『踊り子ミラと一番星のステップ』 - 1
本当に、すごくたくさんの方が見に来てくれて、ありがたい!
何かしてあげたい気持ちでいっぱいですが、私には文章を書くことくらいしかできませぬ。
とういうことで、今回はミラの旅となります。少しつらい旅路ですが、見守っていただけると幸いです。
公女セレスティーナが自らの道を誇らしげに歩み始めてから、王都は短い秋を謳歌していた。空はどこまでも高く澄み渡り、乾いた風が門前のポプラ並木を揺らして、金色の葉を舞い散らせる。ヨハンの日常は、相も変わらず門に立ち、人々を見送ること。ただ、彼の祈りが宿した理は三つを数え、その存在はもはやただの門番という枠には収まりきらない、静かな何かになりつつあった。
その日の昼下がり、門から出ていこうとする一人の若い女に、ヨハンは思わず声をかけた。
彼女は、これまでの誰とも違っていた。旅人ではない。荷物らしい荷物もなく、ただ、その身一つ。着ているのは色褪せてはいるが、仕立ての良い、かつては舞台衣装だったと分かる踊り子の服。しかし、その瞳はまるで光を失ったガラス玉のように虚ろで、道端の石ころと、道の先に広がる世界の区別さえついていないようだった。
「嬢ちゃん、どこへ行くんだい」
ヨハンの問いに、女――ミラは、壊れた人形のように、ゆっくりと顔を上げた。その顔立ちは驚くほど整っているが、そこからは一切の感情が抜け落ちている。喜びも、悲しみも、怒りさえも。
「……さあ。どこか、遠くへ」
その声は、秋風に消えてしまいそうなほどか弱かった。
彼女の腕には、美しい螺鈿細工が施された上質なリュートが、まるで亡き人の亡骸のように抱えられていた。だが、彼女はその楽器に一度も触れようとはしない。それどころか、その存在を忌み嫌うように、しかし、手放すこともできずに、ただ固く抱きしめている。
「そのリュートは弾かないのかい? 素晴らしい業物に見えるが」
ヨハンの言葉に、ミラの肩がびくりと震えた。彼女は一度、腕の中のリュートに、憎しみに似た視線を落とした。そして、ぽつりと、消え入りそうな声で呟いた。
「……これは、私のものじゃないんです」
ヨハンは悟った。彼女は何かを、あるいは誰かを失ったのだ。そして、その喪失が、彼女の全てを奪ってしまった。彼女の瞳には未来も過去も何も映っていない。ただ、時間が止まってしまった、空っぽの今があるだけだ。
このまま見送れば、彼女はどこかの町で、雨に打たれるまま、風に吹かれるまま、静かに朽ちていくだろう。
ヨハンは、彼女にかけるべき言葉を探した。
頑張れ、ではない。元気を出せ、でもない。今の彼女には、どんな励ましの言葉も、意味をなさずにその心を滑り落ちていくだけだろうから。
彼は、ただ一つの事実を、これまでで最も優しい祈りと共に、告げることにした。
「嬢ちゃん。いつかあんたの心が、もう一度踊りたいと叫ぶ日が来る。……今は、信じられないかもしれんが、必ず、来る」
ミラの虚ろな瞳が、ほんの少しだけ、揺れた気がした。
「その時まで、どうか、達者でな。……いってらっしゃい」
ミラは何も答えなかった。ただ、ふらりとした、おぼつかない足取りで門をくぐり、あてもなく西へと続く道を歩いていった。その姿は、まるで糸の切れてしまった操り人形のようだった。
その後ろ姿を見送りながら、ヨハンの脳裏に、静かな声が響いた。
《スキル【見送る者】が発動しました。対象者ミラに、祝福『踏み出すステップが、ほんの少しだけ軽くなる』を付与しました》
ヨハンは彼女が去っていった道を、その姿が見えなくなるまで、いつまでも見つめていた。
彼女の心が再び音楽と共に震える日が来ることを。
そしてその凍てついた足が、もう一度、大地を蹴って空へと舞い上がる日が来ることを。
ただ、ひたすらに祈っていた。




