。……お元気でしたか?」
「ああ、この嬢ちゃんたちに厄介事を押し付けられるまではな。エルリック伯爵伝言を伝えてくれ。頼みたいことがある」
「話なら直接聞こう」
アリサの背後から壮年で背筋の伸びた威厳ある貴族、エルリック伯爵が歩み出た。
「ボルグ君、よく戻った。して、頼みとはそちらのご婦人方に関する事かな?」
「ああ……少し厄介な客人を連れてきた。しばらくここに匿ってやってくれ」
エルリック伯爵は嫌な顔一つせず、静かにほほ笑んだ。
「君の頼みであれば断る理由は無い。さあ、お二人とも中へ。お疲れだろう」
クレアとリーナは顔を見合わせた後、招かれるままに屋敷の中へと入っていった。
通された客室は、リーナがこれまで過ごしてきたどんな部屋よりも広かった。
「ボルグさんにはこの部屋をいつでも使っていいとお伝えしてあるのですが……滅多に寄り付いてはくださらないのですよ」
アリサは、そう言って悪戯っぽく笑った。
「今回はよほどのことなのでしょう。……あなたたちのことは、ボルグさんが守ってくださいます。ですね、ボルグさん?」
「……金を貰った分は働くだけだ」
「ふふふ。こう見えてボルグさんは優しいんですよ。私も出来る限りあなた達を守ります。ここを家だと思って、くつろいで下さいね」
その言葉に、リーナは深く頭を下げた。
「……で、話の続きだ。師匠の名はイズミエール。間違いねえな」
「はい」
「その師匠。良くない噂が出回っている。『赤牙』の呪いを生み出した元凶。国家転覆を企む呪詛師であるって噂がな」
「師匠がどうして!? ありえません!」
「……だろうな。噂が広まるのが早すぎる。十中八九、裏で糸を引いている奴がいる」
「いったい誰がそんなことを?」
「恐らく、ヴァレリウス派閥の誰か。……もしくは、ヴァレリウス伯爵本人か」
その言葉に、リーナ達は息をのんだ。
「ヴァレリウスって、あの大貴族の? どうしてそんな方が人が師匠を?」
「分からん。だが、どうやら思っていたよりも何倍も事が大きくなりそうだ」
ボルグは舌打ちをし、立ち上がった。
「嬢ちゃんたちはここから一歩も出るな。俺が戻るまで息を潜めてろ、いいな」
「どこへ行かれるのですか?」
「情報屋だ。この王都で、ヴァレリウス伯爵の息がかかってねえ、信用できる鼠が何匹かいる」
ボルグは長剣を背負うと、早々に扉から出て行った。
リーナは、その背中が消えた扉を見つめながら、師匠の安否を心配していた。
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イズミエールの警護の任についてから数日。ギデオンの中に、わずかな違和感が生まれ始めていた。
彼女は常に凛としていた。
粗末な食事を運んだ時も、彼女は気品を失わずにそれを受け取った。その振る舞いには、罪を犯した者の後悔も罰を恐れる怯えも微塵も感じられなかったのだ。
(罪の意識すらない極悪人なのか? それとも……何か、揺るぎない信念があってこの事態を受け入れているのか?)
その日、イズミエールは鉄格子の向こうから差し込むわずかな光が壁に映るのを、ただ静かに見つめていた。
本当にこの人物が、国を揺るがすほどの罪を犯したというのか?
ギデオンは思わず、彼女の横顔をまじまじと見ていた。美しい。年齢は三十代、いや、二十代後半と言われても違和感はないだろう。
「……看守殿」
静かな声に、ギデオンははっと我に返った。
「いえ! 見ていません!」
「一つ、質問よろしいですか?」
「え? あ、ああ。うむ。もちろんだ」
「私の弟子は、無事なのでしょうか?」
「……弟子? 弟子がいたのか。そのような者が捕らえられたという話は、聞いていないが」
「そうですか……」
イズミエールはそう言うと、心底安心したように微笑んだ。
(弟子の身を案じていたのか。 ……やはり悪人とはどうしても思えぬ)
その時だった。
地下牢に、複数の足音が響いてきた。ギデオンが振り返ると、そこに立っていたのは、ヴァレリウス伯爵だった。
「精が出るな、ギデオン卿」
「伯爵閣下。なぜ、こちらへ?」
「そうか、君にはまだ伝わっていなかったな。紹介しよう。こちら、今回の尋問を担当してくださる聖女セラフィナ様だ」
ヴァレリウスの背後から、純白の法衣に身を包んだ少女が静かに姿を現す。
「お初にお目にかかります。アイオン教会から参りました、セラフィナと申します」
にっこりとほほ笑むその姿は、まるで精巧な彫刻が動き出したかのようだ。
だが、その血のように赤い瞳は、ギデオンに本能的な忌避感を与えていた。