『衛兵トビーと父の遺志』 - 3
レノーアとの奇妙な旅が始まってから、一週間が過ぎた。
その夜、二人は森の中の開けた場所で野営をしていた。焚火の炎が、二人の間に広がる気まずい沈黙を、静かに照らしている。
トビーは、ただ無心に、火の中に枝をくべていた。隣で大樹に身を預けるレノーアは、その表情を闇に溶かし、何を考えているのか窺い知れない。
沈黙を破ったのは、意外にも、レノーアの方だった。
「あなた、なぜ衛兵になった?」
その問いは、あまりにも唐突で、静寂を鋭く切り裂いた。トビーは、驚いて顔を上げる。
「……生活のため、です。それ以外に、理由は……」
「嘘ね。あなたの瞳は、何かをずっと探している。……あるいは、何かから、ずっと逃げているように見える」
「……!」
トビーは言葉に詰まった。この『古の人』には、何もかもお見通しなのか。
彼は、観念したように、ぽつり、と呟いた。
「……父が、衛兵でしたので」
「あなたの父も、英雄だったのかしら」
レノーアの言葉に、皮肉が混じる。
「まさか」と、トビーは自嘲するように笑った。「私の父は、ただの愚か者でした。手柄を焦って、無駄死にした、どうしようもない……」
そこまで言って、彼は口を噤んだ。脳裏に、封印していたはずの記憶が蘇る。
父に盾の使い方を教わった、あの夏の日。あの頃は、父の背中が世界で一番大きく見えた。
「……愚かな男でした。結局、その盾で自分自身を守れずに死んだのですから」
トビーの声は震えていた。彼は、目の前のエルフに向かって、挑むように言った。
「……あなたのような、『永い人』には、分からないでしょう。俺たち人間が、どれだけあっけなく死んでいくか」
その言葉に、レノーアはほんの僅かに表情を揺らした。
「……ダリア」
静かで、しかし、悲しみを湛えた声だった。
トビーは怪訝な顔をする。
「え……?」
「友の名前よ。前回の『災厄』を防ごうと、魔王討伐に立ち上がったメンバーの一人」
「前回の魔王を討伐? そんな話は聞いたことがありません」
魔王に関する話は協会の聖典に書かれてはいるが、神の御業によって討ち滅ぼされたという神話しか、聞いたことが無い。
「三百年も前の話よ。 私、ダリア、そして勇者レイブンの三人で旅をしていた」
「その方々は、今はもう?」
「……レイブンはどうなったのか分からない。ダリアは……死んだわ。殺されたのよ」
その声には、何の感情も乗っていなかった。ただ、事実を告げるだけの空虚な響き。それが、かえってトビーの胸を締め付けた。
「……殺されたということは……魔族に?」
「……さあ。どうだったかしら」
レノーアは、興味無さげに視線を焚き火に戻す。だが、その瞳の奥には、底知れぬ闇があった。
「覚えているのは……凱旋のパレードなんて無かったということ。ダリアの亡骸を抱えて泣き叫ぶ勇者レイブンの姿。……それだけよ」
彼女は、焚火の炎を睨みつけた。
「ここ数年よ。その記憶が蘇ったのは。『まだ終わっていない』『魔王はまた来る』……そんな、嫌な予感だけが鮮明になっていく」
「それが……レノーア様が旅をしている理由ですか。魔王から人々を救うための旅を?」
「……確かめたいだけよ。この胸騒ぎがただの妄想なのか、それとも……」
レノーアはそこで言葉を切ると、頭を振って痛みを追い払った。そして、いつもの冷徹な仮面を被り直す。
「……忘れて。ただの独り言よ。私は真実を究明したいだけで、あなたたち人間に干渉するつもりは無い。たとえそれが、どんなに無残なものであっても」
彼女はそう言うと、再び、石像のような無表情に戻り、森の闇へと視線を移してしまった。
トビーは、何も言えなかった。
彼女の絶望に触れたことで、彼の心はこれまでにないほどかき乱されていた。
死。喪失。遺された者の痛み。それは、エルフも人間も同じなのだ。
その感情が、彼の指を懐の革袋へと導いた。
(ヘクトル卿……。あなたも、息子さんがいた。……あなたは、最後に何を伝えようとしたんだ?)
彼は震える手で革袋から封蝋された手紙を取り出すと、その封をそっと切った。




