『傭兵ボルグと二つの正義』 - 2
その日の朝、王都の騎士団詰所は一つの噂で持ちきりだった。
「おい、聞いたか? 西区画の薬師が、中央の衛兵に連行されたらしいぞ」
「中央ってことは、ヴァレリウスの直属か。だとすると、本当に罪を犯したのか怪しいもんだな」
同僚騎士たちの下世話な噂話を、ギデオンは黙って聞いていた。
「―――ギデオン、お前も読んだか? この報告書を」
一人の年配騎士が、苦い顔で羊皮紙の写しを彼に手渡した。
「……ええ。今、目を通しました」
「にわかには信じられん。あのイズミエール殿が、反逆罪とは。ヴァレリウス伯爵の差し金らしいが、あの男の黒い噂は絶えんからな」
年配騎士はそう言って吐き捨てた。だが、ギデオンは静かに首を横に振る。
「ですが、法務卿が動かれた以上確たる証拠があるのでしょう。我々は王国の決定を信じ、自らの務めを全うするのみです」
「……お前は相変わらず馬鹿正直だな」
年配騎士の呆れたような言葉に、ギデオンは答えなかった。
王国の決定に一個人が疑念を挟むなどあってはならない。それが彼の揺るぎない信念だった。
その時だった。
「ギデオン殿、ヴァレリウス伯爵閣下から至急の呼び出しです!」
伝令兵の言葉に詰所の中が一瞬静まり返った。
ギデオンは静かに頷くと、一人立ち上がった。
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ヴァレリウス伯爵の執務室は、彼の権力欲をそのまま映したかのように、悪趣味なほどに華美だった。
「おお来てくれたか、ギデオン卿。我が王国最強の『盾』よ」
ヴァレリウスは蛇のような笑みを浮かべてギデオンを迎えた。
「単刀直入に言おう。貴公には先日逮捕した大罪人イズミエールの、特別警備責任者を命じる」
「……薬師一人を警護するために、私をですか」
ギデオンの声には純粋な疑問がこもっていた。
「そうだ。それほどに彼女は危険なのだよ。辺境で報告が上がっている『赤牙』の呪い、聞いたことがあるだろう?」
「魔物が異常なほどに狂暴化するというあの?」
「そうだ。実は、その元凶がイズミエールだという確かな証言を得てな。これがその資料だ」
「なんと……!」
ギデオンは資料を手に取り、息をのんだ。あの忌まわしい事件の元凶が、一人の薬師によるものだったのか。
「もし、彼女の知識が、王国を良く思わない者達の手に渡ったら、どうなると思うかね? 赤牙と化した魔物の大群が国家に押し寄せでもしたら……ああ、私は国民達のことが心配でたまらないのだ。だからこそ、王国で最も忠義に厚く、最も信頼の置ける騎士である貴公にこの大役を託したい。……国家の安寧のため、引き受けてはくれまいか?」
国家の安寧のため。
その言葉に、ギデオンの心はたぎるように熱くなった。
「―――勿論です、伯爵閣下。このギデオン、身命を賭して任務を全うする所存です!」
ギデオンは深く一礼した。
その愚直なまでの忠誠心に満ちた瞳を、ヴァレリウスが嘲るような笑みで見つめていたのを、彼は知る由もなかった。