『衛兵トビーと父の遺志』 - 7
衝撃音。
だが、トビーの身体に痛みはなかった。
彼がおそるおそる目を開けると、信じられない光景がそこにあった。
「グァァアアアア!!」
ゴブリンが眉間に短剣を突き立てられ、苦悶の声を上げて後ずさっている。
そしてトビーの傍らに、いつの間にかレノーアが立っていた。
「……な……」
「……今回だけ特別よ、人間」
その表情は、相変わらず氷のように冷たい。
だがトビーは何故か、微かな温かみを感じた気がした。
「……ぐ……ぎ……あああああッ!」
その言葉を遮るように、ゴブリンが絶叫した。
ゴブリンは、眉間の短剣を自らの手で乱暴に引き抜いた。
「あの傷でもまだ死なないのか? でも、さすがに時間の問題だ」
しかし、レノーアは戦闘態勢を崩すことなくつぶやく。
「いえ、まだよ」
レノーアの視線のその先で、ゴブリン傷口から、血の代わりにおびただしい数の赤い触手のようなものが溢れ出し、その身体に絡みついていった。筋肉が、骨が、軋みを上げて、その姿をより巨大で、凶悪なものへと変えていく。
「……なるほど。あれが『核』か」
レノーアが静かに呟いた。
「あれを仕留めない限り、この襲撃は終わらない」
「あれが、今回の元凶……」
「下がってて。私がやるわ」
だが、トビーはその言葉に逆らうように一歩前に出る。
「……俺が、やります」
「……何?」
トビーの足は、まだ微かに震えている。だが、その瞳にもう迷いはなかった。
「俺が、奴の足止めをします。その隙に決めてください」
「……分かったわ」
レノーアは、短くそう答えた。
トビーは再び盾を構え、変容した『核』へと対峙した。
「おおおおおおっ!」
雄叫びを上げ、彼は『核』へと突進する。
『核』は、無数の触手を槍のように束ね、鋭い速度でトビーへ強襲させる。
彼は、全身全霊の力を込めて、その一撃を盾で受け止めた。
ゴッ、と骨まで砕くような衝撃。
彼の盾に蜘蛛の巣のようなひびが入り、砕け散る。
衝撃が彼の全身を駆け巡る。内臓が破裂するかのような激痛が走る。
だが、彼は立っていた。
膝は折れていない。
そのほんの一瞬。
『核』の動きが、確かに止まった。
その一瞬を。
レノーアは見逃さなかった。
緑色の閃光が地を駆ける。
四方に広がった触手がレノーアに襲い掛かる。
閃光と化したレノーアが触手の隙間を縫うように駆ける。触手がレノーアの頬を掠め、血の花が咲いた。が、レノーアは意に介さない。
レノーアは速度を落とさず『核』の中心に迫る。
そして、心臓部を正確にナイフを突き立てた。
『核』は、断末魔の叫びを上げることなく、その巨体を維持できなくなったかのように、泥へと還っていった。
司令塔を失った魔物の群れは統率を失い、ただの烏合の衆と化した。残りは、駆けつけてきた町の衛兵たちが、難なく掃討していく。
トビーは緊張の糸が切れ、その場に膝から崩れ落ちて地面に横たわった。
遠のく意識の中、レノーアが自分の元へと歩み寄ってくるのが見える。
「まったく、弱いくせに無茶をする。……だが、見直した」
その声には、いつものとげとげしさがなくなっていた。
トビーは、「らしくないですね」と言おうと思ったが、僅かに口が動いただけで、声にならなかった。
彼女の手がすっと延ばされ、そっとトビーの頬に触れる。
(……温かい……)
それが、トビーが闇に落ちる前に感じた、最後の感覚だった。




