プロローグ 『監視者たちの見る空』
王都の東門を後にして、半刻ほど歩いただろうか。
エルフのレノーアとドワーフのウルは、振り返れば城壁がまだ見える丘の上で、足を止めていた。
「……お主の目にはどう見えた?」
ウルは、その幼い容姿からは想像もつかない、何百年もの時を経たような静かな声で言った。
レノーアの視線は、先ほど別れたばかりの東門に立つ、一人の老人の姿へ向いた。
「まあ、面白い爺さんではあるわね。ただ、世界のルールを覆えせるほどの力があるとは思えない」
門番、ヨハン。
ただの人間。刹那の時を生きる、矮小な種族。
彼の魔力の波動には、奇妙な温かさと重みがあった。だが、平凡な魔法使いに劣るほど、微小なものだ。
「うむ。だが、微小であるからこそ、かえってルールをひっくり返す原因となる。微小な可能性ではあるがの。」
「……ただの、祈りが?」
「ただの祈り、ではない。見返りを求めぬ、純粋な願いの果てに生まれる『理』の萌芽。そこに、一矢報いる可能性がある」
ウルの言葉が、丘の上の乾いた風に溶けていく。
その、瞬間だった。
まだ陽も高いはずの西の空が、まるで巨大な何かの影に覆われたかのように、急速に翳り始めた。穏やかだった風が止み、代わりに、地の底から這い上がってくるような、冷たく湿った空気が二人の肌を撫でる。
「……来たか」
ウルが、ぽつりと呟いた。
レノーアは、その空に広がる不吉な魔力の澱みに、眉をひそめた。それは、ただの魔物の瘴気ではない。もっと根源的で、冷たい意志。世界の生命そのものを「刈り取る」ための、巨大なシステムの鼓動。
「『鎌』が、振り下ろされようとしている。祈りの種を潰さぬよう、守ってやらなければならない」
「……ちょっと待って」
レノーアはその澱みの奥に、別のものを感じ取っていた。
懐かしく、そして、思い出したくもない古い痛みを伴う魔力の残滓。
(……まさか。そんなはずは、ない)
彼女は何百年も前に死んだはずの友の名を、心の中だけで呟いた。
―――ダリア。
「……少し別行動させてもらうわ、ウル。野暮用が出来たの」
レノーアはそう言い終わるや否や、梢に飛び上がり、あっという間に森の中へ消えていった。
「……では、ワシもいくとするか。今回こそ、悲劇の終焉となればよいが」
ウルはゆっくりと再び歩き始めた。
後に残された王都の空は、今にも泣き出しそうな、暗い鉛色に沈んでいた。




