『老航海士アストルと約束の島』 - 3
東門を出たアストルは一路、東の港町へと向かった。
その足取りは老いを感じさせないほどしっかりとしており、迷いは一切なかった。
彼の頭の中にはただ一つ。
ソフィアとの約束と彼女の待つ伝説の島のことだけがあった。
数日後、彼は港町にたどり着いた。
そこは彼が若い頃、ソフィアと共に過ごした思い出の場所。活気のある波止場、カモメに似た塩鳥の鳴き声、そして潮の香り。
彼はまず、市場の果物屋の前で足を止めた。店先には、ソフィアが好きだった真っ赤なリンゴが、山と積まれている。
ーー「ねえ、アストル。見て、このリンゴ。まるで夕日の色ね」
そう言って、無邪気に笑う彼女の顔が浮かぶ。
彼はそのリンゴを一つ買うと、船着き場へと向い、自分がこれから乗るべき船を探し始めた。
やがて、彼は一人の頑固そうな年老いた船大工の前で足を止めた。
「……この舟を譲ってもらえんか」
船大工はアストルのそのあまりの老いさらばえた姿に、怪訝な顔をした。
「冗談だろう、じいさん。死にたいのか」
「最後の航海に出る」
アストルはただそれだけを言うと、懐から古い海図を広げて見せた。そこには『暁の庭園』という伝説の島が記されていた。
船大工は大きくため息をつくと、言った。
「……やめておけ。あんたが若いころどれほどの腕だったかは知らん。だが今のあんたに一人で外海へ出るのは無謀だ。それにその島はただのおとぎ話だ」
その言葉を聞いた瞬間。
それまでどこか夢の中にいるようだったアストルの瞳に、鋭い光が宿った。
彼の丸まっていた背筋がぴんと伸び、その佇まいはまるで三十代の壮健な船乗りのそれへと変わっていた。
船大工は目の前で起きている奇跡に息をのんだ。
そこにいたのはただの老人ではない。かつて海に君臨した伝説の航海士、その人だった。
「……船乗りにはな、前も後ろもねえ。あるのはただ、今だけさ」
その声は若々しく、そして絶対的な自信に満ちていた。
その姿見た船大工の顔色が変わった。
「まさかあんた、『大渦のアストル』か……?」
船大工もまた、海の男だった。子供の頃祖父から何度も、その武勇伝を聞かされていた。
アストルはただ黙って頷いた。
その様子は、先ほどまでの姿は噓だったかのように、また元の弱々しい老人に戻っていた。
船大工はしばらく言葉を失っていた。
だがやがて意を決したように口を開いた。
「……分かった。……金はいらねえ。どうせこの舟ももう長くはない。……その代わり、必ず生きて帰ってくれ。あんたは俺たち船乗りの誇りだ」
アストルは深く頭を下げた。
船大工はそんな彼を手伝い、食料と水を積み込んだ。
「……達者でな、船長」
アストルは一度も振り返ることなく帆を上げ、外海へと乗り出していく。
その姿を船大工はただ黙って見送っていた。
彼の船はまるで何かに導かれるように、一直線に水平線を目指していた。
約束の島へ。
そしてソフィアの待つ場所へ。




