公女セレスティーナと道化の知恵 - 2
生まれて初めてセレスティーナは自分の足で土を踏みしめていた。
王都を出て十日も経たぬうちに財布は空になった。三日間何も口にしていない。空腹が胃を雑巾のように絞り上げる。彼女は雨露をしのげる橋の下で、惨めにうずくまっていた。
自由とはこれほどまでに過酷なものだったのか。涙さえもう出なかった。
その時だった。
「あら、お嬢さん。どうかなさったの?」
声をかけてきたのは人の良さそうな、ふくよかな婦人だった。その手には温かいスープが入った器が握られている。
「もしお困りでしたら私のところへいらっしゃいな。『乙女たちのための救済院』を営んでいるの。食事も寝床も、ささやかな仕事も用意してあげられますよ」
その言葉は地獄に垂らされた蜘蛛の糸のように、セレスティーナには思えた。
「本当……ですか……?」
「ええ、本当よ。さあ、こちらへ」
婦人が優しく手を差し伸べ、セレスティーナがその手を取ろうとしたまさにその瞬間だった。
「――おっと、そこの奥さん。そいつは早計ってもんじゃねえかな」
横から怠惰な、しかし妙に響く声が割り込んだ。見ればひょろりとした男が、腕を組んで壁に寄りかかっている。よく見れば整った顔立ちをしているが、人の軽そうな表情がすべてを台無しにしている。
婦人は一瞬ぎくりとした顔をしたが、すぐに作り笑顔を浮かべた。
「なんです、あなたは。この哀れな子を助けようとしているだけじゃありませんか」
「へえ。『救済院』ねえ」
男はにやりと口の端を吊り上げた。
「『乙女たちのための』ってのがまた涙を誘うねえ。だが、あんたのそのやり口は『人買い』の常套句なんだよ。可哀そうな子羊を甘い言葉で誘い込んで、裏社会に売り飛ばす。……俺が昔さんざん使った手だ」
婦人の顔から血の気が引いた。
「な、何を言うんだい! 言いがかりはよしてもらおう!」
「言いがかり? じゃああんたの服の袖口に隠してるその眠り薬は何だ? 衛兵を呼んで調べてもらってもいいんだぜ?」
男の言葉に婦人は完全に狼狽した。彼女は忌々しげに舌打ちをするとセレスティーナを睨みつけ、足早にその場を去っていった。
後に残されたのは呆然とするセレスティーナと、面倒くさそうに頭を掻く男だけだった。
「……お嬢様。あんた、本物の馬鹿か?」
男は冷たい目でセレスティーナを見下ろした。
「今の話を聞いてなかったのか? あんたは今売り飛ばされる寸前だったんだ。少しは人を疑うことを覚えな」
「で、ですが……あなたは、なぜ……」
「勘違いするな。昔の自分を見てるようで、寝覚めが悪かっただけだ」
男――フィンは懐から硬くなったパンを一つ取り出すと、それを無造作にセレスティーナに放り投げた。
「そいつを食ったらとっとと家に帰れ。あんたのいるべき場所はこんな埃っぽい路地裏じゃねえ」
フィンはそう言うと踵を返して去って行こうとした。
「待って!」
セレスティーナは思わず叫んでいた。
「……私には帰る場所はないのです。どうか、私に、生きるための方法を教えてください!」
彼女は生まれて初めて自分の意志で、誰かに頭を下げていた。
フィンはしばらく黙って彼女を見つめていたが、やがて深いため息をつくと観念したように言った。
「……本当に、どうしようもねえお姫様だな」
基本的に再登場はやらない予定なんだけど、フィン君は僕のお気に入りなので再出演! 皆さんは再登場についてどう思います? 感想欄で教えてもらえると嬉しいです!




