『老鍛冶ウルリクと魂の鉄』- 3
ウルリクは、村人たちの視線を背に、黙って山へと入っていった。
目指すは、幼い頃に祖父から聞かされた、幻の鉱石『星降りの鉄』が眠るという廃鉱山。そこが、彼の死に場所だった。
山道は、もはや道と呼べるものではなかった。人の往来が途絶えて久しいのか、茨や粘り強い蔦が道を覆い尽くしている。
彼は鉈でそれを払いながら、一歩、また一歩と、慎重に足を進めた。冷たく湿った空気が、肺を刺す。時折、こらえきれない咳が漏れ、そのたびに、彼の老いた身体は大きく揺れた。
数日間、山を彷徨った。食料は、道端で見つけた食用の木の実と、干し肉の切れ端だけ。夜は岩陰で、凍える身体を丸めて眠った。
夢を見る。それは、決まって十年前の、あの日の夢だ。
王都の練兵場で、自分が打った「完璧な剣」を、希望に満ちた瞳の騎士アランに手渡す光景。そして、その数年後、血に濡れたその剣を手に、狂気の笑みを浮かべるアランの姿。悲鳴と、炎と、絶望。自分の魂の最高傑作が、世界を呪う最悪の凶器へと変わってしまった、あの日の光景。
そのたびに、彼は、うなされて目を覚ました。心臓は、氷の手に掴まれたように、冷たく、そして固く縮こまっていた。
そして、ついに彼は、目的の廃鉱山の入り口にたどり着いた。
そこは、不気味なほどに静かだった。風の音すら、吸い込まれていくような、絶対的な沈黙。彼は、松明に火を灯すと、覚悟を決め、その暗闇の中へと足を踏み入れた。
鉱山の奥深くで、彼は、それを見つけた。
坑道の突き当り。岩盤に、まるで夜空の一部をそのまま切り取って埋め込んだかのように、それはあった。
青白い、星々のような光を、内側から放つ鉱石。幻の『星降りの鉄』。
そのあまりの美しさに、ウルリクは、しばし、言葉を失った。
これだ。これさえあれば、俺の生涯の、本当の最高傑作が作れる。あの呪われた『裏切りの銀閃』さえも、霞んで見えるほどの、完璧な、虚無の剣が。
彼は、持ってきた道具で、その鉱石を慎重に掘り出した。そして、鉱山の入り口まで戻ると、持参した小さな炉に火をおこし、槌を手に取った。
だが、なぜか、槌は、ずしりと重かった。柄は、しっくりとこなかった。心が、燃えないのだ。
彼の脳裏をよぎるのは、村人たちの、あの絶望に満ちた顔。壊れた鍬を、悲しそうに見つめていた、小さな子供の瞳。
「……何故だ」
ウルリクは、呟いた。
「俺は、何のために、鍛冶師になったんだ……?」
かつて、彼は、人々の笑顔のために、槌を振るっていたはずだった。自分の打った包丁で、美味いものができたと笑う母親の顔。自分の作った鍬で、畑が豊作になったと喜ぶ農夫の顔。
あの「完璧な剣」が、全てを狂わせた。
自分の技術、自分の誇り、自分の魂。その全てを注ぎ込んだ結果が、あの地獄だった。ならば、俺のやってきたこと全てに、意味などなかったのではないか。
ウルリクは、『星降りの鉄』を前に、ただ、立ち尽くした。
その時だった。彼の脳裏に、王都の門番の、あの静かな声が、ふと蘇った。
『あんたの槌が、最高の音を奏でることを祈っている』
最高の音、か。
ウルリクは、ふっと、自嘲するように笑った。人を殺すための剣を打つ音が、最高の音であるはずがない。アランの悲鳴を、人々の絶叫を、呼び覚ます音が。
では、最高の音とは、何だ?
彼は、ゆっくりと、天を仰いだ。
そして、静かに、決意した。
ウルリクは、その場に、夜空のように輝く『星降りの鉄』を、そっと置いた。
まるで、長年連れ添った友に別れを告げるように、一度だけ、その冷たい表面を撫でると、彼は、ゆっくりと踵を返し、山を下り始めた。
彼が向かったのは、村の、あの、寂れた鍛冶場だった。
彼が鍛冶場の前に立つと、何事かと、村人たちが、遠巻きに集まってきた。
ウルリクは、彼らに向かって、しわがれた声で、しかし、はっきりと告げた。
「……使えなくなった、鉄クズを集めてきてくれ。農具でも、鍋でも、何でもいい。ここに、あるだけ、持ってこい」
村人たちは、戸惑いながらも、やがて、それぞれの家から、錆びつき、折れ曲がった鉄の塊を、次々と運び出してきた。
ウルリクは、その鉄クズの山を前に、ただ、静かに頷くと、黙って炉に火を入れ始めた。
そして、彼は、自分の相棒である槌を、強く、握りしめた。
不思議なことに、今度は、あの槌の柄が、まるで自分の身体の一部であるかのように、すっと、その手に馴染んだ。