『測量士アーニャと心の地図』 - 1
老航海士アストルがその魂を約束の場所へと還してから季節は巡り、王都には緑が芽吹く春が訪れていた。
東門の周りでは新しい生命の息吹が満ちている。
その日の昼下がり、一人の若い学者が慌てた様子でヨハンの元へ駆け込んできた。
ヨハンはその顔に見覚えがあった。数年前、彼の師である老学者アルバスを同じように心配し、見送りに来ていた一番弟子のエリオットだった。
「……エリオット殿か。久しぶりだな。息災だったか」
「門番さん! ええ、私は、何とか。それよりも、大変なんです! 僕の同僚のアーニャさんが、一人で霧の湿地帯へ行ってしまった!」
数年の時を経て少しだけ逞しくなったエリオット。だがその瞳に浮かぶ真摯な憂いの色は、あの頃と少しも変わっていなかった。
「霧の湿地帯……。確か、人を惑わす森だとか」
エリオットは悔しそうに唇を噛んだ。
「……また同じなんだ。私の師アルバス様も、そうでした。……一つの真実を前にした時、学者は周りが見えなくなる。アーニャさんの今の瞳は、あの頃の師と同じ、あまりにも純粋で、危うい光を宿しているのです。だから、心配でたまらないんだ」
「そうか、それは心配だな」
「僕では彼女を止められなかった。……だが門番さん、あなたの噂は聞いている。どうか彼女の無事を祈ってはもらえないだろうか」
ヨハンはエリオットの真摯な瞳に静かに頷く。
そして彼が指し示す北の方角をじっと見つめ、これまで一度もしたことのない祈りを捧げた。
目の前にいない旅人のために。
「……アーニャの物差しが、本当に測るべきものの大きさを、見つけられるように祈っている」
エリオットが深々と頭を下げ感謝の言葉と共に去っていった後、ヨハンの脳裏に声が響いた。
《スキル【見送る者】が発動しました。対象者アーニャ(代理祈願)に、祝福『描いた地図のインクがほんの少しだけ早く乾くようになる』を付与しました》
ヨハンは驚きと共にその言葉を反芻する。
(……代理祈願……? わしの祈りはもはや、目の前にいない者にまで届くようになったというのか……)
彼はアーニャが向かった北の空を見上げた。
論理という名の物差しで世界の全てを測ろうとする一人の娘。
彼女がその旅の果てにどんな「地図」を描くことになるのか。
それはきっと彼女自身もまだ知らない。




