公女セレスティーナと道化の知恵 - 1
騎士ギデオンが王都へ帰還してから季節は巡り、王都は生命力に満ちた夏を迎えていた。日差しは強く、門前の石畳は陽炎で揺らいで見える。ヨハンのスキルレベルはギデオンのような大きな旅を見送ったことで、また一段その深みを増していた。
その日の昼下がり、一人の少女がまるで何かに怯えるように、周囲を気にしながら門へとやってきた。
歳は十六、七か。簡素な麻の旅装に身を包んでいるが、ヨハンの目にはその姿が奇妙に映った。服には染み一つなく旅慣れている者のそれではない。何よりその肌は陽光を知らぬかのように白く、すらりとした指先は土や仕事に触れたことのない貴人のそれだった。
少女はヨハンの前で立ち止まると、緊張した面持ちで口を開いた。
「こ、こんにちは。……ここから、西へ行きたいのですが」
その言葉遣いは丁寧だがどこかぎこちない。彼女は門番のような立場の者と、どう話せばいいかすら知らないようだった。
ヨハンは彼女の瞳に、怯えとそれ以上に強い決意が宿っているのを見て取った。これはただの家出娘ではない。もっと深く重い何かから逃れてきた「籠の鳥」だ。
彼は何も聞かなかった。彼女の素性も旅の目的も。それは彼女自身がこれから自分の足で見つけ出していくものなのだから。
「ああ、西だな。街道はあっちだ。だが日も傾き始めている。今日は麓の町で宿を取った方がいいだろう」
ヨハンの実用的な助言に、少女――セレスティーナは少しだけ驚いた顔をした。もっと根掘り葉掘り聞かれると思っていたのかもしれない。
「……ありがとうございます」
彼女は深々と頭を下げると、逃げるように門をくぐろうとした。その背中はあまりにも頼りなくそして危うかった。
「嬢ちゃん」
ヨハンはその背中を呼び止めた。
「本当の自由ってのは案外不自由なもんだ。道に迷い雨に打たれ、腹を空かせることもあるだろう。だがそれも全部、あんた自身のものだ」
セレスティーナは振り返り、ヨハンの言葉の意味を懸命に理解しようとしているようだった。
「あんたの翼が風を掴んでどこまでも飛んでいけるよう、祈っている。……いってらっしゃい」
セレスティーナの瞳から一筋、涙がこぼれ落ちた。それは悲しみの涙ではなかった。初めて自分の意志で踏み出す一歩を、誰かに認められたことへの感謝の涙だった。
彼女は再び深く頭を下げると、今度は迷いのない足取りで西の街道を歩き始めた。
その小さな背中が夕日に溶けていくのを見送りながら、ヨハンの脳裏に静かな声が響いた。
《スキル【見送る者】が発動しました。対象者セレスティーナに、祝福『進む道が、ほんの少しだけ分かりやすくなる』を付与しました》
ヨハンは静かに目を閉じた。
どうかあの籠の鳥が道に迷いながらも、いつか自分の力で羽ばたける本当の空を見つけられるようにと。ただそれだけを願っていた。




