『傭兵ボルグと二つの正義 』- 1
王都の路地は、迷路のように入り組んでいる。
石畳を叩くブーツの音と荒い息遣いだけが、月明かりの届かない闇の中を駆け抜けていく。
「はぁ、っ……はぁ! クレア、大丈夫!?」
「うん……っ、姉さん……!」
リーナは、妹の手を固く握りしめていた。背後からは衛兵たちのものらしき怒声と、甲高い警笛の音が執拗に追いかけてくる。
(なぜ私たちが……!?)
師の置手紙。踏み荒らされた温室。そして、あまりにも都合よく現れた、王都衛兵。
頭が混乱し、心臓が張り裂けそうだった。だが、彼女を支えていたのは、老門番の、あの真剣な眼差しだった。
『王都の西にある傭兵ギルドを訪ねなさい。そこにボルグという男がいる。』
その言葉だけを道標に、彼女は王都の西区画を目指していた。職人や少しばかり素性の知れない者たちが集まる、荒々しい活気に満ちた一画。傭兵ギルドはその中心にあるという。
どれほど走っただろうか。
やがて騒がしい音楽と屈強な男たちの怒声が混じり合った、一つの建物が見えてきた。掲げられた看板には交差した剣と斧の紋章。間違いない、傭兵ギルドだ。
リーナは息を整えると、クレアの手をもう一度強く握りしめ、重い木の扉を押した。
一瞬で、全ての音が止んだ。
酒場の喧騒は嘘のように静まり返り、中にいた全ての傭兵たちの値踏みするような視線が、場違いな姉妹に突き刺さる。
リーナはその視線に怯みそうになるのを奥歯を噛みしめてこらえ、カウンターで酒を注いでいた、大柄な男へと向かった。
「……あの。人を探しています。東門の門番の方に紹介されてまいりました」
ギルドマスターは、面倒くさそうに眉をひそめた。
「爺さんの紹介? どんな奴だ」
「……その、不愛想だけど信頼出来る方だと……お名前はボルグさんと聞いてます」
リーナがそこまで言うと、ギルドマスターははっと鼻で笑い、酒場中の傭兵たちもどっと下品な笑い声を上げた。
「信頼できるような人間は、こんなところに来ねえよ。なあ、ボルグ! お前もそう思うだろ?」
酒場の隅、最も暗い席にいた一人の男がゆっくりと顔を上げた。
使い古され無数の傷が刻まれた革鎧。その表情は石のように固く、全てを射抜くような鋭い瞳だけが暗闇の中で光っていた。
「……嬢ちゃん、爺さんに言っとけ。簡単に人を信じるなってよ。――用があるならそんなとこに突っ立てないで、ここに座んな」
リーナはクレアを背後にかばいながら、おそるおそる席についた。そして震える声でここに至るまでの全てを語った。
師の失踪。荒らされた店。そして、王都衛兵に追われていること。
ボルグは、腕を組みただ黙って聞いていた。その表情は石のように固く、何を考えているのか全く読み取れない。
リーナが話し終えると、ボルグは冷たく言い放った。
「断る。王都衛兵が相手だ? 面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ」
リーナは、唇を噛みしめた。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「ですが……!」
「死にたくなけりゃ、嬢ちゃんたちもあきらめろ。師匠もそれを望んでる」
ボルグの瞳が、剣のように鋭く光る。
だが、リーナはその瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「……師匠は、不当に捕らえられました。私には、師匠を救う義務があります。……あなたに断られても、私は一人でも行きます」
「……なぜ師匠が何も言わなかったと思う? おそらく、お前たちを逃がすためだ」
「分かっています。それでも――いや、だからこそ私は行きます」
ボルグは長い長い沈黙の後、忌々しげに舌打ちをした。
「……嬢ちゃん、金はあるんだろうな?」
その言葉にリーナの顔がぱっと輝いた。
「では!?」
ボルグは、その希望に満ちた瞳から、面倒くさそうに顔をそむけた。
「ちっ。あーあ。面倒なことに巻き込まれたもんだ」
彼は、懐から銅貨を数枚取り出すと、カウンターに叩きつけた。
「おい、マスター! こいつらに何か温かいもんを食わせてやれ。……話はそれからだ」
その声は相変わらずぶっきらぼうだったが、リーナにはその奥に温かみがあることに気が付いていた。