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『騎士ギデオンと守るべき誓い』 - 2

 ギデオンの旅は、音もなく、影の中を進むものだった。

 彼は王都を出た後、街道を避け、獣道や森の中を選んで進んだ。握りしめた子供の手は、驚くほどに小さい。時折、子供が小石につまずきそうになるたび、ギデオンは巨大な体躯に似合わぬ、滑らかな動きでその身体を支えた。


「……」

「……」


 二人の間に、言葉はない。ギデオンは任務の遂行者として感情を殺し、子供は恐怖と不安で口を閉ざしている。ただ、聞こえるのは風の音と、鎧が微かに擦れる音、そして、二人の息遣いだけだった。


 三日目の夜、廃屋で仮眠を取っていた時だった。

 ふと、ギデオンは殺気を感じて目を覚ました。音もなく剣を抜き、子供を背後にかばう。闇の中から、黒装束の男たちが、静かに、しかし確実に距離を詰めてきていた。追手の暗殺者だ。


 戦いは、一瞬で決した。

 ギデオンは、決して自分から前に出ない。敵の刃が子供に届く、その一歩手前で、彼の盾が壁となり、剣が閃光となる。彼の剣技は、美しさとは無縁だった。最短距離で、最小の動きで、確実に敵の命を断つ。それは、守るためだけに研ぎ澄まされた、無慈悲なまでの鉄のことわりだった。

 最後の暗殺者が血飛沫を上げて倒れた時も、ギデオンの表情は、石のように変わらなかった。


 彼は、返り血を布で拭うと、震えている子供の肩に、黙って外套をかけ直した。

「……行くぞ」

 その声もまた、感情の欠片も感じさせない。


 そんな旅が、何日も続いた。

 焚火の前で、凍えた手を温めていた夜のことだった。ギデオンは、火を見つめる子供の横顔に、遠い日の記憶を重ねていた。


 ―――あれは、五年前。彼がまだ、笑うことができた頃。王女の護衛任務で、祭りの夜店を巡っていた。幼い王女は、彼の娘と同じ年頃だった。リンゴ飴を頬張り、無邪気に笑う王女の姿に、彼は思わず顔をほころばせた。その、一瞬の油断。人混みの中から現れた凶刃が、彼の守るべき小さな命を、永遠に奪い去った。彼は、その日、己の心ごと殺したのだ。


それ以来、ギデオンは笑うことをやめた。


「……おじさんも、食べる?」


 不意に、子供が大切そうに懐から取り出した、半分に割られた堅パンを差し出してきた。それは、けして多くはない、二人の食料の一つだった。

 ギデオンは、驚いて子供の顔を見た。フードの奥の瞳が、心配そうにこちらを覗いている。

 彼は、差し出されたパンを受け取ることができなかった。

 ただ、その小さな手を振り払うこともできなかった。


「……なぜ、俺にくれる」


 ようやく絞り出した声に、子供はこてんと首を傾げた。


「だって、おじさん、ずっと悲しい顔をしてるから」


 その言葉は、どんな剣よりも鋭く、ギデオンの鋼の心の奥深くに突き刺さった。


 (悲しい、顔……? この俺が……?)


 彼は、任務の対象としてしか見ていなかったこの子供が、自分の仮面の下にある、とうに捨てたはずの感情を、その小さな瞳で見つめていたことに、初めて気づいた。

 凍てついていた心に、熱い何かが込み上げてくる。彼はそれを振り払うように、しかし、子供を怖がらせないように、ゆっくりと、震える手でパンを受け取った。


 その夜。子供の穏やかな寝息を聞きながら、ギデオンは眠れずにいた。腕の中にある温かい命の重さが、五年前の冷たくなっていく王女の身体の記憶を呼び覚ます。だが、それはもう、ただの絶望ではなかった。目の前にあるのは、失われた過去ではなく、守るべき「今」なのだと、彼の魂が静かに理解し始めていた。

 彼は、その夜、本当に久しぶりに、浅い眠りに落ちた。


 夢の中で、彼は守れなかった王女を見た。血に濡れる前の、祭りの夜の姿で、彼女は彼にリンゴ飴を差し出し、ただ、にこりと笑っていた。

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