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『老鍛冶ウルリクと魂の鉄』 - 2

 ウルリクの旅は、彼が想像した以上に過酷なものだった。


 王都を出て数日もすれば、人の手で整えられた街道は終わりを告げ、獣道に近い、ぬかるんだ土の道が延々と続く。北へ向かうにつれて、吹き付ける風は刃のように鋭さを増し、着古した外套の隙間から侵入しては、老いた身体の芯まで容赦なく凍えさせた。


 野宿の夜は、燃えさしのような小さな焚火に身を寄せ、何度も激しく咳き込んだ。固いパンを冷たい水で流し込むだけの食事が、何日も続く。骨の節々が軋み、一歩進むごとに、己の肉体が死へと近づいていくのを、彼は確かに感じていた。


 ある夜、焚火の心許ない光を見つめながら、彼は十年前の、あの日のことを思い出していた。

 王都の練兵場。彼は、自らが打った生涯の傑作を、一人の若い騎士に手渡していた。陽光を浴びて白銀に輝く、完璧な剣。それを受け取った騎士、アランは、希望に満ちた瞳で言った。


「ウルリク殿。この剣に誓おう。私は、この剣で、王国の平和と正義を守り抜くことを」


 その言葉に、その瞳に、ウルリクは一点の曇りも感じなかった。自分の魂の全てを注ぎ込んだ剣が、最高の主を得たのだと、心から誇りに思った。

 ――その、わずか数年後に、あの剣が『裏切りの銀閃』と呼ばれ、王都で最も多くの血を吸うことになるとも知らずに。


 一度などは、飢えた山犬の群れに襲われた。彼は錆びた鉈で辛くも追い払ったが、その夜は震えが止まらなかった。アランが、あの剣で、人を斬り裂いていた時のように。


 それでも、彼の足は止まらなかった。彼の心を支えていたのは、希望ではない。自らの呪われた人生に、自らの手で幕を引くという、ただ一つの、冷たい執念だけだった。


 数ヶ月後、彼はボロボロになりながらも、ついに故郷の村へとたどり着いた。

 だが、彼を迎えたのは、懐かしい思い出の風景ではなかった。村は、死にかけていた。


 痩せた土地は数年にわたる冷害に打ちひしがれ、畑には作物の姿もまばらだ。家々の屋根はところどころ崩れ落ち、壁には魔物の爪跡が生々しく残っている。


 彼は、一人の母親が、鍋の中の、根菜の切れ端が数個浮いているだけの薄い汁を、ただ、呆然とかき混ぜているのを見た。子供たちは、家の軒下で、寒さから身を守るように、ただ、じっとうずくまっている。その瞳には、子供らしい輝きは、ひとかけらもなかった。

 そして、ウルリクは気づいた。彼らの手にある農具が、どれもこれも、ひどい状態であることに。刃は欠け、柄は折れ、もはや土を耕すことさえままならない。これでは、畑が実らぬのも当然だった。


 ウルリクが王都で名を馳せた鍛冶師だと知った村長が、震える足で彼の前に進み出た。その顔は、土の色をしていた。


「ウルリク殿……。まさか、生きておられたとは。見ての通り、我らはもう……。このままでは、冬を越せずに、皆、飢え死にするしかない。最後にこの村で打たれた鍬は、もう十年も前に壊れてしまった。どうか、お願いだ。そのお力で、我らの道具を打ち直してはいただけないだろうか。礼は、来年の収穫で、必ず……。いや、来年の収穫があるかどうかも……」


 その言葉は、懇願というより、ほとんど悲鳴に近かった。


 だが、ウルリクの心は動かなかった。彼の瞳は、村長の背後で、力なく家に寄りかかる老人たちを、冷たく見つめていた。


(……無駄だ)


 彼の心に、十年前のあの光景が、鮮やかに蘇る。アランの、あの希望に満ちた瞳。それが、狂気と野心に染まっていく様。そして、自らが打った「完璧な剣」が、罪なき人々の血を吸い、阿鼻叫喚の地獄を生み出した、あの光景が。


(俺が道具を作ったところで、どうなる。こいつらを助けたところで、どうなるのだ。どうせ、また、より大きな力に奪われ、踏みにじられ、悲劇が生まれるだけだ。俺の『創造』は、人を活かしはしない。人を殺すための、呪われた業なのだから)


 彼は、自らの心を、固く閉ざした。優しさや同情は、さらなる悲劇を生むだけだ。


「断る」


 ウルリクは、冷たく言い放った。


「俺は、俺の最後の仕事のために、ここへ来た。お前たちのための道具を打つ気はない」


 村長の顔から、最後の希望の光が消えた。ウルリクは、その絶望の表情を背に、黙って山の方角へと歩き始めた。幻の鉱石『星降りの鉄』が眠るという、死に場所へ。


 背後で、誰かが嗚咽を漏らす声が聞こえた。だが、彼は一度も振り返らなかった。振り返ってはいけないと、自分に強く、言い聞かせながら。

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