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『料理人グスタフと空っぽの皿』 - 3

 三日経っても客はゼロ。

 完膚なきまでに打ちのめされたグスタフ。彼のプライドはズタズタに引き裂かれていた。

 全てを諦めかけ、屋台を仕舞おうとしたその時だった。


 一人の少女が、彼の屋台の前に静かに立っていた。

 歳の頃は十歳ほど。だがその雰囲気は人間の子供とは明らかに違っていた。

 どこまでも澄んだ音のなる銀の装飾をつけた神秘的な服。その瞳はまるで何百年も生きてきたかのように深く、そして全てを見通しているかのようだった。

 この港町に古くから住み着いているという守護人、ドワーフの娘だった。


 少女はグスタフの作った美しい料理をじっと見つめていた。

 そして古の言葉で静かに告げた。


「……おぬしの料理は泣いておる。それがすべてじゃ」


 その言葉の意味がグスタフには理解できなかった。

 だが、彼はその少女の姿を見て、はっと息をのんだ。

 子供の姿でありながら、何百年も生きてきたかのような、深い叡智を湛えた瞳。一歩歩くたびに澄んだ音を立てる、神秘的な銀の装飾。

(……まさか。このお姿は、この港町を守るという『守護人』……。確か、その名は、ウル様)


 伝説の存在を前に、グスタフは畏敬の念で身を固くした。無礼があってはならない。彼は、深く頭を垂れた。

「……ウル様。……今、なんと?」


 グスタフがそう問い返しても、少女――ウルは、首を横に振るだけだった。

 そして、ふふ、と、まるで老賢者のように微笑んだ。

「おぬしの料理がなぜ泣いておるか。それは、おぬしが自ら見つけることじゃ。……悩め、人の子よ。その苦しみの先に、答えはある」


 ウルは、一度、空を見上げた。


「……それが、やがて来る『闇』を退ける、鍵となるやもしれぬ」


 そう言い残すと、彼女は静かに踵を返し、夕暮れの雑踏の中へと、その小さな姿を溶け込ませていった。


 後に残されたのはグスタフと、誰の口にも入ることのなかった完璧で空っぽな料理だけだった。


「……泣いている、だと……? 一体どういうことだ……」


 その夜グスタフは酒場で一人浴びるように酒を飲んだ。

 ウルの言葉が頭から離れない。

 そして彼の脳裏に浮かぶのはマテオの食堂のあの賑わいと、客たちの幸福そうな笑顔だった。


 酒場の樽が空になる頃、彼は千鳥足で夜の通りに出た。

 冷たい夜風が火照った顔に心地よかった。

 町は静まり返っている。だが、一か所だけ、煌々と明かりが灯っている場所があった。

 マテオの食堂の、厨房だった。


 グスタフは、まるで何かに引き寄せられるように、その窓に近づいた。

 中ではマテオが一人黙々と、明日の仕込みをしていた。

 山のように積まれた野菜を、ただひたすら同じリズムで刻んでいる。

 その横顔は疲れてはいたが、どこか満足気で穏やかだった。


 その光景が、グスタフの心の最後の何かを破壊した。

 嫉妬。焦燥。そして自己嫌悪。

 ぐちゃぐちゃになった感情のままに、彼は厨房の裏口の扉を蹴破った。


「……教えろマテオ! 何が違う! 俺の料理とお前の料理、一体何が違うんだ!」

 突然の乱入者に驚くマテオの胸ぐらを掴むと、壁に叩きつけた。


「俺の方が技術も知識も上のはずだ! それなのになぜお前の店ばかりが繁盛する! 俺の料理が笑われているだと!? ふざけるな!」


「……グスタフ」

 マテオはようやく声を絞り出した。

「僕は君みたいに料理がうまくないからね。誰かの店に勝ちたいとか、そんなことは考えたこともないよ。ただ……」


 彼は真っ直ぐにグスタフの目を見て言った。


「ただ店に来たお客さんの笑顔が見たい。……それだけなんだ」


 そのあまりにも飾り気のない言葉。

 それがグスタフの心の、一番硬い部分に深く突き刺さった。

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