『踊り子ミラと一番星のステップ』 - 5
祭りの熱気が冷めやらぬ、その夜。
ミラは一人、納屋の暗がりでただ静かにリュートを抱きしめていた。指先に残る弦の感触が、忘れていた熱を心の奥底に静かに灯している。
そこへ、テオが息を切らして駆け込んできた。
「お姉さん! いた! 本当に、本当にありがとう! あの子、俺の演奏、すごく喜んでくれたんだ!」
「……そう。よかった」
「きのう、リュートを弾いてる時、すごく楽しそうだった。それに、お姉さんの足、ずっとリズムを刻んでたよ。……まるで、踊っているみたいだった」
言われて初めて、ミラは自分の無意識の行動に気づいた。凍てついていたはずの身体が、音楽に応えて、自然とステップを踏んでいたのだ。
「ねえ、お姉さん。お姉さんが踊ったら、きっと、すごく綺麗なんだろうなって思ったんだ。どうして、踊らないの?」
テオの悪意のない純粋な言葉。
それがミラの心の最後の氷を、静かに溶かした。
そうだ。私は踊り子だ。兄がその声を失っても、私が踊ることをやめてしまっては、兄の歌も本当に死んでしまう。
「……ありがとう、テオ。あんたのおかげで、目が覚めた」
ミラは三年間心の底から忘れていた、穏やかな笑みを浮かべた。
次の日の朝、ミラは旅の支度を整えていた。彼女は、この村を去ることに決めたのだ。
見送りに来たテオに、彼女は書き留めておいたあの歌の正しい楽譜を手渡した。
「これは、お礼。がんばってね」
今度の旅はもう、逃げるための旅ではない。失ったものを取り戻し、そして新しい自分の踊りを見つけるための旅だった。
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それから、ちょうど一年が過ぎた秋のことだった。
東門に、一人の女旅芸人が現れた。その顔には自信と、そして未来への確かな希望が満ち溢れている。
ヨハンは、彼女がかつて見送ったあの虚ろな瞳の踊り子であるとすぐに分かった。
「こんにちは、門番さん。また、お世話になります」
「おかえり、嬢ちゃん。良い顔になったな」
「はい」と、ミラは誇らしげに腕の中のリュートを見せた。
「この人と、もう一度旅をすることに決めたんです。今度は、私がこの人を色々な場所に連れて行ってあげたくて」
「そうか。……歌は、見つかったのかい?」
ヨハンの問いに、ミラは静かに首を横に振った。
「いいえ。まだ、歌えません。ですが……目指すべき一番星は、見つかりました」
彼女はそこで言葉を切ると、くるり、とその場で一つ舞ってみせた。
それは、ほんのささやかなステップ。だが、そこには悲しみを乗り越えた、力強い喜びが満ち溢れていた。
「また、踊れるようにはなりました。少しずつ、自分のために」
ヨハンは、満足そうに頷いた。
「いってらっしゃい、ミラ。あんたの踊りが、多くの人の心を照らすだろう」
「はい! いってまいります!」
ミラは晴れやかな顔で一礼すると、今度は、東へと、新しい旅路を歩き始めた。
その後ろ姿を見送った後、ヨハンの脳裏にいつもの声が響いた。
《ピーン! スキル【見送る者】のレベルが43に上がりました》
《獲得済みの能力『見送った者の踏むステップが、ほんの少しだけ軽くなる』が【強化】され、能力名が『見送った者の踊りが、観る者の心に届きやすくなる』へと変化しました》
ヨハンは、彼女が去っていった東の空を見上げた。
止まっていた時間が再び動き出す。喪失の悲しみは決して消えることはないだろう。だが、人はその悲しみを抱えたまま、それでも新しいステップを踏み出すことができるのだ。
彼は、そう、静かに思った。




